第11章−12
(12)
王城の食卓は円卓である。
円卓に上座下座の区別はないと言うが、そんなことはない。
部屋の奥の方の席が上座にあたるのは普通のテーブルと同じである。
他はどうでも変わりがないというのは結構当たっているかもしれないが。
「それにしても、いやぁ、奇遇ですねえ。まさかこんな所でチャーリーさんにお会い出来るなんて、思ってもいませんでした」
チャーリーの隣に座ったフレデリックが満面の笑顔で言う。
どうやら自分がチャーリーを捜していたのだということは忘れてしまっているらしい。
メールはイブと一緒に聖域の洞窟の島で一度彼の顔を見ているハズだが特に何も言わない。
彼女がフレデリックの顔を忘れているということは有り得そうにないから、単に関心がないのだろう。
「ところで、チャーリーさん達はどうしてここへ?」
説明したって仕方がない。
チャーリーはあまり気が進まなかった。
ゴールドウィンも短い間にフレデリックの性質−信じられないほどの健忘症−を理解したらしく、何も言わなかった。
ヴァシルは食事に忙しい。
メールも黙ったままだった。
かくて、フレデリックの質問は宙に浮いた。
が、こんなコトでメゲてしまうフレデリックではない。
第一、もう自分が問いを発したことなど覚えていない。
「この広い世界で偶然に会うなんて、すごく確率の低いことですよね。やはり私とチャーリーさんとの間には何かしら運命的なものがあるんでしょうね。ところで、メガネ変えられました?」
チャーリーはばッとフレデリックの方に顔を向けた。
信じられないものを見るような目でまじまじと凝視する。
…確かに、変えた。
半年ほど前のことだ。
フレームの形も色もまるっきり同じだが素材が違う。
黙っていたのでヴァシルもトーザも気づいていなかった。
指摘したのは彼が最初である。
驚きや感心を超えて薄気味悪くなってしまった。
そのとき、扉が叩かれた。
ゴールドウィンが声をかける。
開かれた扉から兵士に案内されて入って来たのは、予想通り一人のウェアウルフだった。
「あれッ、ラルファグ…?」
ドアが開くと同時にフレデリックから視線を剥がしたチャーリーが拍子抜けしたような声をあげた。
それを聞いたウェアウルフの右の耳がぴくっと動いて、意外そうな色が顔に浮かぶ。
「弟をご存知ですか」
「バルデシオン城下町で会いました」
「そうですか。…───失礼しました、国王陛下。ロガートの森のギルバー・レキサスです」
礼儀正しく頭を下げ、ギルバーは名乗った。
ラルファグと同じ色の毛に覆われた実直そうな彼の顔には、弟と同じような三日月形の大きな傷までがあった。
双子とは言えそこまで似なくてもよさそうなものだ。
粗末ながらも動きやすそうな使い古されたレザー・アーマー、背中には長短取り揃えた矢が三十本ばかり詰まった矢筒を背負い、左手には自分の身長の三分の二はあろうかという大きな弓を持っていた。
それにしても普通、王と謁見するときには一応武器は没収しておくべきではないだろうか。
しかし誰も気にしていない。
よほど自信があるのだろう。
何に、かはわからない。
「よく来てくれた、ギルバー・レキサス。実は重要な話が…」
『説明は要らぬ。もうわかっておるな、全て』
唐突に頭の中に聞こえて来た声。
テーブルの真ん中に放り出されていた翡翠の精−カムラードのものだ。
扱いがいい加減なことに気分を害している様子もない。
さすがに、人格(?)が出来上がっている。
「この声は…はい。夢で説明されたことは全部理解しております」
『そういうことじゃ。一応の事情はワシがすでに伝えておいた』
彼の言う「一応の事情」がどういう範囲を示しているのかはちょっと不明である。
「それじゃあ、ギルバーさんも私達に協力してくれるんですね」
「はい。世界滅亡の危機とあっては、黙っているワケにはいきません。この身が宝石の勇者として選ばれているのであれば、なおのことです」
熱心さと誠実さの溢れる口調で彼は言った。
弟とは大分性格が違うらしい。
何はともあれ、これで六人目…そう心の中で呟いてから、チャーリーはハッと気づいて翡翠に目を向けた。
「あなたは八人の勇者全員の名前を知ってるの?」
『いや。名前が知れたのはギルバーだけじゃ』
「なんだ…」
チャーリーはちょっとガッカリした。
まぁ最初からそれほど期待していない。
「このご老人はどこにいらっしゃるんです?」
フレデリックが笑顔で言う。
「答えなくていい」
チャーリーの言葉はギルバーとカムラードに向けられたものである。
とは言ったものの、チャーリーは少し悩んだ。
フレデリックは貴重な戦力になる。
二年前に会ったときも相当な使い手だったが、そのときよりもさらに腕を上げているのは確実だ。
なにしろチャーリーが大事をとって至近距離で凍結させようとした大津波を、王都にいながらにして完璧に凍らせてしまったのだから。
王都から砂浜までには十数キロの距離がある。
したがってフレデリックが強力な魔道士であることは誰にも反論の余地がない。
問題は、彼が『有能な』魔道士ではない、ということだ。
なんせ彼は史上最強のトリアタマ(鳥は三歩歩くとそれまでの出来事を全部忘れるらしい。根拠はない)。
たとえば本を読んでいてもどこまで読んでいたのか何が書いてあったのか途中で忘れてしまうので何度でも最初から読み直す。
たとえば人のハナシなど耳にしたそばから忘れていってしまうのでどんなに長い話でも飽きずに聞いていたりする。
たとえば食物の味は食事ごとに忘れてしまうので偏食はない。
たとえば魔法を使うときも呪文を覚えていられないので肌身離さず携帯している呪文書を開かなければならない。
たとえば指を切って包帯を探している途中でまず自分が何故包帯を探しているのかを忘れ次に自分が何を探しているのかを忘れてその間に傷が閉じてしまったりする。
フレデリックはそういう奴なのである。
何かタチの悪い呪いでもかけられているとしか思えない。
…まあ、事情なんか説明してやらなくても勝手について来るだろうけど…。
なにしろ相手はチャーリーのことがひたすら好きで好きでたまらないという屈折した人間だ。
振り払ってもまとわりついて来る。
だったらまァ、別に放っておいても…どうせ覚えられないんだから支障はないだろう。
聞いてないのと覚えてないのとは、他の人の場合ならともかくフレデリックの場合は同じことだ。
何か珍しいものでも眺めているかのような瞳をフレデリックに向けていたゴールドウィンが、ふと思いついたように言う。
「我々も昼食にしよう。ギルバー・レキサス、どこでも好きな場所へかけてくれ」
…どうでもいいが椅子はあと一つしか残っていない。
☆
料理が運ばれて来る。
ヴァシルには一括して出されたが王城の食事は原則としてコースになっている。
…が、出された順番など覚えているチャーリーではなかった。
メニューはゆで鶏の山椒ソース添えと豚肉の冷製薄切りにんにくソース添えからスタートして、豚肉の衣揚げ甘酢あんかけ、鶏肉の卵白包み蒸し、鳩のあられ切り炒めレタス包み、羊肉の米粉蒸し蓮の葉風味、いしもちの辛味煮込み、小えびとフルーツの炒めもの、なまこの手鞠形蒸し、グリーンアスパラガスのかに風味あんかけ、牛肉のくずひきスープ、浮き粉そばの炒め…等々昼間ッからこんなに食えるかッ!
とテーブルを両手の平で叩いてやりたくなるくらいボリュームたっぷりの内容。
おマケにデザートもついてくる。
ココナッツ風味のタルトレット、蓮の実あんの木の実団子、カスタードあんのココナッツ団子、くるみ豆腐入りココナッツジュース…なぜかココナッツが多い。
そんなことはどうでもいい。
ようやく食事が終わる頃には、チャーリーとギルバーは完全に何をする気力も失い食べ過ぎた気分の悪さにじッと耐えていた。
次から次へと皿が運ばれて来るから強迫観念にとりつかれたようになってつい口に詰め込んでしまうのだ。
もっとも、ダウンしているのはその二人だけ。
ゴールドウィンは慣れているからか平然としているし、ヴァシルも難無く第二ラウンド目をクリアして満足そうなカオをしている。
フレデリックは自分が食べたということを忘れるのでいつまでたっても満腹しない。
おそらく彼の満腹中枢までもが健忘症で、脳に刺激を出すのを忘れて…いや、脳が刺激を受けたことを忘れている可能性の方が高い。
相も変わらずニコニコとしている。
そして、メール・シード…彼女はそもそも食べていない。
昼食の終わり頃に出されたくるみ豆腐入りココナッツジュースを一口ストローからすすっただけだ。
考えてみるまでもなく、メールはチャーリー達に出会ってから一度もちゃんとした食事をとっていない。
口にするのは液体だけ。
別にやせガマンして食べないでいるワケでもなさそうだ。
…まあチャーリーは深く考えなかった。
メール・シードには何かある。
それだけ分かっていれば十分。
それよりも、今この瞬間にもフレデリックの心臓が動くことを忘れてしまわないだろうか。
それは無茶だ。
「どうした、魔道士チャーリー…気分が悪そうだな。やはり風邪をひいたか」
「いや、そーじゃないんですけど…」
「じゃあ、何か悩みでも?」
悩みのタネなら一番大きなのが隣に座っている。
右にフレデリック、左にヴァシル。
どちらかは言わない。
どちらもかもしれない。
「あ、そうか、チャーリー」
ヴァシルがふと思いついた。
「つわりだな?」
チャーリーは椅子から転落しそうになった。
ヴァシルの頭を張り倒す余裕がないのが悔やまれる。
ゴールドウィンが爆笑した。
ヴァシルはいたってマジメだ。
フレデリックはいつもの笑顔。
ギルバーはチャーリーと同じ状態。
メールはあくまで無関心。
「違うのか? 女が具合悪いときはそうだって親父が言ってたけどなァ」
なんてロクでもない父親だ。
「冗談はさておき、魔道士チャーリーもギルバー・レキサスも客間で一休みすることだな。王城の料理人の腕が超一流だから仕方ないのだろうが、食べ過ぎだぞ」
…なんかやたらとムカついた、チャーリーであった。
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