第10章−3
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 アシェス・リチカート−現在邪竜人間族の王であるガルヴェストン・リチカートの一人息子、つまりは邪竜人間族の皇子である。

 普通のドラッケンよりもやや暗い感じの赤色をした髪に、雨に濡れた豊饒な大地の色を思わせる焦茶の瞳を持つ。

 年齢はサイトよりも一つ上。

 ほぼ同時期に誕生した、対立する二つの種族の二人の皇子はことあるごとに比較されながら−お互いの存在を心の隅で気にかけながら、それぞれの人生を歩んで来た。

 サイトとアシェス−立場は違えど、よく似通った生き方をして来た−自分の属する種族を愛し、相手の属する種族を憎んだ−『光』と『闇』の比喩で語られる二人の皇子。

 その片方が自分の城の食堂で信頼する仲間達とお茶の時間を楽しんでいた頃、もう一方は自分の城の地下牢の片隅でたった一人うずくまっていた。

 一条の光も射さぬ地下牢の暗闇の中、真四角な石室の一隅に身体を寄せ、両腕で膝を抱いた姿勢のまま、アシェスは堅く瞳と唇とを閉ざしていた。

 もう随分前からそうしている。
 正確にはこの牢に入れられたときからずっと。
 そうやって身体を丸めたまま、一日に二度運ばれて来る食事にもまるで興味を示さずに、死んでしまったかのようにアシェスは身動き一つしなかった。

 もちろん、彼は死んでしまっているわけではない。
 眠っているのでもない。
 目は閉じているものの、彼の意識はこのうえなくはっきりと覚醒していた。

 この数日間アシェスはろくに眠っていなかった。
 時折浅い眠りに引き込まれることはあったが、ほんの些細な物音にもその眠りは破られ、すぐに目を覚ましてしまう。

 瞳は閉じたままで、アシェスは覚醒と睡眠の間を行きつ戻りつしていた。
 そうしながら、とりとめのない思考が自分の頭の中をほとんど勝手に流れていくのを、他人事のように感じていた。

 一体…どのくらい時間が経ったのだろう。

 数日のような気もするし…数週間のようにも、数年のようにも思える。

 それともまだ数分しか…あるいは数秒しか経過していないのだろうか。

 時間感覚は完全に麻痺して役に立たなくなっていた。
 一寸の光も射さない闇の底にかなり長い間閉じ込められていたものだから、体内時計すらその動きを止めてしまったようだ。

 空腹も…眠気も感じない。
 まるで…死人のようだ。

 ここは何処だ?
 エルスロンム城の地下牢。
 何故こんな所にいる…何故こんなことになった。すべてがおかしくなってしまったのは…すべてが狂ってしまったのは…何時のことだったか…。

 アシェスの脳裏に『そのとき』のことがまざまざと蘇ってくる。

 突如現れた魔道士。
 強力な催眠術。
 手もなく精神を乗っ取られた父王…城兵達…どうして自分にだけは効き目がなかったのだろう?

 咄嗟に剣を引き抜き、魔道士に斬りかかったものの、銀の刃は後から出現したもう一人の火炎魔法に一瞬に溶かされた。
 武器を失くしたちどころに取り押さえられてしまった…なのに、アイツは殺さなかった…地下牢に入れておけと、冷酷な目が告げた。

 何故生かしておいた?
 一思いに殺せばよかったのだ。

 何も守れなかった…これほど情けない話があろうか。
 なす術もなく…こんな場所へ…自分の城の…こんなことが…!

 思考はいつもそこで焼きついて止まってしまう。

 もう何度、繰り返しただろう…過ぎたことを悔やんで自分を責めてみたところで、そうしたからといって何が変わるわけでもない。
 何も変わらない…何一つ、変えられない。

 無力だ…。

 牢を破って逃げることは、容易い。
 逃げるだけならいつでも出来る。
 城の兵士達が何人かかって来ようと後れをとる自分ではないし、あの魔道士達にだってやられたままで引き下がっていたくはない。

 勝てないと、わかっていても…あの魔道士達が怖くて地下牢に引き籠もっているワケでは、決してない。

 どちらかと言えばこうして生き延びさせられているよりは、いっそ殺されてしまいたい気分なんだ。
 …自分一人ここから逃げても、何も変わらない。
 王も、城の者も、自分には助けられない…どうしようもなく、力がない…。

 絶望と倦怠の底に沈み込むに任せ、アシェスはより深く瞳を閉じる。

 光の射さない独房。
 闇に包まれた空間。
 他の種族なら耐えられまい。
 自分の手のひらさえ見ることの出来ないこの暗黒には。

 しかし、我らは違う。
 ドラッケンは『闇』の種族。
 四囲を取り巻く闇はむしろ心地よい。

 このまま、この『昏さ』の中に…溶けてしまえたら…。

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