第11章−1
         10 11 12 13
《第十一章》
(1)

 急に乱暴に右肩を揺さぶられて、ガールディーの意識は重たい眠りの底から現実の中へと引きずり出された。

 それまで無音だった世界に、周囲の喧噪が騒がしくも心地良く戻って来る。

 とりとめのない話し声、食器やグラスのぶつかる音、忙しなく行き来する足音…そして、自分の名を呼ぶ聞き慣れた声。

「ガールディー!  こんなトコで寝てんなよ、起きろってば!」

 自分を揺さぶる手は肩を離れて頭に移り、後頭部の髪の毛をぐしゃぐしゃとかき回した。
 感覚が次第に回復する…辺りの熱気と、アルコールの匂い…を感じて、ガールディーはようやくうっすらと目を開けた。

 目の前に自分の腕がある。
 顎には木の肌触り。
 どうやらテーブルに突っ伏して眠り込んでしまっていたようだ。

「目ェ開いたか?  お前のお師匠さんが呼んでんだぞ、聞こえてっか?」

 声に急かされ、ゆるゆると頭を上げる。

 右側に立って彼を見下ろしていたのは、金髪碧眼の青年だった。
 質素な革の鎧を身に着け、頭には赤と黄色とでデザインされた派手なバンダナを巻いている。

「…チャーリーは…?」

 彼の顔をぼんやりとした眼差しで見つめながら、自分でも無意識のうちにガールディーは呟いていた。

「はあ?」

 青年は思いっきり怪訝そうに眉を寄せると、自分のこめかみの辺りに左手の人差し指を当てて、

「お前、大丈夫かよ? 飲み過ぎていよいよアタマ壊れたんじゃねーだろうな?」

「…ヴァシルか…?」

 焦点の合っていない瞳でガールディーは確かめるように自分に囁き、青年がそれを聞き咎める前にハッと気を取り直して、

「ラスキか!」

 今初めて気づいたと云ったような、それでもしっかりとした声で言い、完全にテーブルの上から身体を起こした。

 少なからぬ眩暈感…頭の芯にこたえる鈍痛。
 鼻の先で匂ったアルコール臭から判断するまでもなく、完全に二日酔いの症状が出ている。

 飲み過ぎた…ついさっきのラスキ・アロステリックの言葉を遅ればせながら理解して、ガールディー・マクガイルはようやく思い出した。
 テーブルに突っ伏して眠り込む前のこと…つまり、今いるここは彼の行きつけの酒場で、魔物退治の報酬金で懐があったかくなった彼は…夕方から飲んでいた…。

 ガールディーがぼけーッとした表情で言葉をなくしているのを見て、ラスキは呆れて、と言うよりはもっぱら情けなさのあまりに深くタメ息をついた。

「いくら儲かったからって前後不覚になるまで飲み明かす奴がいるかよ。んなコトしてたら絶対早死にすっかんな」

「…飲み明かした…?」

「そーだ。もう次の日の夕方。何考えて生きてんだよ、お前」

「ガールディーさん、明け方からずーっとその席で酔い潰れてたのよ」

 ラスキが立っているのとは反対方向から不意に声がかかった。
 振り向くと、栗色の髪の少女がにこにこと屈託のない笑顔で二人を見ている。
 手には銀の丸いお盆を持って、黒地に白いリボンが飾られた丈の短い長袖のワンピースに薄いピンクのフリルいっぱいのエプロンをかけて、親しげに微笑んでいる。

「お父さんは起こしてどかそうって言ったんだけど、あんまり気持ち良さそうに熟睡してたから、このままにしといてあげてって私と姉さんとでお願いしてたのよ」

「そ…そりゃ、悪かったな…だったら、飲み代の他に迷惑料もいるよな。えっと…」

 ガールディーは懐に手を入れると、なめし革製の使い慣れた財布を取り出した。
 中身を確認して、思わず顔色を変える。

「これ……」

「昨夜ずいぶんと景気よくバラまいてたわよ、ガールディーさん。おかげで大人気だったけど」

「かーッ、情けねぇ。酒に手ェ出すと人生ロクなコトになんねえってしつっこいくらいにヒトが忠告してやってんのに、コレだもんな」

 ラスキは大袈裟に肩をすくめて首を振ってみせた。

「俺も情けないよ…で、エリーナ、結局代金はいくらなんだ?」

「もうっ、また間違えてる!」
「えっ?」
「エリーナは姉さんの方、私はユシーナ! しっかりしてよね、ガールディーさん!」
「あ…ああ、悪い悪い…つい…」

 この酒場の主人の娘達が他人には全く見分けがつかないくらいによく似た双子だったことをようやく思い出した。
 あんまりそっくり過ぎて周囲の人間が混乱するといけないという理由で、双子がいつも同じデザインで色違いの服を着ていることも。
 妹のユシーナは黒地に白い模様の服、姉のエリーナは白地に黒い模様の服。

「今後気をつけてね。それから、代金のコトだけど、もういいわ。昨夜私と姉さんとでたっぷりチップもらっちゃったし、それに…ガールディーさんがどれくらい飲んだかなんて誰にも正確にわからないんだもの」

「そ、そんなに飲んだのか…?」

 不安になって思わずテーブルの上に視線を巡らすが、昨夜彼が使ったと思しき食器類はもちろんとうの昔に片付けられている。

「おい、それよか早く行かねーと…」

 ラスキがガールディーの肩に手を載せた。

「どこに?」

「ヒトの話全然聞いてないのな、お前…お師匠さんが呼んでんだよ! お前の!」
「あ…そ、そうか、それじゃ行こうか…」
「ったく、どーしようもない奴なんだからよ…それじゃ、迷惑かけたな」
「いーえ、ちっとも。また来て下さいね、ガールディーさん。今度はラスキさんもご一緒に」

 ユシーナに見送られ、ラスキに腕を引っ張られてガールディーは酒場から出た。
 夕闇に包まれかけた外気の鋭い冷たさが肌に染みる。

「寒ッ…」

 首をすくめたガールディーを振り返って、唐突にラスキが尋ねた。

「お前、一体何の夢見てたんだ?」

「夢…?」

「ワケのわかんねーコト言ってただろ、チャーリーは、とかヴァシルとか…」

 前方に向き直り、大股に歩きつつ、ラスキは言葉を続ける。

「…夢、か…夢にしちゃ、いやにリアルなもんだったな」

 遠い過去を回想するようにガールディーは呟き、それから先を行くラスキの背中に向かって、

「それが、おかしなとしか言いようのない夢だったんだ。俺に子供がいてな」

 その時点でラスキは路上の小石につまずいて転倒しかけた。

「な…何だよ、そのリアクションは」
「い、いや、気にしないで続けてくれ。で、どんなガキだったんだ?」

「そいつの名前がチャーリーで、凄腕の魔道士なんだよ。自他共に認める世界一ってヤツで」

「ホントにお前の子かよ? お前、魔法の才能なんてからっきしじゃねーか。そんな奴からそんなガキは生まれて来ないんじゃねーか?」

「うるさいな、別にどーでもいいじゃねえかよ。所詮夢なんだから…」

 いつの間にかガールディーの腕を離して隣を歩いていたラスキに向かってそう言った途端、彼の頭に鈍い痛みが走った。

「そりゃそうだ、他人のユメに文句はつけらんねーよな」

 二日酔いによってもたらされる痛みとは違う…根本的に別種の痛み…。

「それが、そいつがまた気の強い、傍若無人な性格した奴で」

 自分の声が、他人のもののように聞こえる…さっきのラスキの言葉…俺は魔法が不得意だった…?

「その性格は親父譲りだな、完ペキに。ガキも自信家ってワケか」

 そうだ、俺は魔法が苦手で…依頼された魔物退治だって、結局剣で…。
 ガールディーが思い至ったとき、自らの存在をアピールするかのように腰の所で長剣の金具が音を立てた。

「俺はそいつとケンカばっかりしてんだ。寄ると触ると言い合いになって」

 俺が『世界一の魔道士』と呼ばれるようになったのは…魔道の勉強を必死で始めたきっかけになったのは…。

「似た者同士はよくぶつかるんだよな。自信家同士じゃなおさらだ」

 ラスキ…お前は何故、俺の横で喋っているんだ?
 おかしいじゃないか。
 お前は、死んだハズじゃないか。

「そうそう。お互い一歩も譲らないもんだから、収拾つかなくなって…それでも最後に折れるのはいつもチャーリーの方なんだ。いつまでも付き合ってらんない、なんて生意気なコト言うんだけどよ…」

 いや、ラスキのことはこの際どうでもいい。
 俺の思い違いだったのかもしれない。
 でも、俺が魔道の修行に力を入れ始めたのは…。

「へえ、なかなかいい娘じゃねえの。お前にはもったいないぐらいだな」

 今夜、出逢う誰か。
 それが俺の運命を決めた。

 ガールディーの胸に突然確信に近い響きを伴ってそんな言葉が湧き起こった。
 何の根拠もない…それでいて、妙に信憑性のあるその言葉…。

「それが、あるときどうにもおさまりのつかねーくらいひどいケンカをしちまうんだよ。原因はわからないんだが…今にも殴り合いになりかねないくらいヒドい言い争いになって」

 ───そうだ。
 そしてチャーリーは、結果的に俺のそばに居辛くなって、出て行った…。

「チャーリーがまたおかしなことを言いやがるんだよ。『アンタのしたことは結局何も変えなかった、それどころか自分の心の傷を癒せなくしているだけだ、これ以上アンタの現実逃避の手伝いはしてられない』───」

 そこまで言って、ふっと黙り込んだガールディーの顔をラスキが不審げにのぞき込む。

「どうかしたか?」

 それには答えず。

 そうだ、あのときアイツははっきりこう言ったんだ。

『闇の鏡を創ったところで』

 …俺達は本当に師匠の家に向かってるんだろうか?
 さっきから一体、何回曲がってどのくらいの距離を歩いたのか…?

『何かを取り戻せるわけもない』

 周囲がやけに暗くなってきた。
 すぐそばを歩くラスキの姿さえ闇の中に溶けてゆく。
 目の前の町並みも、最初からそこに存在していなかったかのように、消えていく。
 夢なのか…これも、夢だったと言うのか。

『私はどうしてここにいるんだ?!』

 胸の奥に声の破片が突き刺さる。

 激痛…頭と、胸と…。

 一生涯つきまとって離れないだろう痛みが襲う。

 これが夢だというのなら、こんな悪夢は早く醒めてしまえばいい。
 夢から醒めた先にまた夢が待ち受けているのだとしても、そこに待ち受けているのがもっとひどい悪夢なのだとしても。

 チャーリー…お前は、本当に…。

 ───どうして、そこに、いるんだ?

前にもどる   『the Legend』トップ   次へすすむ

Copyright © 2001 Kuon Ryu All Rights Reserved.