第15章−14
(14)
永劫の闇を見つめていた。
瞳には何も映りはしない。
記憶の果てに遠く霞む風景。
全てを呪い、全てを憎むことと引き換えに得た今の自分。
《漆黒》───真の、『闇』。
自分と同じ白い髪を持つ《白》のシェルは、我らの役目を一番よく理解していた。
『世界』を保つこと。
存在させ続けること。
それこそが至上の目的であったハズなのに。
気の遠くなるような時間の流れの果てに、あってはならない変化が生まれた。
「ディ・ローク・オーシェ」
穏やかな声に振り向くと、メール・シードが立っている。
いや、メール・シードの肉体を借りた、《青》が。
「イクス」
《漆黒》は優しい声でその名を呼んだ。
自分達五人の他には知る者のない、それぞれの本当の名前だ。
「他の三人はどう思うでしょうね」
「…理解してもらえるとは思っていません。してもらおうとも思いません。───もう始まってしまったのです。既に世界の均衡は破られた」
白髪赤衣の魔道士は歩み寄るとメール・シードの手を取った。
「こわくはありませんか」
魔道士が小声で問うと、メールは首を傾げてその瞳を見返した。
「何がです?」
「『世界』が消えれば、我々も消えるのかも」
「元より覚悟のうえです」
囁いて、メールは彼の手を強く握り返した。
「…この時代に生きる者には申し訳ないことをした」
イクスはくすりと笑うと、手を放す。
「『闇』の台詞とも思えませんね。絶対の恐怖の象徴たる『闇』が、申し訳ない、等と」
「憎悪と呪いがこの《漆黒》を生んだ。…もう遠い遠い昔のことになる。憎しみも怒りもいつかは薄れる。呪い続けることなど出来ない。…いつかは、愛に変わる」
ディ・ローク・オーシェはイクスの瞳を見つめた。
イクスはまた小さく笑い、両手を上着のポケットに突っ込んだ。
「そしてその愛はいつかまた憎しみに変わるのでしょう」
「わからない。あるいは、そうかもしれない。断言したくはない」
…私の中にいるこのヒトが、…これからコートの生きるこの世界を守ってくれるなら…。
雨の底で聞いた言葉が《青》の耳元に不意によみがえった。
世界を破滅から救うために、大好きな人達を守るために、生命を投げ出したメール・シード。
今も心の奥底に眠っている。
自分の裏切りに気づいただろうか。
この胸の中で怒り狂っているのか。
それとも、何もかもを諦めたのか…。
…お前は…自分のしたこと、本当に何とも思っちゃいないのかよ?
ヴァシル・レドアのことも思い出される。
見も知らぬコートのために、自分を散々引っ張り回した、真っすぐな蒼い瞳のあの青年。
彼ももうじき消えるのだ。
二人のことを思うと、イクスの胸はほんのわずかだけ痛んだ。
それにコート・ベル。
取り返しのつかないことを自分達はしている。
もし、八つの宝石が揃ったなら…。
期待している自分に気づいて、イクスはまた少し笑った。
バカなことだ。
何もかも、始めたのは私達なのに。
誰かに止めてもらいたいと思っている。
それはディ・ローク・オーシェも同じなのかもしれない。
だから、ガールディーを泳がせている。
彼がその気になれば、所詮一介の人間族に過ぎないあの男の精神など簡単に完全に乗っ取ってしまえるハズなのに。
やはり怖いのだ。
…本当に、愚かなことだ。
「───チャーリー・ファインは運命を変えるでしょうか?」
ふと白髪の魔道士が囁く。
メール・シードはしばし沈黙し、悲しそうに首を振った。
「無理でしょう。きっと、海底神殿で消えてしまう。彼女はあまりに脆すぎる。もう少し時間を与えればよかったのでしょうけど…」
「ならば、ガールディー・マクガイルは」
「チャーリー・ファインが消えれば、彼の精神もまた崩壊するのでは? …望みは薄い。しかし、まだ希望はある」
「…もう一人の、チャーリー・ファイン?」
「そうです。…しかし、我々はおかしな話をしている。世界を消し去ろうという者が、世界を守る術を探している」
自嘲気味に笑い、メール・シードはポケットから両手を引き抜いて腕組みする。
「…神様は、予想しなかったんでしょうか」
白髪の魔道士が彼女を見つめて、言う。
「何を?」
「いつかこんな日が来ることを。…変わらないハズのものが、変わってしまう日のことを」
「…知っていたのかもしれません。全てはやはり、決められた通りのことなのかも」
「私達はあらかじめ書かれた台本を演じることしか出来ないのでしょうか」
相手の答えを待たずに、白髪の魔道士は続ける。
「そうなのかもしれない。…でも、そう思いたくはない。我々は我々の意思で動いているのだと…たとえ錯覚でも構わない」
「ずいぶん弱くなってしまいましたね」
「…何故だろう。不変の負の感情をこそ、あのとき選ばれたハズなのに」
「わかりませんね。私達にわかるのは、…自分達の行動の意味…いや、それすらもよくわかっていないのかも」
「後悔はしていない。しかし、全面的な肯定も出来ない。結局、私は『永遠』にはなりきれなかった。一個の生命として夢を見たかった。ただそれだけ…です」
「時の牢獄から解き放たれる日はもうすぐです」
芝居がかった口調で言って、イクスは遠い目を何もない空間に向けた。
「止まっていた時間が動き出す。結果がどうなろうと。もう誰にも止められはしない。シェルにも、アークにも、キリノにさえも」
《青》の言葉に、《漆黒》は静かにうなずき、その台詞を頭の中で繰り返す。
破滅は始まった。
誰が生き残るかはわからない。
自分達さえ死ぬかもしれない。
───それでも消せない想いがある。
第15章 了
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