お姫さまの誕生日−12
(12)
吟遊詩人・マーナ・シェルファードの精力的な宣伝活動により集められた結構な数の観衆が見守る中、黒いマントを風にはためかせたチャーリー・ファインと飛竜に扮したアシェス・リチカートは滞空したまま睨み合い互いの出方を探り合う。
彼女達の知らぬところでコート・ベルが指摘していた通り、トーザ・ノヴァとシアンレイナ・レッドパージの前から離れた以上、チャーリーとアシェスに『芝居』を続ける必要はない。
出会い頭に顔面へ火炎魔法を炸裂させる等という無茶をしたクセに、実のところチャーリーにはアシェスと戦う意思はまるでなかった。
ここに来るまでは。
研究所前の広場を取り巻き『これから起こること』に期待を寄せている観客の数を目の当たりにして初めて、それほどまでに望まれているのであれば一戦交えてみようという風にアタマが切り替わったのである。
ギャラリーに媚びたワケでも受けを狙ったワケでもなく、ただ自分の力を見せつけるために。
無論アシェスの方は最初っからチャーリーに勝負を挑む気十分であった。いかに『芝居』とは言えいきなりカオに火球を叩きつけられた屈辱は拭い難く耐え難い。このままにしておくことは出来ない。あの無礼な振る舞いを後悔させてやらねば気が済まない。
怒りに冷静さを失いつつある彼は、相手がただ傍若無人なだけではない世界最高の実力を備えた魔道士であることや、自分の現在の姿ではダーク・ドラゴンとしての能力を全て発揮するワケにはいかないということを、ほとんど忘れかけていた。
紅い瞳の飛竜と同じ高さに浮かぶチャーリーは、どんな感情も読み取れない静かな表情のまま、無造作に左手を持ち上げた。
炎が生じる。火炎は指抜きの黒い手袋をはめた指先に絡みつき、徐々にその温度を高めながら術者が自分を解き放つ瞬間を待ち構えている。
生身の人間が触れれば大火傷を負うどころの騒ぎでは済まないぐらいのこの炎でも、竜の−ダーク・ドラゴンの−ウロコの前にはほとんど無力であることを、チャーリーはちゃんと知っている。
炎をまとわりつかせた腕を一瞬、下げて。
アシェスに体当たりを食らわせる勢いで飛び出す。
一気に距離を詰めた。
懐に飛び込もうとするが、それを許すアシェスではない。
前脚を振り上げチャーリーの身体をはたき落とそうとする。
彼の動作は素早く的確であったが、それに捕まるチャーリーでもなかった。
アシェスの攻撃が彼女を捕らえるよりも早く、ほとんど垂直に上昇する。
相手の目の前に飛び出す。
左腕を振りかぶり、アシェスの顔面に火炎の塊を叩きつけようとする。
刹那。
視界の真正面にチャーリーの姿を認めたアシェスは、微塵の躊躇もなく彼女に雷撃のブレスを浴びせかけた。
眼下にひしめく人々の間から悲鳴のような叫びがあがり、見守るヴァシル達も思わず息を呑んだが、チャーリーは数メートル落下しただけで何事もなかったかのように体勢を立て直し、再びアシェスと向かい合った。
魔道士は自分の身体の周囲に精神力の膜をつくることにより外部からの攻撃に対するバリアとすることが出来る。バリアの強度は魔道士の力量に比例する。
チャーリーのバリアはアシェスのブレスを完全に無効化したが、吹っ飛ばされた衝撃で左腕の炎も消えてしまった。
☆
研究所正面入り口扉前。
広場に続く石段に思い思いに腰を下ろし、観戦中のヴァシル達。
コランドとカディスよりも遅れてやって来たラーカとリンドのエティフリック兄妹が両手に(ラーカは片腕だが)山と買い込んで来た出店フード−フランクフルト、焼きそば、たこ焼きなどなど−を囲み、よく冷えたジュースを飲みながら、すっかりくつろいでいる。
「皇子様、すっご〜い!」
アシェスの雷撃ブレスでチャーリーの身体が弾き飛ばされた瞬間、リンドは飛び跳ねるように立ち上がって頭上に掲げた両手で大きく拍手をした。
弾みで置いてあったカップが引っくり返って隣に座っていたカディス・カーディナルの膝の上に中身がぶちまけられる。
「うわッ、リンド!」
「駄目じゃないか、リンド」
非難がましい目を−カディスの目は長い前髪に隠れていて他人からはほとんど見えないが−リンドに向けかけた相棒を遮り、ラーカはリンドの手を引いて座らせる。
「あの飛竜が皇子だということは秘密なんだからな、そんなに喜んじゃヘンな目で見られるぞ」
「あ、そっかぁ」
「あのなラーカ。それもそうだがまずはこのオレの惨状に関して」
「ねえねえカーディさん、勝つよね、皇子様!」
苦言を呈しかけたカディス、リンドの無邪気な瞳に見上げられ思わず中途で台詞を飲み込んだ。
「勝っちゃいけねえんじゃなかったか?」
上段からかかったそんな声に、今度はきッとした視線と上半身を振り向かせるリンド。
邪竜人間族三人組よりも上の段には、王城の食堂で豪勢な料理を目一杯詰め込んだばかりだと言うのに五皿目の焼きそばをたいらげ中のヴァシルと、そんな彼にさらに食べ物をすすめているマーナの二人がいる。
「ヴァシルさん。チャーリーさんの味方したいのはわかりますけど、皇子様は負けたりしないんだから!」
「別にオレはチャーリーの味方してるんじゃねえけど…」
「リンドちゃん、アシェス皇子様は今『悪い飛竜』なんだから、チャーリーさんにやっつけられないとお話にならないと思うんだけどな」
食事の手を休めずに気のない調子でおざなりに返すヴァシルに、明らかに彼に賛同する口調で言葉を添えたマーナ、二人の態度はリンドの気分をますます損ねさせた。
「皇子様はやっつけられたりしないってば!」
また立ち上がったリンドはまたジュースのカップを引っくり返し、わずかに残っていた内容物がまたカディスのズボンに降り注いだ。
「リンド…お前なァ…」
リンドを挟んだ向こう側で爆笑しているラーカを恨めしげに見やりつつ、カディスはあきらめたようにため息をついた。
「リンドはんはアシェスはんのことえらい気に入ったはるんですなァ」
ヴァシル達の右隣からコランド・ミシイズが会話に混ざる。
ケチャップとマスタードを惜しみなく塗りたくったフランクフルトを片手にリンドを見下ろしている彼の横にはアントウェルペン・ベルがいた。世界にその名を轟かせた老賢者はたこ焼きを賞味中である。
「当たり前だよッ! 皇子様はとってもカッコ良くって、すっごく強くって、王様の次に立派なお方なんだもん!」
リンドは居合わせる面々の顔をぐるりと見回し、何故か誇らしげに薄い胸を張ると、きっぱりと言い切った。
「リンド、おっきくなったら皇子様のおヨメさんにしてもらうんだよ!」
当たり前のことのように続けた一言に、カディスを嘲笑するのに飽きてジュースに口をつけていたラーカが派手に吹き出した。
「な…ほ、本気かよ、リンド?」
むせ返っている兄の代わりにカディスが質す。
リンドは大きくうなずき、それからちょっと慌てた様子で付け加えた。
「あ、でもね、リンドだって皇子様とリンドじゃミブンが違うってコトはちゃあんと知ってるよ。だからおキサキ様になるんじゃないよ」
「ええ? それじゃあ何になるの、リンドちゃん?」
ヴァシルに六皿目の焼きそばを与える手を止めてマーナが問うと。
「リンド、皇子様の『アイジン』にしてもらうの!」
夢を語る純粋な笑顔でリンドは答えた。
「あ、あ、あの…リンドはん、『アイジン』ゆうのは何かご存知ですのん?」
完全に崩れ落ちてしまっているラーカの代わりにコランドが尋ねる。
「知ってるよ、もちろん。おキサキ様じゃないコイビトのことだよ」
すごく大雑把な認識の仕方だが目立って間違っているワケでもないと思える微妙な解釈であった。
「リ…リンドちゃん、そんなコトバ誰から教わったの?」
殺気立ったものすごい形相で緋色の髪の相棒を威嚇しているラーカと、妹を溺愛する兄の疑惑を必死で首を振って否定しているカディスの姿を背景に、マーナはリンドを見下ろした。
「えっとねー、おむかいのオバさんが言ってたの。『男のヒトはよそにアイジンをつくってくるぐらいのカイショウがなきゃ』って」
「せやけど、フツーは奥さんもろたら愛人なんかつくらんもんでっせ?」
「ううん、ヤクソクしたもん」
「…約束?」
まさか、という表情で妹を見やるラーカ。
リンドは天真爛漫にうなずいた。
「前にね、皇子様にお願いしに行ったんだよ。リンドがおっきくなったらリンドを皇子様の『アイジン』にして下さい、って」
「───………」
蒼白になるラーカとカディス。
黙々とたこ焼きを頬張っていたアントウェルペンがついにこらえ切れずに吹き出してむせ始めた。
さすがにコランドとマーナも何と言えば良いのかわからないカオを見合わせたが…。
「へえ。そしたら何て言ったんだ、アシェス」
場の空気を読まないことにかけては天下一品の才能を持ち合わせているヴァシルがあっさりと先を促す。
「してくれるって」
「ええええッ!?」
「ア、アシェスはんがそう言ったんでっか?!」
「ううん、皇子様、何にも言わなかったの。でも、はす向かいのお姉さんが言ってたんだよ、『嫌って言わないのは良いってコト』だって」
何も言わなかったのではなく言えなかったのだろう、アシェスには。
数百年の寿命を持つ邪竜人間族であるから、ヴァシル達から見るとまだ十にも満たない子供のように見えるリンドも、実はアントウェルペンより年が上だったりする。
しかし同族のアシェスからすればリンドは自分より数十歳も年下の完全な子供だ。
そんな子供に無邪気な笑顔で「愛人にして下さい」と申し出られたアシェスの心境を察すると…まだ「お嫁さんにして下さい」と素直に頼まれた方がどれだけ救いがあったか…。
「そりゃ良かったじゃねえか。将来食いっぱぐれないな」
「お兄ちゃん、こういうのってタマノコシって言うんだよね?」
「皇子に何て言えば…」
「最悪だ…」
頭を抱えるラーカとカディスの苦悩を知らず、リンドはにこにこ上機嫌である。
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