第11章−5
(5)
エドニー山脈を越える。
王都の広大な街並みが広がった。
人間族の本拠にして、世界最大の都市。
バルデシオン城よりもエルスロンム城よりも規模の大きい建築物である王城を市街の中心部に据え、そこから伸びた放射線上の道路に沿うように街は発展している。
考え得る限りのあらゆる施設を備え持ったこの王都には、世界中から種族を問わず人が集まって来る。
チャーリー達もよく出入りする場所だった。
三人組はどうやらレッドパージ王家の人々に気に入られているらしく、くだらない用事でほとんどいやがらせじみた頻度で招集をかけられるのだ。
ゴールドウィンのお気に入りはチャーリー・ファイン。
彼女はどうやら何故か高貴な血筋の人間に気に入られる傾向があるようだ。
ゴールドウィンの父、つまり先代の王はヴァシルをことのほか贔屓にしていて、一時期など本気で養子にしたがっていた。
家臣の(必死の)説得でなんとか思い止どまったようだが。
そしてゴールドウィンの妹がひそかに想いを寄せたりなどしているのが誰あろうトーザ・ノヴァ。
もっとも『ひそかに』と思っているのは彼女本人一人だけで、トーザはもちろん周囲は全員気づいている。
性格も容姿も申し分ないのだが少しマヌケなところのある女性だということは否めなかったりする。
「…? おい、何だアレ?」
そろそろ降下態勢に入っていたシルヴァリオンの背の上で、ヴァシルが不審げに言葉を発した。
チャーリーは後ろのグリフのところに戻っていてその場にはいない。
ゴールドウィンがヴァシルの示した方向に目を向けた。
自分達と同じくらいの高度に二つの人影が浮かんでいる。
遠すぎてどんな格好をしている何者なのかということはよく分からなかった。
…が、ゴールドウィンの注意をひきつけたのは、それよりもむしろ海面の様子だった。
「あれは…津波か?!」
「津波ッ?!」
ヴァシルは今初めて気づいたというように海原を見やった。
真白に泡立った巨大な波が猛烈な勢いでラゼット大陸へ押し寄せて行く。
大陸の東側は海水浴にも適したなだらかな砂浜になっていて、王都と海との間を隔てているものは距離しかない…いや、王家の洞窟が間にある。
「そうか、洞窟を潰す気だな…!」
津波はまさに岩をも砕く威力を伴って突っ込んで来ている。
まさか水没するまではいかないだろうが入り口を破壊されれば宝石を取り出すのに余計な時間を食ってしまう。
場合によれば一、二週間を無駄にしてしまうかもしれない。
代々受け継いで来た貴重な宝物も破損してしまうかもしれない。
───いや、それよりも…洞窟の前にいる人間が危ない。
今は洞窟から溢れる緑色の光を警戒して、普段の倍の人数の兵士が入り口の見張りに立っているはずだ。
このままでは彼らはひとたまりもなく波に呑まれて落命してしまう。
「魔道士チャーリー…」
大声で呼びつつゴールドウィンが振り返るまでもなく、チャーリーは黒いマントをなびかせて津波に向かってすっ飛んで行った。
☆
「来ましたわ。あれがチャーリー・ファインですわね」
波の前に敢然と飛び出した黒い姿を見てジュナが呟く。
「もっと下まで降りないかな…そうだ。運が良けりゃうまくいくかもしれませんね」
並んで空中に立った赤マントの騎士が言う。
「運が良ければ、ですわね…チャーリー・ファインがいくら生身の人間とは言っても、世界一の魔道士があれしきのことでやられるハズがありませんわ。洞窟を潰すことが出来ればそれで良しとしましょう」
胸の前に垂れて来た緩くウェーブのかかったピンク色の髪をさっと後ろへ片手で払ったりしつつ、ジュナは応じた。
払いのけた髪は風に吹かれてすぐに体の前に戻って来る。
「見に行きましょうか?」
騎士がジュナの顔をのぞき込む。
☆
津波の真正面に躍り出る。
すさまじい圧倒感と共に巨大な水の壁が頭上に覆いかぶさって来る。
途方もない水量だ。
さすがに彼女も逃げ出したくなった。
しかし、もう一歩も退くわけにはいかない。
自分がここで食い止めなければ王家の洞窟の見張りに立っている人間は確実に死んでしまうだろうし、王都自体にも被害が及ぶだろう。
自身にも聞き取れるかどうかわからないほどの小声で呪文の詠唱を始める。
津波をギリギリまで引きつけて、寸前に迫ったところで一気に凍結させる…目標物に近ければ近いほど、一般に魔法は威力を増すからだ。
しかし、何故こんな大津波が起こったんだろう?
大規模な地震でもあったのか…いや、それは有り得ない。
これだけの波を発生させるとなったら、それはもはや地震ではなく天変地異だ。局地的なもので済むわけがなく、他の地域にも当然影響が出ているはず。
でもそんな気配はなかった…とすると、魔法で?
確かに津波の発生源はゲゼルク大陸の方角だが、魔法を使ったのならなおさら自分が気づかないワケがない。
ある程度以上の力をもった魔道士ともなれば、世界のどこかで強力な魔法が使用されれば必ず、感知するものがあるのだ。
というコトで、魔法でもない。
それじゃあ、一体…?
ふッと悪い予感がした。
津波だけじゃないような気がする…。
そして悪い予感というものはいつの時代も九割方的中するものなのであり。
分厚い水の壁を貫き通し、紅い光がチャーリーの瞳を射た。
二つ。
瞳、だろうなァ、やっぱり…。
思った瞬間、津波の向こう側から銀色の巨大な蛇が牙を剥いて襲いかかって来た。
チャーリーはかろうじて牙から身をかわす。
そう、牙から。
斜め前方に飛び出すような格好で避けたものだから、蛇の胴体に巻き込まれた。
波の中に引き込まれる。
黒いマントが水中に没する。
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