お姫さまの誕生日−15
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(15)

 観客席に座らせたシアンレイナ・レッドパージを確かめるように少しだけ見つめてから、サイト・クレイバーは広場に向き直った。
 南側入り口から走り込んで来て広場の中央付近で立ち止まりこちらを見上げているトーザ・ノヴァと、正面から睨み合うかたちになる。
 サイトの視線を受けてトーザは腰に提げたカタナの柄に素早く手をやり、油断なく身構えた。
 トーザが肌身離さず持ち歩いている片刃の剣、カタナ・千早丸は世界に名の知れた優れた武器である。が、竜のウロコを斬り裂くことが出来る『ドラゴンスレイヤー』ではない。普通に考えるならばトーザに勝ち目はなくサイトの身の安全は保証されているハズ、だが…。
 相対するトーザの気迫に満ちた真剣な表情を目にして、サイトは改めて気を引き締めた。
 『シアンレイナ姫をさらった悪い飛竜』を倒すため、トーザは全力でぶつかって来るだろう。
 卑怯な真似は決してしない、しかし勝つためには手段を選ばない。
 一見矛盾しているように聞こえる二つの考えをうまく同時に持ち合わせ、結果として誰に恥じることもなく正々堂々と誇り高い剣士であり続けているトーザ。
 日頃友人の一人として親しくすると同時に一人の剣士として尊敬し憧れている彼と戦うことは、自らが竜の姿であるとしてもサイトにとっては極度の緊張を強いられるものだった。
 蒼い瞳をすいと細めて、サイトは狙いを定める。
 ここまできたらもはや覚悟を決めるしかない。

 飛竜が長い首を揺らす。
 カタナに軽く触れていた指先を外す。咄嗟の判断。トーザは剥き出しの土の上に横飛びに身を投げ出した。
 寸瞬前まで自分が立っていた地面を氷のブレスが抉り取っていったのを視界の端に捉えつつ、体勢を立て直す。
 何も考えずにトーザは駆け出した。
 自らのブレスを追うように飛び出していた飛竜の腹の下を走り抜けて、観客席を目指す。観客席と広場とを隔てている木の壁に彼が取りつくより早く。しなやかに伸びた飛竜の尾がトーザの身体を引っかけるようにして大地に叩きつけた。
 甲高い悲鳴が聞こえた。シアンレイナ姫の。
 この日の為の礼服は早々と土埃にまみれ見る影もなくなったが、トーザ自身はほとんどダメージを受けていない。数秒呼吸は詰まったが───跳ね起きる。片膝はついたままで、飛竜と対峙する。
 飛竜はトーザから少し離れた場所で翼を畳み、頭を低くして彼の隙をうかがっていた。ワイバーンが空けている微妙な距離に気づいて、この飛竜は自分の戦法を知っているのだろうかと、トーザは少しだけ訝る。トーザが最も得意とする一撃必殺の技…居合い斬りの射程から、飛竜がいる位置はほんのわずかではあるが確実に外れている。相手の得物からその戦い方まで推測出来るほどにアタマの良い飛竜も存在するのだろうか。とりとめのない方へ向かいかける思考はそこで打ち切って。
 千早丸の柄に、そっとまた手をかける。
 速いが軽いこのカタナでは飛竜を斬り伏せることは不可能だ。
 シアンレイナ姫の身柄を確保してこの場を離脱する方法を考えねばならない。
 互いに動きかねて、トーザと飛竜とは張り詰めた空気の中、数分間も相手の次の行動を待ち続ける。

 チャーリー・ファインにとってもアシェス・リチカートにとっても、『相手の次の行動』などはさしたる問題ではないようだった。
 ベル研究所前。
 多数のギャラリーが固唾を呑んで見守る中、世界最強の魔道士と飛竜に扮した『闇』の竜の戦いはますます白熱している。
 チャーリーの魔法とアシェスのブレスが空中でまともに激突し、盛大な爆発を引き起こす。観衆が悲鳴をあげる間こそあれ、次の瞬間には一気に肉薄したアシェスの前脚がチャーリーの身体を手荒く地面に向けてはたき落とし、大地に叩きつけられる前にその身を反転させて踏みとどまったチャーリーの放つ風の魔法がアシェスの翼を掠めてゆく。
 ときにはチャーリーの方が間合いを詰めて至近距離から火炎をぶち込み、弾かれたように離れたアシェスがそれでも全く怯まずに雷撃のブレスで応戦し、二人の戦いはまさに一瞬も目を離せないほどの激戦になってゆく。
 自分達がこれほどまでに本気で戦う必要は実のところまるでないのだということなど、もはや二人にとってはどうでもいいコトになってしまっていた。
 相手が仕掛けて来るから、返す。それ以上の攻撃を、より威力のある技を。言葉のないやりとりに明確な意味などない。二人は力と力を存分にぶつけ合う。
 もちろん今でも互いにほんの少しの手加減はしているものの…その抑制力は限りなく無意識のレベルにまで落ち込んで、ほとんど真剣勝負と区別がつかないぐらいになっていた。
 戦闘開始以来始めて地に足を着け、チャーリーは上空のアシェスを見上げる。
 今にも自分に向けて何かのブレスを放とうとしている彼に向け、チャーリーは右手のひらを突き出して───。

 トーザが動かないのに焦れて、サイトは自分から仕掛けることにした。
 そのような理由で確たる勝算もなく動くことは自殺行為だったが、元より彼は負けねばならないのだ。
 四本の脚で大地を蹴りつける。
 トーザは的確にそれに反応して来た。
 目で見てもそうとはよくわからないぐらい、ほんのわずか身体を沈め───しかし、千早丸は抜かなかった。カタナの柄に当てていた手を素早く上げる。
「ヴァユ・ラ・ルーダ!」
 鋭い詠唱の声と同時に、サイトの両の眼を強風が襲った。唐突に視界を奪われ、動転したサイトは大きく頭を振って魔法の風を払いのけようとする。数秒。気を取り直し、まだぼやける視線を走らせるが、トーザの姿がない。ハッと気づいてシアンレイナ姫の方を見上げたがそこにも赤毛の剣士は見当たらず。それではどこに? 困惑して動きが止まる。その足元をすくわれた。
 強烈な斬撃に右前脚を払われて、予想外の攻撃に踏み止まることもかなわず、無様に地面に倒れ込んだその目の前に、すッと刀の切っ先が突きつけられる。
 風の魔法で視力を奪った隙をついて、トーザはサイトの身体の下に潜り込んでいたのだ。竜の巨体に潰される危険を冒して彼は一撃に賭けた。───サイトは土の上に這いつくばったまま、眼前に立ちはだかるトーザを見つめる。
 トーザの背後、観客席で立ち上がってこちらを見下ろしているシアンレイナの姿が目に入る。口もとに両手を押し当てて、優しい青がにじんだグレイの瞳をいっぱいに見開いて。シアンレイナ姫はトーザ・ノヴァの背中をまっすぐに見つめている。
「勝負あり、でござるな」
 カタナを向けたまま、トーザが小さな声で、言った。
 サイトが視線を合わせると、トーザは姫君に背中を向けたまま、彼女には気づかれぬように、にっこりと優しい笑顔を見せてかすかにうなずいてみせた。

「チャーリーさん!」
 魔法を放つ寸前に響き渡った意外な声に、チャーリーは思わず攻撃を忘れたのみならずそちらに顔を向けてしまった。彼女らしくもないことであったがその声にはそれだけのインパクトがあったのだ。その他のどんな要素をも圧倒して彼女を振り返らせるだけの。
「! しまっ…」
 反撃を中途で止めてしまったチャーリーに、アシェスの雷撃ブレスが躊躇なく容赦なく襲いかかる。防御すべきか回避すべきか、またも彼女らしくなく即断しかねてチャーリーが呆然と立ちすくんだ、刹那。
 不意に飛び出して来た背の高い青年が、彼女を庇うように包み込むように抱きしめた。
 サンダー・ブレスは、彼の背中を直撃する前に彼のバリアに阻まれ四散する。
「大丈夫ですか、チャーリーさん?!」
 自分をしっかりとその腕に抱いたまま、心の底から気遣っているのだとありありとわかる表情で覗き込んでくる、ひょろりと背の高い黒髪の魔道士。
 チャーリー・ファインはしばし絶句し…我に返ると大慌てでその腕を振りほどき身体を離した。
「どっ…どっからわいて出たのよ、アンタは…!?」
「お怪我はありませんか?」
 チャーリーと同じ黒いマントに、同色のローブと茶色い革のショルダー・アーマーを身に着けた青年は、彼女の動揺ぶりには一切構わず穏やかに落ち着いた声で話しかけてくる。
「何でこんなコトにいるワケ?! 大体、アンタはいつもいつもいきなりヒトに抱きついてきたりして…」
「悪いモンスターと戦っておられるんですね?」
 彼は決然とした瞳で言い放ち、チャーリーが思わずその存在を忘れかけていたアシェスに身体ごと向き直り、きッと見上げる。
「いや…あの」
「王都に害なす悪い飛竜をお一人で退治されようなんて、チャーリーさんはやはり素晴らしいお方です!」
 くるりと振り向いてチャーリーの両手をがっしと握りしめ、腹の底から感動したという表情を隠そうともせずそう言ってから。
「しかしあなたのようなきれいな方には悪い飛竜に単身立ち向かうような荒事は相応しくありません。ご安心下さい、このわたしが来た以上はあなたを一人でなど戦わせたりはしませんよ!」
「いや…フレデリック?」
「わたしにお任せ下さい、チャーリーさん! 悪い飛竜の一匹や二匹!」
「だから、ちょっと…あの…ええ…?」
 フレデリック一流とも言える相も変わらずの強引なハナシの運び方に、チャーリーがやはり彼女らしくもなくうろたえて何をどう言えば良いのやらわからなくなっているうちに。
 黒マントの魔道士−フレデリックは一人で理解して一人で納得して一人で結論して、唖然としているチャーリーをその場に残し、アシェスに向かって行ってしまった。
 ぽかんと見送ってしまうチャーリー。
 それでも、この状況で自分がとり得る最善の行動とは一体何かと思いを巡らし…。
「…ごめん、アシェス」
 極めつけに彼女らしくないことだが、小声で謝っておくことにした。

 トーザが千早丸を鞘におさめる。
 蒼い瞳の飛竜はゆっくりとした動作で身体を起こすと、見つめるトーザにちょっとだけ頭を下げるようにしてから、双翼を広げ一気に舞い上がった。
 竜の翼が起こした風が止み、飛竜が空の高みに消えてしまうと、しんと静まり返った広い会場内、トーザはシアンレイナ姫と二人きりになる。
 観客席に上がる前にこれじゃあんまりだと一通り着衣のあちこちを一応はたいてはみたが、礼服の汚れはほとんど改善されなかった。いささか気後れしつつも、とにかく姫君のもとへと歩いてゆく。
 背もたれのない座席にぺたんと腰を落としてぼんやりと自分に顔を向けている姫の前で、両手のひらの汚れをもう一度だけズボンの腿の部分で拭ってから、トーザはひとつ咳払いをして…シアンレイナに話しかける。
「もう安心でござるよ、シアンレイナ殿」
 丁寧な口調でそう言って…ほんの一瞬だけ逡巡してから、トーザは右手を差し出した。
「さ、拙者がお連れ申すゆえ、王城に戻るでござる。国王陛下達もさぞ心配していることでござろうから…それにしても、とんだ誕生日になってしまったでござるな」
 シアンレイナは呆然とした表情のまま、差し伸べられたトーザの手にゆっくりと自分の指先を近づけた。
 二人の手と手が触れ合う直前。
 シアンレイナ姫はひどく熱いものに触れてしまったかのようにビクッと手を引っ込めると、両手を顔に押し当てて、泣き出した。
「シアンレイナ殿」
「すみません…トーザさん…わ、わたくし…」
 華奢な肩が小刻みに震えている。細く可憐な指の下、押さえつけるように息を吐き出して声をあげてしまうのを必死にこらえているシアンレイナを、トーザは微笑んで、見下ろして。
 そっと彼女の手を取った。
 恐る恐る上げられた、涙で濡れた瞳を真っすぐに見返す。視線を逸らしかけるのを、その手をきつく握り締めて引き止める。
「もう大丈夫でござるよ」
 しっかりと言い聞かせるように、彼女の心の奥にまで届かせるように、繰り返す。
「トーザさん…」
 美しい姫君の頬を、透き通った涙が新たに伝い落ちた。

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