(11)
王都の東端、世界中の知識が集められるベル研究所前。
正面入り口扉の前に立ち王城の方角を眺めやっていた老人が、冴えた水色の瞳に待っていたものの姿をとらえて、少年のように表情を輝かせた。
「来た来た。いよいよだぞ」
楽しそうに呟いたのはこの研究所の所長を務めるアントウェルペン・ベルである。赤と黒の組み紐で一つにまとめた長い白髪を背中に垂らし、左耳にだけ金のピアスを着けている彼は、既に成人した孫がいる年齢だとは思えないほどの若々しさを保っている。
そこらの若者にも負けないほどの長身にがっしりと広い肩幅、当代随一の知識量を誇る賢者とも思えぬ体格の良さは、彼がこれまで過ごしてきた長い年月、頭脳だけでなく身体の鍛錬をも怠らなかったことの証であった。
「所長」
彼のはしゃぎぶりをたしなめるように右手斜め後ろからかかる声。アントウェルペンの孫、コート・ベルである。肌の色が白い細身の身体は祖父よりもよほど『賢者』という職業について一般の人々が抱くイメージに近く、実際コートもアントウェルペンには及ばぬもののそこそこ名の知られたセージであった。
「チャーリーさんとアシェス皇子が戦う必要はどこにもないとわたしは思うのですが」
肩の上ですっぱりと切り揃えられた琥珀色の髪をわずかに揺らして、コートはアントウェルペンに意見する。
自分の孫は少々堅物過ぎるところが欠点だなと思いながらアントウェルペンが答えを返そうとしたとき。
「なァにを言ってますねんな、コートはんッ!」
左手方向から突然そんな声が割り込んで来て、二人の賢者は同時にそちらへ顔を向けた。
「今日はシアンレイナ姫様のめでたいお誕生日、お祭りの日なんでっせ。祭りには余興がつきモンですがな! パーッと派手にやってもらわんと!」
コランド・ミシイズがやって来る。
「で、ですが…ここで行われていることは、チャーリーさん達の考案した『イベント』にはまったく関係がないのでは…」
「そうだぞ、コランド! 皇子にはここで元のお姿に戻っていただいても何ら問題はないハズじゃないか」
気弱に反論を試みたコートの台詞を、コランドより少し遅れてその場にやって来たカディス・カーディナルが引き継いだ。緋色の髪の邪竜人間族は不安げな様子を隠そうともせずしきりに西の空を気にしている。
「カディスはんまで、何でっか、情けないでっせ? 儲け損のうた以上はせめてスカッと気の晴れる戦いっぷりでも見せてもらわんコトには! チャーリーはん対名もない飛竜やったら賭けも成立しませんしなあ、ここはワイらも素直に大人しゅう見物させていただきましょうや。ギャラリーもようさん集まったはるコトやし」
言ってコランドが示した先に視線をやって、コートとカディスは思わず声をあげてしまったほど驚愕した。研究所前のところどころに植え込みの配置された結構な面積の広場。その周辺部分に、いつの間にわいて出たのか黒山の人だかり。
「ど…どっ、どーいうコトだよ、コランド?! 見物客を集めるなんてハナシ、オレは聞いてないぞ!?」
「カディスはんに言うたら絶対反対されますやん」
血相変えて詰め寄るカディスを涼しいカオでかわすコランド。
「当たり前だッ! こんな、見世物にするようなマネを…皇子がどう思われるか…観客集めたのはお前か?!」
「イヤやなぁ、カディスはん。ワイはずーっと一緒におりましたやん。宣伝なんかしに行くヒマありまへんでしたで」
「…では誰が…?」
二人の盗賊の会話にコートがぽつんと口を挟むのを、待っていたかのようなタイミングで。
「お───いっ!」
よく通る明るい声がその場の空気を震わせた。
黒髪のポニーテールを揺らしてマーナ・シェルファードが駆けて来る。吟遊詩人の彼女は祭礼の日とあって普段よりも多めに装飾が施された華やかな衣装に身を包んでいた。今日は珍しくビーストを連れていない。
若草色のフレアスカートと長い髪をなびかせて、メール・シードも一緒にやって来た。
「もう来る? もう来るよね?」
アントウェルペン以上に期待に満ちた声で言いながら、コランドのそばまでやって来たマーナは空を仰ぐ。
コートの隣に立ったメールも同様に王城の方角に顔を向け、
「あっ! もう来るよ!」
そんな台詞と共にコートを見上げた。
「マーナはんのおかげで盛況ですわぁ。チャーリーはんもアシェスはんもやり甲斐ありまっせ、コレは」
呑気に言うコランドを、カディスが長過ぎる前髪越しに睨もうとしたとき。
アントウェルペン達の目の前に、いきなりチャーリー・ファインと彼女に腕を掴まれたヴァシル・レドアが降り立った。
「チャーリーさん、こんにちはー!」
「どうでっか、ワイらの仕事には満足していただけました?」
マーナとコランドが無邪気に話しかけて来るのに無表情な一瞥で応じると、黒いマントを翻しチャーリーはヴァシルを置いて再び飛び出してゆく。
彼女を追って来た紅い瞳の飛竜−アシェス・リチカート−とチャーリーとは、衆人環視の中、広場中央上空で対峙した。
「す…すっごい、アシェス皇子、ホンモノみたい!」
「大したモンですやろ、ワイとカディスはんの苦労の賜物ですわ。アシェスはんをペイントしたのはカディスはん一人でっけど」
「最悪だ…後で皇子に何て言えば…」
「ヴァシル君は戦わんのかね? 残念だな…」
「武器持って来てねーからなー。…ところであの二人ホントにやるのか?」
「危険です、所長! 竜と魔道士の戦闘は余興と呼べるものではありません!」
「チャーリーさん、頑張ってー!」
大きな声援を送る長い髪の婚約者を、コートは情けない表情で振り返った。
多数の一般市民が見守る中で攻撃魔法だのドラゴンのブレスだのが使用されることがどれだけ危険なことか。厳重に管理され様々な配慮がなされた魔道大会の会場ではないのだ、ここは。
それがわからぬメールではないハズなのに、何故自分と一緒に祖父を説得しようとしてくれないのか…。
それしきのことで最愛の女性を責めるつもりは毛頭ないが微妙に悲しくはなった。そんな感情がマトモにカオに出てしまったらしいと気づき、慌てて口許を引き締める。
一人でくるくると顔色を変えているコートの手を、不意の動作でメールが掴んだ。逞しいとはお世辞でも言えない細い腕に自分の腕を絡めてそっと身体を寄せて、メールは嬉しそうに笑顔を浮かべる。
「…メールさん」
「今日はお祭りだよ、コート」
小さな声、コートにだけ聞こえる声でそう言って、メールはそっと頭を彼の肩にもたれさせる。
「ね、楽しいね」
「…そう、ですね」
コートはメールにだけ聞こえる声でそう答える。
「始まるぞ!」
そんな二人の会話をかき消してしまいそうなくらい快活にアントウェルペンの声が響いた。
あれこれ喋っていた面々もぴたりと口を閉ざして、チャーリーとアシェス、この場の主役に注目する。