第11章−4
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その数時間後、チャーリーはメール・シードを背中に乗せたグリフと並んで、青々と広がる海の上を王都の方角を指して飛んでいた。
少し離れた前の方に、ヴァシルとゴールドウィンを乗せ空色の翼を優雅に広げたシルヴァリオンがいる。
すっかり馴染みの場所となってしまったバルデシオン城の食堂で全員揃って朝食をとった後に、仲間達は昨夜チャーリーが指示した場所へとそれぞれに旅立って行った。
全員が城から出るのを見送ってから、チャーリー達も出発した。
旅立つのが一番最後になってしまったのは、チャーリーがサースルーンから神聖魔法の呪文を教わるのに時間をとられたからだった。
たとえどれだけ長くて複雑な呪文でも一度でも耳にすればほぼ完璧に理解・記憶してしまえるのがチャーリーの自慢の一つだったが、何故か神聖魔法のスペルに関してはすぐに頭に入れてしまうことが出来なかった。
暗記出来ないワケではない。
意味がわからないワケでもない。
ただ、理解出来ないのだ。
呪文というのはどんなものでもそれぞれに秘められた意味を持っている。
丸暗記したものをそのまま唱えるだけでも魔法を発動させることは出来るが、隠された意味を把握していなければ魔法の威力は格段に落ちる。
サースルーンはそれこそ駆け出しの魔道士に教えるように懇切丁寧に解説してくれたのだが、結局完璧に理解出来ないまま出発せざるを得なくなった。
これ以上やっても無駄だろうと判断したのはチャーリー自身だった。
考えてみれば彼女は回復魔法を使えない。
回復魔法を使えない人間が同系列の高位魔法である神聖魔法を使えるものだろうか。
まぁ、それはそれとして。
ちらりと横を見れば、メールはグリフの身体に完全にもたれかかって安らかな寝息を立てたりしている。
見るからに気持ち良さそうに目を閉じてはいるが、眼鏡はしっかりかけている。
はたして眠っているのかいないのか。
眺めただけではよくわからない。
ラストジャッジメントのスペルを自分に送りつけて来たのは彼女じゃないだろうか…。
ふっとそんな考えが頭をよぎったりもする。
これは手紙を受け取りノルラッティやセレイスの前から離れてすぐ思いついたことだったが、結局今に至るまで−いや、今に至っても確認する気が起きないのは、『理由』が思いつかなかった、ただそれだけのためである。
メール・シードがあの手紙を書いたかどうか確かめたいというのなら、もっともらしい理由をでっちあげてそれとなく彼女のあの分厚い手帳を見せてもらって筆跡を調べるとか、これまでに封筒に触れた人物の残留思念を魔法で追跡して差出人を突き止めるとか、方法はいくつかある。
その気になって調べてみれば簡単にわかることだ。
だからこそ、とりたててすぐに確かめようという気が起こらなかったのだとも言える。
眼下に広がる青く澄んだ海を見下ろしても、爽やかで暖かな風を全身に受けても、チャーリーの心は晴れなかった。
審判魔法のスペル。
チャーリーもその全てを知っていたわけではない。
たまたま記憶していたスペルの断片と、便箋の内容が符号したに過ぎない。
それはもう、千年近く前に世界から消滅したと伝えられているものだった。
しかし、そんな噂がいかにアテにならないものかというのは、ドラゴンスレイヤーの一件でよくわかった。
失われた、消え去ったとされているものがまだ世界に残っている…よく考えれば今さら驚くにも値しないことなのかもしれない。
海辺の洞窟には妖精さえ生き残っていたと言うし。
それでも、この呪文だけは…。
『四禁魔法』───世界を一撃で破滅させることが出来る四つの魔法の間にも、威力の差はある。
呪文から読み取った限りでは、ワールド・エンドよりもティルト・ウェイトの方が破壊力は優れている。
ラストジャッジメントはティルト・ウェイトとほぼ同程度の力を持ち、残る一つ、エクスティエンスの攻撃力はいずれの魔法をも遥かに上回る…伝えられていることをアテにするなら、そういうことになる。
しかし、四禁魔法については威力の強弱を問題にすることは全く無意味だ。
一瞬で何もかもが消し飛ぶのだから。
むしろ問題なのは、残る六枚(?)の便箋が誰の手に渡ったのかということだろう。
薄々なら見当はついているが…。
ふと視線を上げる…水平線に沿って横たわる山脈が見えて来た。
霞がかって見えているのが、エドニー山脈。
王都のあるラゼット大陸の西岸にゆるく曲線を描いた姿を横たえ、最高峰のドラッセン山は王都のほぼ真北に位置する。
エドニー山脈が視界に入って来たら、王都はもうすぐだ。
チャーリーはスピードを上げるとシルヴァリオンに並んだ。
気づいた飛竜が少しだけ首を曲げるようにして親しみのこもった鳴き声をあげる。
ヴァシルとゴールドウィンもチャーリーの方に顔を向けた。
「国王陛下、ちゃんと城の人達には断って出て来たんでしょうね?!」
チャーリーが怒鳴るように言うと、ゴールドウィンは正面に向き直っていかにも愉快そうに哄笑した。
「城の者に知られれば王城を出て来ることは出来なかっただろうな」
「戻って何て説明するつもりです?」
「説明は不要だろう。結局は私が無事に戻ればそれで誰にも文句はつけられないはずだからな」
ゴールドウィンはこともなげに言い放った。
灰色の瞳は午前中の陽射しを受けて輝いている。
王族の一人として生まれるよりは冒険者として生まれた方が相応しかったに違いない彼を見て、チャーリーは軽くタメ息をつき、王城に仕えている人々の苦労を少しだけ思いやった。
それから彼の妹のことも。
ゴールドウィンと同じ親から生まれたとは思えないほど性格のかけ離れた、おしとやかで心優しい彼女がどれほど兄の軽率(?)な行動に気を揉んでいることか。
周囲の人々を思いやる気持ち、ゴールドウィンに妹の十分の一でもそれがあればいいのに…自分のことは棚に上げてチャーリーはそんなことを頭の中で考えた。
☆
チャーリー達が王都に向かっているのと時を同じくして、二つの人影がチャーリー達とは正反対の方角からラゼット大陸に接近しつつあった。
白い法衣の裾をはためかせながら先を飛んでいるのは、昨日エルスロンム城でラーカ達に敗北を喫した治癒者のジュナ・ミルール。
後に続くのは、金糸で縁取りをした真紅のマントで全身を覆った騎士である。
明るい栗色の髪に淡い緑色の瞳。
人間族だ。
真っ赤なマントが風で翻る度に美しい銀色のプレートメイルが見え隠れする。
「本当に大丈夫なんですかね?」
不意に騎士が声をあげた。
「何が?」
ジュナは振り向きもせずに言葉を返す。
不機嫌さが表情どころか口調にまでにじみ出ている。
こちらに油断があったのは確かだとしても、ラーカ・エティフリックのようなふらふらとあちこちをうろつき回るだけが能の遊び人にしてやられたのは腹立たしい屈辱だった。
なのにその屈辱を晴らす機会が自分には与えられなかった。
与えられた任務について私情を差し挟むのは禁物だが、理屈で割り切れるものではない。
そんな彼女の心の中が読めるはずもない騎士は、速度を上げてジュナに並んだ。
「何がって、海岸から王家の洞窟までは結構距離があるんですよ。もし途中でダメになっちゃった場合、どうするんですか」
「そういう場合のためにあたくし達がこうしてラゼット大陸に向かっているんでしょう! それに、海岸からの距離を計算に入れていないワケがないじゃありませんの」
「そう言われればそうですかね…」
「あたくし達は言われたことを言われた通りにやっていればいいんですわ。それで万事間違いなく運ぶのですもの。第一そんなコトを今頃気にかけたところでどうしようもありませんわ」
ジュナは冷たく言い放つと、さらにスピードを上げた。
「やれやれ…今日は機嫌悪いなァ…」
大気の摩擦音に紛れて消えてしまうくらいの小声で呟いて、彼はふと眼下の海面に目を落とした。
水面に平行になっている自分の身体の、足元をのぞき込むようにして見る。
視界の隅の方を彼を追い越さんばかりの勢いでラゼット大陸の方向へ突っ込んで行く白い津波が掠めた。
「来た来た…このぶんだとうまくいきそうだな」
騎士は唇を曲げてニヤリと笑うと、再度ジュナに追いつくべく飛行速度を上げた。
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