お姫さまの誕生日−10
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(10)

 竜が人間ほど表情豊かでないのが悔やまれた。いや、この場合は自分が愕然としているのをトーザ・ノヴァやシアンレイナ・レッドパージに見抜かれてはいけないのだ。何事もカオに出やすいと常日頃から指摘され続けている身としては、むしろ竜の姿で幸いだったと思うべきところなのかもしれないが。
 ───曲者って私のことですか!?
 サイト・クレイバーはシルヴァリオンと正面切って向かい合う。
 世界で最もその名を知られた飛竜、ゴールドウィン・レッドパージのかけがえのない相棒であるこのシルヴァリオンは…今日の『芝居』のことを知っているのだろうか…?
「シルヴァリオン!」
 国王陛下の声が再度その場に響き───空色の飛竜はものも言わずに向かって来た。本気の瞳で。どうやら知らされてはいないようだ。
 冗談が過ぎます、国王陛下───!
 最少の動きで身をかわす。突進して来たシルヴァリオンをやり過ごして、すれ違いざまに自分の翼で軽くはたいてやる。それほど強くやったつもりはなかったのだが、シルヴァリオンはあっけなく弾かれて城壁にぶち当たった。シアンレイナの悲鳴が響く。
 竜対竜の戦闘にサイトはあまり慣れていない。戦い方がよくわからない。長引くと危ない───シルヴァリオンが。加減の仕方が掴めない。
 食堂に空いた穴に視線を戻す。トーザとゴールドウィンが自分を見上げている。千早丸の柄に手をかけて、トーザはいつでも攻撃に移れる体勢だ。その傍らに立つゴールドウィンは…。
「しっかりしろ! シルヴァリオン!」
 愛竜に声をかけつつもサイトと合わせた瞳で一瞬だけうなずいて見せた。小さくタメ息をつきそうになり慌てて気を取り直す。シルヴァリオンがまた向かって来る前に、やるしかない。覚悟を決める。
 頭を下げた。アシェス・リチカートが先刻穿った穴は食堂内に入り込むには狭すぎる感じがしたが…全身がおさまる必要はないのだ、贅沢は言うまい。それにもう迷っていられない。
「トーザ・ノヴァ! 危ない!」
 ゴールドウィンが叫び、トーザの腕を掴んで床に引き倒した。
 一気に半身を差し入れる。伸ばした手に…逃れようとした、シアンレイナ姫の身体を、掴み取る。
 サースルーンが、狼人間族の双子が、口々に姫君の名を呼ぶ。
 自分が非常にまずい取り返しのつかないことをしてしまったような−そして実際そういうことをしてしまったワケだが−罪悪感に囚われつつ、入ったときと同様大急ぎで身体を引き抜いた。
 ちらりと目を落とした手の中、シアンレイナ姫が意識を失っていた。ぐったりとしてしまった華奢な身体をなるべく丁寧に、潰してしまわないよう優しく、それでいて落としたりしてしまわぬようにしっかりと握り締める。今さらどれだけ気を遣ったところで現在自分がしていることはフォローのしようがないくらいに無礼なことだとわかってはいたが、せめてそのくらいのことはせずにいられない。
 ゴールドウィンとトーザが次の行動を起こす、より早く。
 翼を広げ、風を巻き起こし、サイトは空へと舞い上がる。上空からトーザを見下ろした。三秒、四秒、視線を合わせる。そして───竜の身体をしなやかに方向転換させて、指示された通り『魔道大会の会場』へと、遮るもののない空を飛んでゆく。

「シアンレイナ!!」
 青い目の飛竜が飛び去った方角へそう怒鳴ってから、ゴールドウィンはトーザの両肩をがっしと掴んでぐるっと回し自分と向かい合わせた。
「大変だ、トーザ・ノヴァ! よりによって妹の誕生日に平和な王都でこのような事態が発生しようとは、まったくもって予想外だ!」
 グレイの瞳に見据えられ滑らかな口調でまくし立てられ、たじたじとなるトーザ。
「妹を助けてやってくれ! この通り頼む! 飛竜が向かったのは魔道大会の会場がある方角だと思われる!」
「そ、そのようでござった」
「行けトーザ・ノヴァ! 我が妹シアンレイナを救えるのはお前しかいない! 期待しているぞ!」
 ゴールドウィンはトーザの背中を力一杯平手で張り飛ばすようにして中庭へ送り出した。どこか釈然としないような表情ながらも、振り向いて問うたりはせず突き飛ばされた勢いのままトーザは駆け出す。細かいことを追及するよりもとにかく今はシアンレイナ姫を救出するのが先決だと判断したのか、案外純粋に何も気づいていないのか。真っ赤なリボンを揺らしたトーザの後ろ姿はすぐに見えなくなる。
 ───赤毛の剣士の気配が完全に消えるのを待って、食堂に残ったメンバーはどっと床に座り込んだ。
「すげえーっ。シャレんなってねえよ、コレ」
 食堂の惨状を見渡しながら真っ先に声をあげたのはラルファグ・レキサス。隣にいる、双子の兄、ギルバー・レキサスは弟の言葉遣いに顔をしかめて見せることも忘れて、壁際にへたり込んだまま呆然としている。
「ラルファグ・レキサス。実はこの状況をかなり楽しんでいるのだろう?」
「え? いや、楽しむ余裕なんか全然ないッスよ。すげー、アシェス…」
「ごまかしても無駄だぞ。尻尾が振れている」
「あ。ヤベ」
「あ…あの、陛下」
「どうした、ギルバー・レキサス」
「ど、どうしたって…あの…」
 周囲をしきりに見回して、絶句している。
 真っ二つに割れた大テーブル、砕け散った高価なティーセット、そういったもの達を視線で示しながら次の台詞を探している様子。
 真面目で実直なギルバーの狼狽ぶりに、悪いとは思いつつも吹き出してしまうゴールドウィン。何とか笑いをこらえつつ。
「何、この程度の被害は計算のうちだ。可愛い妹の誕生日プレゼントなのだからな。むしろもっと派手にしてくれてもよかったぐらいだ」
 そこまで言って、壁の穴から覗いているシルヴァリオンに気づく。
「おお、シルヴァリオン。よくやった、アシェス皇子以上の迫真の名演技だったぞ」
「ええっ? シルヴァリオンも『芝居』のこと知ってたんスか?!」
 さっきのアレはどう見ても本気の攻撃だったと言わんばかりにラルファグが突拍子もない大声を張り上げたので、ゴールドウィンはまた吹き出してしまう。
「当然だ。かけがえのない相棒だからな。それに…」
 ゴールドウィンはシルヴァリオンに歩み寄り、空色のウロコを手の平で優しく撫でてやった。
「事前に言い含めておかなければ。シアンレイナをさらおうとしている『悪い飛竜』を体当たりだけで許すワケがなかろう。なあ、シルヴァリオン?」
 同意するように短く鳴いて、シルヴァリオンはゴールドウィンに頭をすり寄せた。
「それにしても…」
 サースルーン・クレイバーの声に、皆が注目する。
 床から立ち上がり、マントについた埃を払ってから、サースルーンはしみじみと呟いた。
「男らしくなったな、サイトよ…」
「………」
「………」
 何か違う。それは絶対に何かが違う。狼人間族の双子はどちらからともなくカオを見合わせ。
 ゴールドウィンは三度吹き出す。今度は抑え切れず、腹を抱えて笑い出した。

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