第11章−9
(9)
チャーリーは颯爽とレッド・ドラゴンの目の前に躍り出た。
不意討ちしてやってもよかったのだが、卑怯な行為はあまり好きではない。
それにそんな手を使わなくても相手に後れを取ることはないという、自分の力への絶対の自信があった。
敵意に燃える金色の瞳が真正面からチャーリーを睨み据えた。
一触即発。
息詰まるような緊迫した空気が流れる。
二人は数秒間相手の瞳を睨みつけ合った後で、ほとんど同時に行動を起こした。
先に出たのはジュナだ。
フレアブレスがチャーリーに襲いかかる。
紅蓮の炎が目前に迫っても慌てず騒がす眉一つ動かしもせずにチャーリーは右手を空中に差し出した。
彼女を包み込むように大気が渦を巻く。
火炎は竜巻に阻まれて四散した。
それを見て、赤い竜はたじろいだようにわずかに身を引いた。
チャーリーを包む大気の渦が消える。
直後、差し出されたままだった彼女の手の指先に、白く輝く高温の火球が発生した。
竜は脅えたように翼を広げた。
自分のブレスよりも数層倍威力のある高度な火炎魔法だ。
物理的防御力、魔法防御力ともに優れたドラゴンのウロコではあるが、あれを食らってはひとたまりもない。
チャーリーは人差し指を親指に引きつけた。
それからピンと弾く。
弾かれて白い火球が飛び出す。
弧を描いてレッド・ドラゴンに向かって行く。
竜は身体を捻って避けた。
一旦目標から外れた火球はしばらく行き過ぎた所で折り返し、再びジュナに襲いかかる。
かなりの高速だ。
かろうじてそれもかわす。
白い火の玉はチャーリーの手元に戻り、そこで消滅した。
慌てたように向き直ったジュナは火球が消えたのを見てふっと息をついた。
翼を畳み、落ちかける一瞬に人間の姿に戻って飛行魔法で空中に立つ。
背中で長い髪がふわりと揺れ、純白の法衣の裾が風でなびいた。
チャーリーのマントもなびいている。
ただしこちらは水に濡れているのでその動きは幾分重い。
きッとチャーリーに視線を合わせたジュナの額には冷や汗が伝っていた。
フレアボールに追い回されたのがよほど怖かったらしい。
「さすがチャーリー・ファインですわね。あたくしのフレアブレスを微動だにせずに受け流すなんて」
地上でも王都の騎士団に防がれている。
実は自分のブレスにはそれほど威力がないんじゃないかと気になっていたりする。
しかし表情には出さない。
代わりに瞳の中には弱気な色がありありと浮かんでいるのだが。
「ガールディーの命令で王家の洞窟を潰しに来たんだな?」
胸の前で腕を組んで、チャーリーが問う。
ジュナはあっさりと首を縦に振った。
「その通りですわ。シー・サーペントの起こした大津波で洞窟の入り口を潰して、翡翠をすぐには取り出せなくしようとしたんですわ。あなたが波の前に飛び出して巻き込まれるのも計算のうちの出来事だったんですのよ。なのに…」
ジュナはちらりと凍りついた津波を見やった。
「まさか、この近くにあんなことが出来る魔道士がもう一人いたなんて…それは予想外の出来事でしたわ」
苦々しげに表情を歪める。
そんなジュナを見ながら、チャーリーは考えた。
そうだ、もう一人いるんだ…『この近く』というほど近くではないようだが。
「とにかく、あたくし達の今回の作戦は完全に失敗ですわ。失敗した以上はここにいつまでもいる義理もありませんことですし、あたくし達は撤退することにしましょう」
冷や汗を流しつつ、高飛車な態度は崩さないジュナであった。
チャーリーを前にしてこれだけ虚勢が張れれば大したものだ。
もっとも、チャーリーにこれ以上攻撃する意志がないことを読んだうえでの行動ではあった。
「ガールディーの後ろについているのが誰なのか、アンタは知ってるか?」
「あの白い髪のお方のことですわね。知りませんわ。名前も種族も…知りたければガールディー様に直接尋ねてみることですわね」
精一杯強がった微笑を浮かべつつ、ジュナは挑戦的に言い放った。
チャーリーの表情がさっと険しさを増す。
ジュナは緊張して身構えたが、チャーリーは何もしなかった。
「…何故、攻撃して来ないんですの?」
不審そうに尋ねる。
「それはこっちの台詞だ。結局かなわないとしても私に手傷の一つでも負わせられれば大手柄だろう。そっちこそどうしてかかって来ない?」
「…あたくし達の標的ではないからですわ」
抑えた声でジュナが答える。
「標的以外のものと戦って命を落としでもしたら、ガールディー様の計画に支障をきたすことになってしまいますもの。あたくし達の誰一人として、定められた戦いの他で死んではならないのですわ」
それまでの脅えた口調とは打って変わって、誇らしげにジュナは言い放った。
瞳の中の弱い色さえ消えてなくなっている。
「………?」
チャーリーにはジュナの言っていることはよくわからなかった。
☆
時間は少し戻る。
一頭のグリフォンが近づいて来るのに気づいて、ドリュークはそちらに顔を向けた。
「ヴァシル・レドアか…」
彼はおれの『標的』ではない。
しかし、振りかかる火の粉は払わねばなるまい。
月並みにカッコつけたことを考えつつ、真紅に金糸縁取りの立派なマントをバッと左手で後ろにやって、深い青色の鞘におさまった片手剣の黄金色の柄に手をかけた。
彼の正面五メートル離れた位置にヴァシルを乗せたグリフが静止する。
鷲の翼を力強く羽ばたかせ、大気の流れを調節している。
ヴァシルはかなり不安定なグリフの背中の上ですっくと立ち上がった。
『高所恐怖症』という言葉とヴァシルとの間には常人には想像も出来ないくらいのキョリがある。
高い所から落ちたら死ぬのだということを本当はよく理解出来ていないのじゃないだろうか、彼は。
「お前ッ、ドラッケンの仲間だな?!」
いきなり断定的にヴァシルが言う。
ドリュークはすぐにうなずいた。
「いかにも。おれはヒューマンの騎士、ドリューク・ティフル。きさまは…」
「ヴァシル・レドアだ」
何故か威張る。
足場は頼りなくても強気である。
もっとも、それはドリュークが続けようとしたことであった。
「おれと一戦交えるつもりか?」
「お前がその気ならな」
ヴァシルは呑気に言った。
どちらにもお互いに対する敵意はない。
種族は同じだし、特に個人的な確執もない。
おまけにドリュークはともかくヴァシルには今回の事態は実のところよく掴めていない。
だもんだから不穏な空気も流れようがない。
そのぶんの不穏な空気は全部チャーリーとジュナの所へ行ってしまったようだ。
「いや…ならばやめておこう。おれの『標的』はきさまではないからな」
剣から手を離したドリュークを、ヴァシルは残念そうな意外そうなカオで眺めた。
「何のことだ、『標的』ッて」
「おれ達は一人ひとり戦うべき相手を定められている。その相手以外との無用な戦闘は避けろというのがガールディー様のお言葉だ」
「へー、あのオッさんも『様』付けで呼ぶと偉そーに聞こえるもんだな」
ヴァシルは何か人と違うものを聞いている。
「それじゃ、オレの相手も決まってるのか」
思い出したように付け足した。
ドリュークはまた首を縦に振る。
「定められた時、定められた場所以外ではおれ達は戦わん。せいぜいその時を楽しみにしておくことだ」
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