お姫さまの誕生日−13
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(13)

 中庭を回って王城を飛び出し、トーザ・ノヴァは王都の雑踏へと駆け出した。
 シアンレイナ・レッドパージをさらった飛竜が飛び去ったと思しき方角−ゴールドウィン・レッドパージは『魔道大会の会場がある方角』とやけに限定したものの言い方をしたが−とにかくそちらへ向かって。
 祝祭の雰囲気に浮かれていた人々は、今では不安げな顔を見交わしあちこちに固まってたった今自分達が目にしたもの−晴れた空を不意によぎった飛竜の不穏な影−が錯覚だったのかどうかを話し合っている。
 それぞれの会話に夢中になっている人々にぶつかったりしないように、トーザは巧みに人込みをすり抜けて先を急いだ。
 速度を緩めることも誰かと衝突しかけることもなく、トーザは広い通りを抜け、次は細い道へと走り込む。
 この礼服では少しばかり行動しにくいと感じている自分に気づいて、トーザはちょっと妙な気分になった。普段身に着けているキモノよりもこの服の方がすっきりしたデザインだと言うのに。生地はまだ身体に馴染んでいないのだが、それでもこちらの方が一般的に考えて動きやすい格好であるハズなのだが。それだけ自分はキモノに慣れてしまっていると言うことか。
 再び広い通りへ。角から出たところで危うく老婦人を突き飛ばしそうになってしまい、トーザは足を止めてきちんと頭を下げた。丁寧な謝罪を済ませてからまた駆け出す。
 キモノを普段着とするようになったのは父の影響だが、父親がトーザにキモノを着せたがったワケではない。大好きな父の真似をしたくて同じ服が着たいとせがんだのは物心ついて間もない頃のトーザ自身だ。母親は夫の古着を仕立て直して子供の身体に合うキモノを可愛い一人息子のために作ってやった。
 初めて自分のキモノを着て出かけた日、遊び友達のほとんどに「ヘンなカッコ」だと指をさされてトーザは深く落ち込んだが、その頃既に一番の仲良しだったヴァシル・レドアだけは笑ったりからかったりしなかった。
 前方に煉瓦で出来た建物が見えて来た。背の高い壁に囲まれた円形の建築物。トーザが走っている大きな道に面した側に白い石で縁取りされた広い入り口がある。
 ここは魔道大会の開催期間以外でも色々なイベントの会場として一般に開放され頻繁に使用されている。今も、縁取り部分の石と同じ白い木で作られた両開きの扉が広々と開け放たれ、その付近には何の為かはよくわからないが結構な人だかりがしていた。
 会場のすぐそばまで来たところでトーザは初めて足を止め、わずかに乱れた呼吸を整えながら周囲を何気なく見回し、何となく空を見上げた。
 人が集まっている方に視線を戻し、ちょっと考え込む。
 国王陛下に背中を押された勢いのままここまで一気に来てしまったが、本当に飛竜が去ったのはこちらの方角で合っていたのだろうか? 魔道大会の会場までこうしてやって来た自分の行動は正しかったのだろうか?
 モンスターが途中で方向転換する可能性は当然のごとく考慮せねばならないし、それどころか飛竜がとっくに王都から逃げ出してしまっているという事態も大いに考えられるではないか。むしろそっちの方が有り得る。人間を一人さらっておきながら同じ人間が大勢いる場所にいつまでも留まっているほど、飛竜のアタマは悪くない。
 世間の平均からすればトーザは俊足の部類に入るが、空をゆく飛竜に追いつくことの出来る人間など世界の何処を探してもいないだろう。
 さて、それではどうするのが最善か…。
「あ! トーザさん!」
 思いがけない場所で思いがけない声に名前を呼ばれ、トーザは少しの驚きを隠さず顔に出してそちらを見やる。
 人垣から抜け出してトーザに駆け寄って来る人物が二人。
「トーザさん、もしかしてワイバーンを追っかけて来たんじゃないですか?!」
 目の前に立つなり非常に断定的な口調で話しかけて来たのはイブ・バーム。コート・ベルによく似た型に揃えた薄茶色の髪に鳶色の瞳。レンズの小さな縁なしの眼鏡が知性的で温和な印象を与える。
「そ、そうでござるが」
 突然現れたイブの詰め寄るような喋り方にたじたじとなりつつ、うなずくと。
「せやったら、ちょうどええ! たった今あそこの会場に飛竜がやって来たトコなんや!」
 オーバーアクション気味に後方を示すのはディース・バーム。イブの妹である。姉とそっくり同じ色の髪と瞳、背格好もよく似ているのだが二人の雰囲気はまるで違う。イブと比較するまでもなくディースは感情的で活動的なタイプである。
「会場に、…でござるか?」
 トーザがほんの少しだけ眉をひそめ、ようとするよりも早く。
「そうッ! あの悪い飛竜、姫様を人質にとってるんでしょう!? トーザさん、早く助けてあげなきゃ!」
「そうそう、躊躇してるヒマなんか一秒もあらへんで! お姫さんを助けられるんはトーザさんしかおらんのやから、ビシーッと決めな!」
 イブとディースは左右からトーザの腕をがっしと掴むと、いきなりの展開に混乱しているトーザを半ば引きずるようにして魔道大会の会場へと連れて行った。

 魔道大会の会場はその面積の七割近くを、地面を剥き出しにした殺風景な広場に占められている。目につく大きさの石ころなどはもちろん取り除かれ表面も綺麗に整地されてはいるが、乾いた土が露出している状態には殺伐とした感じが拭い難くあった。
 観客席は広場を丸く囲んだ階段状に設置されている。限りなく正円に近い形をした会場の真北にあたる最上段の一画は、人間族の王家の者や各種族の代表者の為の特別席になっている。
 特別席の前方、北側中断部分の観客席に、サイト・クレイバーはなるべく静かに着地した。翼をうまく広げて巻き起こる風を最小限に抑え、複数段をまたいでいるために少し斜めになっている体勢を完全に安定させてから、そっと手のひらを開く。
 シアンレイナ・レッドパージはサイトに捕まえられたときからずっと気を失ったままでいる。下手に騒がれたりこれ以上怖がらせたりしなくて済んだのは良かったが、これはこれでそれなりに良心が傷むものだ。
 シアンレイナ姫を手の上に横たえたまま、サイトは何かを探すように蒼い瞳をゆっくりと巡らせた。
「皇子」
 小さな声。そちらを振り向く。
 観客席の陰に身を潜めていたノルラッティ・ロードリングが頭だけ上げてこちらを見ていた。サイトが一つうなずいてシアンレイナを載せた手を差し出すと、ノルラッティは姿勢を低く保ったまま素早く近づいて来て、彼の手から姫君の身体を慎重に抱き取る。もっとも、非力なノルラッティのすること、やや傾斜がついている足場からシアンレイナもろとも転げ落ちそうになり危ないところでサイトに支えられたりもした。
「申し訳ありません、皇子」
 ノルラッティは善竜人間族の証である緑色の瞳を恥ずかしそうに伏せ、白い頬をさっと赤らめる。サイトが気にしなくていいと首を左右に振ってみせると、ノルラッティは気を取り直し、観客席に寝かせたシアンレイナに向き直り、両手のひらをかざして回復の呪文を唱えた。白く淡い光がノルラッティの手から滲んでシアンレイナの身体を包み───姫君は深い眠りから覚めるようにその瞳を開け───すぐ目の前にいるノルラッティの顔よりも先に、心配そうに自分を覗き込んでいるサイトの姿−自分をさらった悪い飛竜−を見て、反射的に絶叫しかける。
 ノルラッティがすかさず人差し指を唇に当てるジェスチャーで制止したので甲高い悲鳴は未然に防がれた。訳が分からないままとにかく声を飲み込んだシアンレイナは、何となく飛竜を再度見上げ、途端に拍子抜けしたようなカオになった。
 ノルラッティの動作につられて同じように指を口に当てていたサイトは、自分の現在の姿をはッと思い出して慌てて腕を下ろし、穴があったら奥深く潜り込んでしまいたいとでも言いたげにがっくりとうなだれた。
「ご無礼をお許し下さい、シアンレイナ姫様」
「あなたは…ノルラッティさん、でしたね?」
「覚えておられましたか。光栄です」
 自分よりも少しだけ年上のお姉さん、といった雰囲気のノルラッティに優しく微笑まれて、シアンレイナは徐々に落ち着きを取り戻し始めているようだ。
 観客席に座り直し−いつも当然特別席に案内されるシアンレイナにとっては初めて座る一般席−ノルラッティと飛竜とを、見比べる。
「一体、これは…では、こちらは…?」
 誰かにではなく自分に問いかけるように呟いて、シアンレイナは初めて飛竜の蒼い瞳に気づいた。優しさに満ちた、澄んだ蒼。その色と竜の姿とを重ね合わせる。思い当たる人物は一人しかいない。
「…サイト皇子…?」
 信じられない、という感情を隠そうともせずシアンレイナが囁くのを聞いて、サイトはますますうなだれた。

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