第11章−10
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(10)

「引き上げますわよ、ドリューク!」

 ジュナの言葉に、ドリュークがうなずく。
 二人の姿は空気に溶け込むように消え去った。
 移動魔法とも転送魔法とも違う独特の消え方である。
 邪竜人間族に特有の方法でもあるのかもしれない。

 チャーリーとヴァシルは地上から自分達の様子を見守っていたゴールドウィン達のすぐそばに降り立った。
 ヴァシルは身軽にグリフの背から降りると大地に足をつけた。
 高い所は別に怖くないが、やはり地面の上の方が落ち着く。

「逃げられたのか?」
「逃がしたようなもんです」

 ゴールドウィンの問いにチャーリーはそっけなく答えた。

「何故です?」

 ゴールドウィンの脇に控えていた隊長が思わず口を挟んだ。

「向こうにもこっちにも戦う気は特になかったからね。それに、今一人や二人倒したところでどうしようもない。かえって相手を刺激する結果になるかもしれない」

「冷静な判断だな。実害が出ていない以上、戦闘は避けるに越したことはない。…それでは、ついでだから早速翡翠を持って行ってもらうとするか」

 ゴールドウィンは視線で王家の洞窟を指した。
 隊長が意外そうな表情でまた会話に混ざる。

「ですが、陛下、あの宝石には手を触れることが出来ないのでは…」
「ところがヴァシル・レドアには触れることが出来るらしい。そうだな?」

 ヴァシルはこくんとうなずいた。
 無言である。
 そろそろ空腹になってきたらしく、考えているのは翡翠のことではなく王城で昼食に何が出されるのか、ということだった。

 隣ではチャーリーが寒そうに背中を丸めている。
 どうせ彼女は宝石に触れることが出来ないのだから先に王城へ行っていても良かったのだが、そういう気にはなれなかった。
 いやなものがそこにいるような予感がするのだ。
 王城にかどうかはわからないが、王都には確実にいると思う。
 いや、もしかしたらファムランにいるのかも…だったらいいのに。


 ともかくゴールドウィンを先頭にチャーリー達は洞窟内に入った。
 途端にそれまで目が痛くなるぐらいの強さで辺りを照らし出していた緑色の光が弱まった。
 目に優しい明るさで周囲を満たす。
 おかげで明かりも照明魔法も必要ない。

「宝石の精霊がヴァシルさんが来たことに気づいたようですね」

 メールが落ち着いた声で言う。
 彼女と並んで歩いているチャーリーは投げやりにうなずき返した。
 ヴァシルはゴールドウィンの後ろを歩いている。
 見張りに立っていた人間達は全員外に残っていた。
 チャーリーとヴァシルがいるのを見て、これならたとえ洞窟の中で何が起きようと国王陛下に危険が及ぶことはないと判断したようだ。
 シルヴァリオンはもちろんのことだが、グリフも表で待機している。
 洞穴を住処にしているグリフォンのくせに閉じられた空間は好かないらしい。

 入り口から洞窟の奥に向かって真っすぐ伸びたやや太めの通路の左右には、所々にヴァシルの身長より少し高いぐらいの石の扉が並んでいた。
 目の高さほどの所に一つ一つ違ったデザインのマークが彫り込んである。
 扉の向こうは細い通路になっていて、その突き当たりに宝物を保管してある部屋のドアがあるそうだ。
 そこまでの細い通路と部屋のドアには盗賊よけのトラップが仕掛けられている。
 罠は魔法の力で作動するもので、王族の人物の生命反応を感知したときのみ動かないようになっている。
 だから王族の人間に無断ではたとえ側近の者と言えども容易には宝物を持ち出せない。

 最初に緑色の光が騒ぎになったとき調査に向かったグループには先王の弟、つまりゴールドウィンの叔父の姿があった。
 兄が退位したあとにゴールドウィンに王冠を譲ったことに、異議を差し挟むどころか文句一つ口にしなかった寛大な人物だ。
 と言うよりも、旅好きな性分なので行動を制限される王にならずにすんでむしろ有り難がっていることだろう。

 一行は洞窟の一番奥、突き当たりにある一際大きな石の扉の前に立った。
 その扉に刻まれているのは、遥か昔人間族を初めて種族としてまとめあげ統治しオルドヴァイモント−過去の国を築いたことでその名を後世に伝えられている《始源王》フィリース・ベルソレンムが制定したベルソレンム王家の紋章だった。
 どうやら、今まで通り過ぎて来た石の扉に彫られていたものも歴代の人間族の王家の紋章であるらしい。
 とすればどこかにレッドパージ王家のものもあったのだろう。
 だろうが、チャーリーはあまり周囲を観察していなかったのでわからない。

 そんなコトには構っていられないほど本格的に寒くなってきた。
 俗に、バカは風邪をひかないと言う。
 世界に存在する無数の呪文や膨大な魔法の知識を完璧に暗記し、しかもそれらをいつでも口に出して言うことが出来るチャーリーがバカであるワケがない。
 だから多分、風邪をひいたのだろう…。
 しかし、そんな彼女を気遣ってくれるような人間はここにはいない。
 サイトとは言わない、せめてトーザでもいれば心優しい言葉の一つでもかけてもらえるのだろうが、ないものねだりをしてもしょうがない。

 小刻みに震えているチャーリーには目もくれないで、ゴールドウィン達は石の扉の前に立っている。
 そう、扉の前に。

「…なんで光がこっちに抜けて来るんだ?」
「さあな」

 ヴァシルの素朴な問いにゴールドウィンはちょっとだけ首を捻ってから短く答えた。

 石の扉と周囲の壁との間にはそれこそ蟻が這い出ることの出来るような隙間もない。
 おまけにそこから宝物の部屋に行き着くまでにはまだ通路があり、そのうえもう一枚のドアが間にあるのだ。
 それなのに、緑色の輝きは石の扉の存在を否定してでもいるかのように通路に溢れ出て来ている。
 扉そのものが発光しているのでは無論、ない。
 光が石の板を貫通しているのだ。

「人間族の統率者、レッドパージ王家の長、ゴールドウィン・レッドパージ。遠き朋友の残せし財宝を、我の手に」

 ゴールドウィンが言葉をかけると、ベルソレンム王家の紋章が真ん中から割れる位置から、一枚岩に見えた扉が左右に動き出した。

 通路の向こうにもう一つのドアがある。
 五十歩ほど行けば端に着く短い通路であった。
 チャーリー達が見るぶんには何の変哲もない少し黴臭いだけのただの一本道である。

 もしここにコランドがいれば、このどこにでもありそうなありふれた小道の少なくとも七カ所に侵入者の足止めをするに十分な罠が、三カ所に引っかかった者の生命を奪いかねない罠があるのを見抜いて震え上がったに違いない。
 そして致死性の三つのトラップのうちの一つが大昔の技術で仕込まれたもので世界一の腕利きの自分にも外せないタイプの罠であると知るに至って、王都を活動の拠点にしながら王家の洞窟だけは狙わずにいた自分自身の賢明さに拍手を贈りたくなったかもしれない。

 だがまあ、ここにコランドはいない。
 それに、ゴールドウィンがいる限りここはタダの通路である。
 であるからして、チャーリー達はあっけなく奥のドアの前まで来た。
 そしてゴールドウィンはあっけなくそのドアを開けた。

 『闇』を払う伝説の八つの宝石の一つ、カムラードという名の大精霊が宿る森の翡翠との対面の瞬間である。


 翡翠は部屋の中央正面ではなく、右手側の壁に近い所に置かれていた。
 四人の視線が自分をとらえたのを確認してから、翡翠はようやく輝くのをやめた。

『やれやれ、やっと来おったか…もっとも、ワシが呼んでおったのとは違う人間のようじゃがな』

 頭の中で、いかめしい響きを伴ったしわがれた老人の声が聞こえた。

「アンタが翡翠の精霊なんだな?」

 「大森林が過ごしてきたのと同じだけの年月を生きてきた大精霊」に対する敬意などかけらもないぞんざいな口調でヴァシルが言う。

「結局誰を呼んでたんだ?」
『狼人間族の族長の息子、ギルバー・レキサスじゃ。森の民である狼人間族こそがこの翡翠の持ち主には相応しい。王都までは来ておるようじゃが、お前さん方に先を越されたな』
「ギルバー・レキサス…バルデシオン城にいたラルファグ・レキサスの兄上だな」
「だったらちょうどいいじゃねーか、オレ達も王都に用があるし、ついでにギルバーって奴を捜し出してアンタを届けてやるよ。それでいいだろ」
『ワシに特に異存はないが…』
「じゃあ決まりだな」

 ヴァシルはすたすたと歩み寄ると無造作に翡翠を掴み上げた。

「よしっ、これでここにもう用はないな。こんな陰気臭いトコさっさと出ちまおうぜ」

 確かに、翡翠の光が消えた途端あたりは気が重くなるような暗闇の中に沈んでいた。
 チャーリーが照明魔法を使うと暗さはなんとかなったが淀んだ空気の陰鬱さはどうにもし難い。
 魔法の光と精霊が放つ光とは根本的に違うのだ。

「そうだな…王城へ引き上げよう。魔道士チャーリーが風邪をひくかもしれないからな」

 もうひいているような気がする。

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