第10章−2
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 エルスロンム城の裏手側。
 通常でさえあまり陽光の射さない裏庭の一角は、空を薄く覆う魔界の霧のせいで薄暗いを通り越して半ば夜のようになってしまっている。
 その中でも一番暗い場所にある、枯れかけた植え込みの陰には…。

「あっ! 出て来たよ」

 エルスロンム城の角を回り込んで、ひどく焦った様子で駆けて来るガールディー・マクガイルの姿に気づいて、それまで息をひそめて様子を窺っていた小さな影が、横にいる大きな影の服の袖を引っ張った。

「おいおい…ずいぶん慌ててんな。まさか、バレたんじゃねーだろうな…」

 大きい方の影の呟きを聞き流しながら、小さな影がサッと立ち上がる。
 ちょうど植え込みの方に顔を向けたガールディーに黙ったまま大きく手招きする。

 それを目にするや、ガールディーは角から出て来たそのままの勢いで植え込みの陰に飛び込んで来て、地面にぺったりと座り込み大きく安堵の息をついた。

「お疲れ様ッ、おにいちゃん!」

 小さな影−腰まである真っ赤な長髪を、リボンで結んだりなんかはしないでストレートのままさらりと背中に流し、草色の法衣を身にまとった邪竜人間族の少女−がガールディーに向かって微笑みかける。

「ドジ踏んだりはせんかっただろうな」

 大きな影−自分でも鬱陶しく感じるくらいに伸ばした前髪をけだるそうな仕草で掻き上げながら、植え込みの後ろ、芝生の上にずっと胡座をかいて座っていた、薄茶色の服を着たドラッケンの青年−が値踏みするような目でガールディーを見る。

「大丈夫だ、その点は心配ない。早く元に戻してくれよ」
「おっけい」

 法衣の少女が陽気な声で応じると、ガールディーに人差し指を向けた。
 小声で短い呪文を唱えると、ガールディー・マクガイルの姿はたちどころに消え去り、代わってそこに座っていたのは、バルデシオン城下町の酒場で大騒ぎをやらかしたあの隻腕の死体操者、ラーカ・エティフリックであった。

 ラーカは元に戻った自分の姿を確かめるようにさっと一渡り身体を見下ろしてから、再度大きく息をついた。

「リンドの幻術、すごいでしょ?」

 少女が身を乗り出すようにして笑顔で言うのに小さくうなずいて、

「確かに。お前のおかげでずいぶん重要なこともわかったよ」

 ラーカは片手で妹−リンド・エティフリックの頭を撫でてやった。

「重要なコトッて?」

 兄妹の様子を見るともなく眺めていた青年−カディス・カーディナルが、見ているぶんにも切ってやりたくなるぐらい邪魔そうに顔の前に垂れ下がった緋色の髪の隙間から鋭い光を宿した瞳をラーカに据える。
 それに気づいてラーカもカディスを見返した。
 子供の頃から隣同士の家で親友の付き合いを続けて来たこの腕利きのシーフの先導で、ラーカとリンドは誰にも気取られることなくエルスロンム城の裏庭に忍び込むことに成功したのだ。

 その後、幻術士イリュージョナーであるリンドの術でラーカはガールディー・マクガイルに姿を変えた。
 と言っても本当に変身したワケではなく、彼を見る者の目にラーカの姿がガールディーに見える魔法をかけたのである。

 しかしなにぶんリンドはまだ未熟な幻術士なので、術の効果がいつ切れるのかは無責任なことながら本人にもわからない。
 アル・レリプから皇子を地下牢に監禁してあると聞くや否や実はラーカであるガールディーが慌てふためいて走り去って行ったのは、それが当面解決するべき最も重大な事柄であると判断したからであり、幻術の効果が突然切れるかもしれないというようなコトが唐突に不安になったからである。

 アル・レリプに出会って交わした会話の逐一を、ラーカはリンドとカディスに手短に話して聞かせた。

「えー! 皇子様が地下牢に?!」

 リンドが両手で口を押さえつつ驚きの声を漏らす。

「行方知れずだと聞いてはいたが、まさかそんな目に遭われているとはな」

 カディスが難しい顔で首を垂れる。
 そうしてしまうと長い前髪が深く覆いかぶさって表情はまるで見えなくなってしまう。
 腕組みしたまま、カディスは暫時沈み込むように口を閉ざしていた。

 その間に、リンドがラーカに顔を向ける。

「で、おにいちゃん、とーぜん皇子様を助けに行くよね」

「聞いてしまった以上無視するワケにはいかん…とは言うものの」

 一本だけの手を顎に当てて、ラーカは眉間に皺を寄せた。
 一段落とした声で独り言のように続ける。

「地下牢に入るとなると骨だな…城内で騒ぎを起こせば」

「最悪、本物のガールディー・マクガイルが出て来ちゃうかもしれないもんねー」

 リンドが兄の台詞を引き取ってため息をついた。
 カディスがふと顔を上げる。

「何にしてもいつまでもここにいることも出来ないぜ。牢に行くなら行く、引き上げるなら引き上げる、どうするんだ?」

 鋭い瞳がラーカを見る。
 顎から手を外し、ラーカはリンドとカディスとに等分に視線を投げてから、

「牢に行こう。何とかなるだろう」

 植え込みの後ろからそっと顔を出して周囲に誰もいないのを確認してから素早く立ち上がる。
 二人もそれに続いた。

「地下牢の場所知ってるの?」

 リンドが小さく首を傾げてラーカを見上げる。
 ラーカはふと動きを止めた。

「…詳しくは知らんが…地下牢っつーぐらいだから、きっと地下だろう」

「そんなことでどーすんだよ…しゃーないな、案内してやるからついて来い」

「お前、地下牢に入ったことあるんだろ」
「そーゆーひねくれたコト言ってんと協力してやらんぞ」
「えっ、カーディさんって罪人だったんだ?」
「つくづくかわいくねぇ兄妹だなァ!」

 そんな軽口を叩きつつも、真剣な表情で三人の邪竜人間族はそっと裏庭を出て行った。

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