第10章−6
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(6)

 光!?

 アシェスは反射的に顔を上げた。
 そうやって動くのはもう何日ぶりのことだったか。
 それから、目を開ける。
 慎重に…。

 鉄格子が見えた。
 黒く、冷たい、鉄の棒の行列…闇の中では、見えるハズのないものが。

 アシェスは戸惑い、立ち上がろうとした。そのとき。地下牢へと続く階段を下って来る複数の足音を耳にして、アシェスはそちらに顔を向ける。


「皇子!」

 牢の中で片膝をついた姿勢のまま呆然と佇んでいるアシェスの姿を見つけ、カディスは声をあげて鉄格子に走り寄った。
 ラーカとリンドも急いで駆けつけて来る。

「お前達は…」

「もう大丈夫ですよッ、皇子様! 今助けますからね!」

 地下牢の雰囲気には見事なまでにそぐわないあっかるい声でリンドが言っている間に、カディスは鉄格子の一部に作りつけられた分厚い鉄板のドアに掛かった錠前に近寄り、どこからか取り出した針金で仕事を始めていた。
 ほどなく錠前は外れ、鉄扉が開かれる。

「さあ、早く!」

「しかし…ここから出て…」

 それから一体どうすると言うのだ、と問いたげなアシェスの表情を素早く読み取って、

「とりあえずはバルデシオン城に一旦身を寄せられてはいかがでしょうか」

「バルデシオン城に?!」

 カディスの言葉に自分の耳を疑っているようなカオで向き直る。

「あの城には今、チャーリー・ファインが来ています。世界一の大魔道士…今回の事態を収拾するため、動いているようです。必ずや皇子の助けになることと確信しますが」

 ラーカが付け足すが、アシェスはなおも迷っている様子だった。
 唇を堅く引き結び顔をうつむけたまま、牢から出て来ようとしない。

 邪竜人間族の皇子であるアシェスにとって善竜人間族の居城であるバルデシオン城に逃げ込むというのは、これ以上ない屈辱のように感じられるのだろう。

 …しかし、そうするしかない。
 きっと差し向けられるに違いない邪竜人間族の追っ手から身を守るためには、身を寄せるのは善竜人間族のところでなければならない…。

 体の横で握り締められた拳がかすかに震えているのをカディスははっきりと見た。
 …さぞお辛いに違いない。
 憎んでやまないバハムートに庇護を求める立場に立たされるなど、少し前までは夢にもお思いにならなかったはずなのだから…。
 それでも、皇子。

 あなたは生きなければならない。
 どんなことになろうと───。

「…───わかった。バルデシオン城へ行こう」

 自分自身に命令するように言って、アシェスは立ち上がった。
 しっかりとした足どりで鉄格子の中から出て来ると、ラーカ達に向き直る。
 水を含んだ大地のような焦茶色の瞳は寒気がするほど強烈な光に満たされていた。
 その気迫に、三人は思わず背筋を延ばす。

「…でもおにいちゃん、バハムートの王や皇子が皇子様をかくまってくれるかしら…」

 リンドが小声で不安そうに問う。

「…わからん。しかし…」

「行くしかあるまい」

 ラーカの言葉を強い語調でアシェスが引き取った。

 そうだ。
 行くしかない。
 オレは生きなければならない。
 生きて…助け出さなければならない、王を。
 取り戻さなければならない…邪竜人間族…我らの誇りを。

 アシェスが断固とした決意を固めたとき、にわかに階段の辺りが騒々しくなってきた。

「マズイ、上の奴らに見つかったか」

 カディスが舌打ちする。

「アンデッドなら何人来てもどうってことはないが…」

 ラーカが階段を見上げる。

「移動魔法で一気にバルデシオン城の近くまで行っちゃおっか?」

 リンドがそんな二人を交互に見て提案する。

「お前、この人数を飛ばせるか?」

 ラーカが問い返すと、リンドの瞳は急に申し訳なさそうに曇ってしまう。

「ううん…リンド入れて、三人が限界。二人しか…」

「つまり…」

 ラーカとカディスが同時にお互いの顔を見る。

「どっちか一人はここに残るってコトか?」
「そんなぁ! そんなのヤだよ、どっちも置いてけないよ!」
「だが、そうは言っても…」

 足音は刻一刻と接近して来る。
 もはや一刻の猶予もない。
 一体どうすれば最善なのかわからなくなって三人が言葉を失くし、黙り込むのを待ち兼ねたようなタイミングで、

「オレが転送魔法を使える。先に一人それで送っておけば問題はないだろう」

 アシェスが口を開いた。

 原則として転送魔法で自分自身を飛ばすことは出来ない。
 また、移動魔法で他人だけを移動させることも出来ない。
 移動魔法よりは転送魔法の方が習得するのは難しい。
 だからと言って、転送魔法が使えれば移動魔法も使えるというものではない。

「じゃあ、カディスの方をお願いします」

 ラーカが示すと、アシェスは無言で首を縦に振り、手早く呪文を唱える。
 カディスの姿はあっという間に地下牢から消え去った。

「そいじゃ、出来るだけ近くに寄って下さいね…行きますよ」

 リンドは口の中で小さく呪文の詠唱を始めた。

 ラーカはその間もずっと階段を注視し続けている。
 足音は間近に迫った。
 十秒もしないうちに最初の相手が姿を見せるだろう。
 そいつがアンデッドならばまた動きを止めてやればいい…もしアンデッドでなくとも、その頃にちょうどカディスの照明魔法の効力が失われるハズだ(照明魔法は術者が魔法でその場から飛ばされてしまった場合でも、十数秒間なら効果を持続出来るのである)。
 すぐには攻撃して来られないだろう…その隙に呪文が完成し、逃げ果せる。

「ヴァユ・ラ…」

 リンドの声が不意に耳に飛び込んで来た。

「カルシオグ…」

 三人をすっぽりと囲むように、球状の薄青い光の膜が出現する。

「マーシェイ!」

 魔法が発動する。
 強烈な閃光。
 と同時に照明魔法の切れた牢の闇を、その閃きが再度打ち破る。

 一瞬間に、照らし出された風景。
 輝くように白い髪を長く垂らした、真紅の衣の魔道士の姿…走り寄ろうとした『白い髪の魔道士』を、最後の最後で腕を上げて制した−ガールディー・マクガイル。

 直後、視界は暗転する。

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