(17)
「お兄様! トーザさんはわたくしをここまで運んで下さってお疲れなのです! あまり無茶なコトをおっしゃるのは…」
「まったく、その通りですよ。トーザくんは立派に大役を果たしてくれました。これ以上を望むのは酷と言うものです」
「その通りですわ、父上もこうおっしゃって…───」
シアンレイナはうなずきかけて言葉を飲み込む。
コランド・ミシイズを除く全員が仰天して視線を集中させた先、ゴールドウィン・レッドパージの隣に先代王が忽然と姿を現していた。一体これまで何処に身を隠していたのか…また何処から出て来たと言うのか、最初っからずっとそこにいたかのようなさりげなさで息子の横に立つ先王は、皆の驚愕ぶりをどこか満足げな微笑で見回した。
「父上。一体いつからそこにいらっしゃったのですか?」
グレイの瞳を軽く見張って−けれど他の者よりはかなり冷静な態度で−ゴールドウィンは父を見下ろし、問うた。
ゴールドウィンとシアンレイナの父であり、かつて人間族の統率者を務めていた先代の国王陛下−グッドウィン・レッドパージ。
頭一つ分は背丈の違う長男の視線を少しだけアゴを上げて受け止めてから、居並ぶ面々にごく緩慢な動作で顔を戻す。
目と目が合うやぴょこんと頭を下げたコランドに軽くうなずきを返してから−それは頭を下げ返したともとれるような動作で−改めて口を開く。
「皆様、すっかりご挨拶が遅くなってしまいました。どうか寛大な心で非礼をお許し下さるようお願いしたいと───何せ他にすべきことがたくさんあったものでして。自分の娘の誕生パーティにも顔を見せずに薄情な父親だと思われていたかもしれませんが───ともあれ、シアンレイナにとって今日という日は忘れられない記念日となったようです、無事」
明確な口調ではきはきと決めつけるように喋る息子とは違い、グッドウィンは聞く者の眠気を誘ってしまうような抑揚の乏しい声でゆるゆると話す。内にこもった感じの話し方に加え、声量も決して充分とは言えないものなので、相手は必然的にグッドウィンの言うことを聞き逃すまいとかえって意識を集中させるようになる。言葉と言葉の間を途切れさせない喋り方も、わざと聞こえにくい程度に控えている声の大きさも、国王陛下だった頃のグッドウィンが人心を掴むために身に着けた彼一流の話術の構成要素であった。
これと言って特徴のない平凡な栗色の髪に、ありふれた碧眼。特徴と言えば鼻の上にちょこんと乗っかったレンズの小さな丸眼鏡ぐらいだろうか。長身でもなく体格が良いワケでもなく、一つの種族の指導者であったとは思えないぐらい、グッドウィン・レッドパージは存在感の稀薄な人物である。剣にも魔法にも秀でた才を持たず、弓をひくことも無論竜になることも出来ぬ彼であったが、在位中には−そして王位を退いてからも−人間族の絶大なる支持を得た名君であった。グッドウィンは先述の話法を駆使して巧みに相手の心に入り込み、どのような主義主張の持ち主でも自らの思惑通りに懐柔してしまうことが出来た。それもそうされたのだとは相手に気づかせぬ自然さでもって。邪竜人間族との戦闘が頻繁に行われるような時勢であればグッドウィンは統率者には不向きだったかもしれないが、平和な時代を治めるには彼はうってつけのタイプであった。そんなグッドウィン・レッドパージはガールディー・マクガイルの離反が発端となった一連の事件の直前にゴールドウィンに王位を譲っている。自らの特性をわきまえていたのだとしても、未来に起こる出来事を予知出来たワケもないのだが…。
ともかく。
グッドウィンは温厚温和を絵に描いたような表情で、混じり気のない慈愛と一片の疑念も差し挟めない誠実さをそれとなくにじませた口調で、続ける。
「ここにお集まりいただいている方々と…聞こえはしますまいがとりあえず、本日王都のあちこちでシアンレイナを祝福して下さった方々に、私からも感謝の気持ちを───まったく、今日はこれ以上を望めないほどの良い日になりました。一番の功労者は…二人の皇子には申し訳ないことですが、トーザくん、トーザ・ノヴァくん、やはり君というコトになるでしょうね」
不意に名前を二回も呼ばれ、次いでにっこり笑顔を向けられて、トーザは緊張のあまり頬を赤らめつつも、何か反応を見せなければ無礼にあたるとでも思い込んでいるのか、慌てて無言で頭を下げた。
国王陛下−ゴールドウィン・レッドパージには相応の敬意を払いつつも、それでも年上の友人に接するのと同様には口をきけるトーザであったが…先代王となるとハナシは別だ。トーザにとっては王となって日の浅いゴールドウィンよりもまだグッドウィンの方が『国王陛下』だという意識が強い。露骨に態度が変わってしまうことがゴールドウィンの気分を害さないだろうかとちょっとだけ気にはなったが、若き国王陛下がそのような些細な事柄にこだわらない性格であることはトーザもちゃんとわかっている。
「いや、そんなに恐縮しなくても良いんですよ。実際君はとても立派だったのですから───剣術大会の折にその技を何度か見せてもらったことはありましたが、あれからまたウデを上げたようじゃないですか。実に感心なことです」
そんなに大したコトは、とか剣士として当然のコトをしたまでで、みたいな台詞を口の中で曖昧に呟いてうつむいているトーザに向かって。
「まったく、君になら安心してシアンレイナを任せられるというものです。ここにおられる皆様もそう思われるでしょう?」
平板な語調でもって───結構な爆弾発言を、ぶつける。
「えッ?! ええッ!?」
あまりの衝撃に二度驚いてしまい、真っ赤になって口を押さえるシアンレイナ。
がばッと顔を上げた姿勢のまま固まってしまうトーザ。
「ええ〜ッ!? 今言ったコト、本気ですかぁッ?」
そんな二人に代わって大声で確かめるマーナ・シェルファード。今も謁見の間の隅の方でイブとディースに捕まっているのだがその口を塞ぐことは出来ないようだ。もっともイブとディースの姉妹も先代王の発言に互いの顔を見合わせてしまっていて、マーナを拘束するのをすっかり忘れている。
「もちろんです。私はこのような場で嘘をつくような人間ではありませんよ」
「んっ? と言うコトは…」
ヴァシル・レドアが何事か思いついたようにトーザの方を見やる。
「トーザが次の国王陛下になるのか?」
「まさか。常識的に考えれば陛下の子供が後を継ぐハズ」
ヴァシルの言葉にチャーリー・ファインが応じる。
「でも、今国王陛下って独身だろ?」
「今はそうだけど。一生独り身ってワケじゃなし」
「いや、わからんぞ、魔道士チャーリー? ヴァシル・レドアの言う通りになるかもしれん。実際問題として私には現在心に決めた相手はいないのだからな」
笑いを含んだ声でゴールドウィンが言う。何故か自分を揶揄するようなその態度に、チャーリーはムッとした表情を向ける。
「じゃあ早いトコ心に決めればいいじゃないですか。大体国王陛下が三十目前にして独身なんておかしいですよ。先代はもっと若くに王妃を娶られたんですよね?」
「そうですね…子供を授かったのは、数年後のことになりますが───そう、ちょうど今のゴールドウィンより一つ若いときに最初の子供…つまりお前のことですが…それから十一年後にシアンレイナを授かって。まあ、私のことはさておいて、確かにもうじき三十になろうという男が愛する女性の一人も思い当たらないと言うのは由々しいですよ、ゴールドウィン?」
「おや、私が突っ込まれる羽目になってしまった」
ゴールドウィン・レッドパージはひょいと肩をすくめると、グレイの瞳を悪戯っぽく光らせて、堂々とした声で続けた。
「何、父上。ご心配には及びません。先程はついああ言いましたが、実のところ私には妃に迎えたい女性がちゃんといるのです」
「ええッ? 初耳ぃ!」
すかさず反応したのはリンド・エティフリックである。マーナに負けず劣らずこのテの話題を好むらしいリンドを、兄のラーカ・エティフリックとその友人であるカディス・カーディナルが処置ナシ、といったあきらめ顔で見下ろしているが…彼らとて、そのことについて興味がなくはない。無意識のうちにゴールドウィンの次の言葉を待ってしまう。
「私もそれは初耳ですね…して、どなたなのです、その女性とは?」
グッドウィンに促され───ゴールドウィンはふっ、と気障に笑ってみせると、右手を持ち上げて真っすぐに指し示した───彼が手を上げる前から悪い予感を覚えて硬直していたチャーリー・ファインを。
「あ…あのねえ…」
黒い指抜き手袋をはめた手のひらで額を押さえてうなだれて。チャーリーは怒鳴り出すのをかろうじて堪えている低い声でか細くツッコミを試みる。が。
「そっ、そうだったんですかァ?!」
リンドの大声にかき消されてしまいそれは誰にも届かない。
「うむ、そうだったのだ、リンド・エティフリック」
至極当然のことであるといううなずきを一つ。
「私は常々自分が妃とするのであれば魔道士チャーリーをおいて他にはいるまいと思っていたのだよ。世界一の大魔道である以前に、彼女には周囲の人間を従わせずにはいられないカリスマ性があり、大勢の人間をまとめ上げるリーダーシップがある。魔道士チャーリーならきっと私の良き右腕となってくれるに違いない」
大真面目に言い切るゴールドウィンを見ながらそれって『妃』と言うよりは『参謀』に求めるべき資質だよなァとチャーリーは思った。それ以前に『右腕』って。『右腕』ってハッキリ言ってるし。
「…国王陛下…」
サースルーン・クレイバーがひどく深刻そうな面持ちでゴールドウィンに歩み寄ったのを視界の端に捕らえて、チャーリーはまたひどく嫌な予感がした。同時にこれまでのなりゆきをただ呆然と見守っていたサイトがはッと表情を変化させたのにも気づいたが。
「いかがされました、サースルーン王?」
「このような場で申し上げるのは非常に心苦しいのですが…実は我が息子サイトもチャーリーを妃に、と考えておりまして」
「あ…あのねえ…!」
「父上ッ!?」
「なるほど…それは困りましたな」
「一人の女性が二人の男性を夫にすることは出来ませんからな」
「おっしゃる通りです。ここはこの際、この場で一つ明確にさせておくとしましょう…サイト皇子!」
急に向き直ったゴールドウィンに唐突に強い声で呼びかけられて、ただでさえおろおろとしていたサイト、見ていて気の毒になるぐらいに驚いた様子でびくんと肩を震わせた。
「なっ…何でしょう?」
「古来より同じ女性を愛してしまった男同士は命を賭けた決闘によりどちらがその女性を妻とするかを決めるものです。真剣勝負を、と言いたいところですが、異なる種族の代表者同士が決闘をして片方が落命したとあってはようやく平和を取り戻した世界に刺激を与えかねませんから…正式なルールに則った試合を申し込みたい。ときと場所、種目はそちらが指定するということで」
「ま…待って。ちょっと待って国王陛下」
「待って下さい!」
「ああもう! アンタは出て来なくて」
「チャーリーさんを賭けての決闘とあらば私にも参加する権利があります!」
「出て来なくていいって言ってんのに〜ッ!」
チャーリーの制止も空しくゴールドウィンとサイトの前に立つフレデリック。とても凛々しい。こうして見るとマトモな男性だ。
「魔道士フレデリックか…いいだろう、機会は平等に万人に与えられねばならないからな。サイト皇子もそれでよろしいですね?」
「う…受けて立ちます!」
「立たないで…!? サイトまで何言ってんの…!」
「すげえな、チャーリー。モテるんだなぁお前」
呑気極まりないカオで見下ろして来るヴァシルをぎッと睨みつけ。
「先代! 王様! 止めて下さいよ、アレ!」
グッドウィンとサースルーンに苦情を述べてみるが…。
「この話が決まれば兄妹ともに結婚式───盛大に祝賀しなければなりませんね。その際はサースルーン王も是非、また王都にお出ましを」
「いやいや、次は我々が先代をバルデシオン城にお招きする番ですとも。善竜人間族王家の婚礼の儀は人間族には滅多に立ち会うことの出来ぬものでしょう、誠心誠意こめておもてなしを」
「何式の予定立ててるんですか勝手に!」
「ああ、チャーリー。サイトの妃となったとしてもお前に女らしくせよとは強要せんから安心するように」
「そうですね、王妃らしくしとやかにしなさいとは言いませんよ、こちらも。あなたはあなたのままでいてくれれば」
「しかも遠回しにケンカ売ってません、二人とも…?」
「気のせいだ」
「被害妄想ですよ」
二人の王に笑顔であっさり受け流されてもはやこのヒト達に何をどう楯突こうが自分が有利に立てる要素はないのだと悟ったチャーリー、繰り返せば繰り返すほど自らの墓穴を深く深く掘り下げてしまうだけの抗議を一旦引っ込めて…サースルーンとグッドウィンの代わりに、ではもちろんないのだが、トーザとシアンレイナにやさぐれた視線を振り向ける。
「な、何でござるか…?」
「トーザ…」
低く静かな声で呼びかけつつ歩み寄り、その肩にぽんと手を載せる。
「婚約おめでとう。心から祝福させてもらうわ」
「チャーリーまでそういう方向に持って行くでござるか…」
「でもよ、まんざらじゃないんだろ?」
チャーリーと反対方向からやって来ていたヴァシルが会話に割り込んで来る。剣呑な黒い瞳に半ば以上本気で射竦められ、常識外れた鈍感さが身上の彼が大変珍しいコトに慌てて「トーザは」と短く素早く付け足したのを耳にして、トーザは思わず吹き出してしまった。
いきなり吹き出したトーザの顔をきょとんと見返す二人の様子が、妙に無性におかしくて。それでも声をあげて笑い出してしまうことだけはどうにか我慢する。傍らでチャーリーやヴァシルと同じく不思議そうに自分を見つめていたシアンレイナと目が合った。姫君はさっと表情を赤らめて反射的に視線を外そうとしたが、思いがけないくらい穏やかなトーザに表情に気づいたのか、ふと動きを止める。シアンレイナ姫から−チャーリーへ、そしてヴァシルへ。等分に目を向けて、そうしてトーザは自分でも意外なくらいに落ち着き払った笑顔を見せる。
「左様でござるな」
答えた声は非常に大人びていて自分のものではないような気がした。
チャーリーとヴァシルが一瞬瞳を見合わせる。トーザの独特の言い回しのせいでその台詞がヴァシルの問いに対する肯定なのだと理解出来なかったシアンレイナはほんのちょっとだけ困ったような、仲間外れにされたようで寂しいと感じているような微妙な色を、優しい青が溶け込んだグレイの瞳に浮かべ…しかしすぐさまその影を綺麗に拭い去ってしまうほどの美しい微笑みを唇に取り戻し、気を取り直してトーザと向かい合う。
シアンレイナが何事か決意したように言葉を発する───寸前。
☆
「あらまあ、まだこんなところにお集まりだったのかい、みんな!」
ひどく呆れたような女性の声が謁見の間に飛び込んで来た。実によく通るまっすぐな−聞く者の耳から飛び込んでそのまま胸の奥まですとんと落ちて行きそうな−声。それぞれがそれぞれの会話を中途で打ち切ってそちらを振り向いてしまうような、存在感溢れる響き。
全員の注目をたじろぐこともなく受け止めて立っているのは、豊かな金色の髪を無造作に首の後ろで束ね、淡い色調の簡素なドレスを身にまとった女性。すらりと背が高く身体つきも比較的しっかりとしていて、両手を腰に当てて小さく首を傾げるようにして皆を見渡している様子には、王城の謁見の間よりは港町の酒場の方が相応しそうだ。実際女性が髪をまとめているのは粗末な麻の紐だしドレスの袖は肘までまくり上げられているし、知らぬ者が見たなら侍女の一人と勘違いをしても仕方なさそうな格好である。が、彼女はれっきとしたレッドパージ王家の一員───グッドウィンの妻でありゴールドウィンとシアンレイナの母、先の女王陛下、であった。化粧っ気はないしアクセサリと言えば夫から贈られた結婚指輪一つしか身に着けていないし、やはり宿屋の女将でもやってる方が数倍似合っていそうなのだが、印象で事実は変えられない。
「さあさあ、何のハナシをしてるのか知らないけど、アンタ達そろそろ夕飯の時間だってコトを忘れちゃいないかい? 客間の方に用意をしてあるからおしゃべりの続きはそっちでしてもいいんじゃないかね?」
「ダナエ。お客様方を『アンタ』呼ばわりは感心出来ませんよ」
グッドウィンが眉を寄せてそれとなく注意してみても、金色の髪の女性−ダナエ・レッドパージは陽気に笑って取り合わない。
「いいじゃない、みんな知らない仲じゃなし。そうそう、今日はお疲れだったんだってね、みんな。ウチの宿六のヘンな思いつきのせいでずいぶん迷惑かけちゃったんでしょう、ごめんなさいねえ」
言いつつ謁見の間に入って来る。背筋をしゃんと伸ばして歩くその姿は、ぞんざいな口調や態度とは相容れないハズの気高さを感じさせる。全体的にゴールドウィンによく似ているように見えるのは息子と同じグレイの瞳のせいばかりではないようだ。母親の瞳の色の方が若干黒味が強い。
「宿六…」
ぼそりと反復して、うへえといったカオでコランドが肩をすくめる。世界広しと言えどもグッドウィン・レッドパージをそんなミもフタもない呼び方で表現出来るのは彼女一人だけである。
「サイトちゃん、アシェスちゃんも、ハナシは聞いてるわ。今日はありがとうね、レイナのために。ケガとかしなかったかい?」
…竜人間族の二人の皇子を『ちゃん』付けで呼べるのも。
「は、はい。お気遣いありがとうございます」
かしこまってアタマを下げるサイト。一方のアシェス・リチカートは沈黙のまま硬直している。
見た目の年齢は自分の倍以上あるとしても実際に生きた年数はアシェスの三分の一程に違いない女性にまるっきり子供扱いされたのだから返す言葉が見つからなくても仕方あるまい。しかし即座にダナエの非礼を咎め食ってかからないあたり、今日一日ですっかり自分は丸く…と言うよりは自分のプライドは相当すり減ってしまっているようだと暗い気分になるアシェスであった。
「ダナエ。お客様方に『ちゃん』付けは」
グッドウィンが控え目に言い募るのには耳を貸さず、ダナエ・レッドパージはこんな調子で皆の間を回り一人一人に十分過ぎる程親しみのこもった挨拶を贈る。初対面の者も中にはいたのだが名乗り合った次の瞬間から家族も同然の扱いをするダナエのペースにすっかり巻き込まれてしまう。
ダナエは一番最後にチャーリー、ヴァシル、トーザの三人のところへやって来た。シアンレイナの頭を母親らしい遠慮のなさでぐしゃぐしゃと撫でてやってから、
「シェリインのアンタ達もお揃いで。ありがとうねえ。特にトーザちゃん。レイナは大喜びだろうけど災難だったね、ボロボロになっちゃってまあ」
『災難』という単語に面食らって戸惑っているトーザの横から、ヴァシルが身を乗り出す。
「なんかうまいモンのにおいがする」
「ああ、そうそう! そうだった、夕飯に呼びに来たんだったわ。アタシッたらすっかり話し込んじゃって」
彼女は確かに最初にそう言ったのだが、チャーリー達もそんなコトは忘れかけていた。
「たっぷり運動した後は質よりも量だろうと思っていっぱい用意してあるのよ。ヴァシルちゃんやアシェスちゃんにも満腹してもらえるようにね。せっかくの夕飯が冷めてしまわないうちに、さあさあ、みんな客間の方へ移動してちょうだい。何だい? ここにいるヒト全員遠慮なんてする必要ないのよ! ほらほら、行って行って」
正式に招待されたワケでもここにいられる身分でもないのにどうしようとカオを見合わせかけたイブやディースを素早く気づいて追い立てて、同様にまごついていたラーカやカディスにも明るく声をかける。チャーリーは一番に謁見の間を出ていたし−言うまでもなく話題が変わったのを幸いと逃げたのだ−食事が用意されていると聞いてはじっとしていられないヴァシルの姿もとっくにない。
☆
トーザはまた何となくシアンレイナと顔を見合わせ−今日二人がこうして視線を交わすのは一体何度目になるのだろう?−それから、部屋の中央付近にいるグッドウィンとダナエに目を戻す。
グッドウィン・レッドパージはトーザの父であるアヴァール・レベラーズとは似ても似つかない性格の主だし、ダナエ・レッドパージはトーザの母とはむしろ正反対のタイプだ。ゴールドウィン・レッドパージが兄になるのはどういうものなのかも想像出来ないし…そもそも、シアンレイナが…。
とりとめもないことを難しく考え込みかけて。そんな自分に気づいて、トーザはふっと肩の力を抜く。
長男に向かい、アンタはいつも余計な口を挟んでそういうトコはまったく父さんとおんなじだよとまくし立てているダナエ、母親を見返しいたって真面目に真剣に、余計な口を挟んだコトなどこれまでに一度だってないと訴えているゴールドウィン。そのそばには妻と息子を困ったように…けれど見間違いようもなく温かく見守るグッドウィンの姿。そんな両親と兄とをとても幸福そうに眺めている、シアンレイナ。
まだ父が生きていた頃のことを不意に思い出した。強くて厳しくて、けれどすごく優しくてトーザの自慢だったアヴァール。父親のようになりたくてキモノを真似して剣を習い…。母親のお腹の中には弟か妹かがいて、毎日がとても楽しくて幸せで、それがいつまでも続いてゆくものだと信じていて…。
アヴァール・レベラーズが生命を落とした日の夜、ずっとそばにいて、虚脱状態のトーザよりも…まるで自分の父親が殺されたみたいに激しく怒り狂っていた、まだ少年だったヴァシルの横顔。生まれたときからの親友の両親は、とてもその余裕のないトーザの代わりに悲嘆に暮れ大きなショックを受けた彼の母親を心の底から親身になって、しかし決して押しつけがましくはなく支え続けてくれた。
そんな過去の記憶が次々と浮かんで来て…目の前の情景に重なる。無論重なり合うようなものではないが、それでも何故だかダブって見えた。
「トーザさん」
呼ばれて気を取り直す。シアンレイナが問いかけるように見上げていた。ぼんやり立っているトーザのすぐ横を、その目つきの悪さで人が殺せるんじゃないかと思えるぐらい不愉快そうなアシェスが大股に通り過ぎ、その後ろにくっついていたリンドがくるりと振り向いて二人に何事か声をかける。何を言ったのかは聞き取れなかったけれども、それを耳にしてトーザは回想から抜け出した。
「拙者達も、参るでござるか」
「はい。…あの、きっと母が自分で作ったのですわ、夕食」
「ご自分で?」
「ええ、おそらく…だって、ドレスの袖をあんな風にして。母は気づいていないのだと思います」
「らしいでござるな」
シアンレイナは小さくため息をつき。
トーザは納得したように短くうなずいて。
それから二人で笑い合った。
前にもどる 『the Legend』トップ おしまい