第12章−1
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《第十二章》
(1)

 チャーリーとギルバーが食べ過ぎのため客間へ引きあげ、フレデリックがそれにのこのことついて行った後、ヴァシルは早速メールを急かしてバルディッシュの置いてある「研究所」とやらに連れて行ってもらうことにした。
 ゴールドウィンもついて来たがったのだがさりげなく現れたじいやに無言の微笑を投げかけられて渋々ながらも引き下がる。
 そんなワケで二人で城を出た。

「研究所ってどこにあるんだ?」

 並んで歩きながら尋ねる。
 メールはまっすぐ正面を向いたままで、

「王都の東の端です。少し歩きますけど、構いませんね」

 単調に答える。
 ヴァシルは自分の方を見ようともしないメールの顔を不思議そうにのぞき込みながら、

「なあ、お前ちょっと好き嫌い激しすぎるんじゃないか?」

 などと唐突に突拍子もないことを言い出した。

 これにはさすがのメールも意表をつかれて、「は?」と思いっきり困惑した声を発してヴァシルの顔を見返してしまう。
 半ば呆気にとられたようなメールの瞳を少しも臆することなく見つめつつ、人道的な正義感に満ち満ちた口調でヴァシルは続けた。

「バルデシオン城でも全然食ってなかったし、さっきの昼メシだって一口も食わなかったじゃねぇか。いくら嫌いなモンばっかだったからって、それじゃあいくらなんでも体に悪いぞ」

 …食事中のヴァシルに他人の動向を盗み見る余裕があったとは恐れ入った。
 己が食べるのに手一杯でメールが何も口にしていないことなど気づいてもいないのだろうと思ったら、意外や意外、しっかりと見るところは見ていたらしい。

 …いや、あるいはメールが大量に残しているのに気づいてその分を食べてやろうと目をつけていたから覚えているだけなのかも知れないが…。

 どっちにしろ、メールが手をつけなかった分を代わりにきれいに平らげてしまったような彼の言うべき台詞ではないような気がしないでもない。

「−ご忠告ありがとうございます。ですが、別に偏食がひどいというワケではないんですよ」

 メールは落ち着いた声で言った。
 ヴァシルはますます不思議そうな表情になる。

「それじゃ、どうしてあんなにうまいメシを食わなかったんだ?」

「どうしてと言われましてもね…まぁ、お腹が空いていなかったからでしょう。いくらおいしい料理でも空腹でなければ食べられないでしょう?」

「そーかぁ? うまそうなメシが出て来たら多少無理してでも詰め込むのが人情ってモンじゃないのか?」
「………」
「それに、全然食わないんじゃ作ってくれたヤツに失礼だろ」

 彼にも礼儀を思うときがあるというのはまた新たな発見であった。
 それはともかく、メール・シードは軽く肩をすくめると、足元に視線を落として、

「そこまでは考えが及びませんでした…確かに失礼なことですよね。次からは気をつけます」
「でも、食いたくないもん無理に食うのもそれはそれで失礼だしなァ」

 一体どっちなんだッ、とチャーリーが相手だったならば鋭い突っ込みの一つも返って来そうなところだったが、メールは何も言わなかった。
 ほんのちょっと無視された気分になるヴァシル。
 突っ込みが返ってこないことに物足りなさを覚えるということは、自分自身がボケ役であると自覚しているのだろうか。

「それにしても、腹が減ってなかったってのはウソだろ?」

 めげずに会話を続ける。
 メールはうつむいたまま首を左右に振った。

「いいえ、本当ですよ。お腹が減っていたなら嫌いなものでも食べます」

「…? 腹が減らないって…そりゃお前、病気なんじゃないのか?」

 いかにも深刻そうに顔を曇らせ、心配げに問いかける。
 ヴァシルにとっては食欲がないというコトはそれだけで重病の兆しなのだと思えてしまうのである。
 三度の食事は健康の基本であるのだから。

 そう言えばメール・シードは顔色だって決して良くはないし、全体の雰囲気もどこか病人じみていて生気が感じられないし…しかし、当のメールはすっと顔を上げると平気そうな様子でまた首を振った。

「そうじゃないんです。体質ですよ、体質」

「体質って…腹の減らない体質か?」
「そういうことです」

 それこそウソだろう、という目でメールを見下ろすヴァシル。
 しかし彼女はそれ以上何も言わなかった。
 ヴァシルの胡散臭そうな視線には気づいているに違いないのだが、この話題はこれで打ち切りとばかりに殊更に前を向いて正面だけを見据えて歩いている。

 …まぁいいか。
 世の中にはそんなヤツもいるってコトだよな。

 そんな風にあっさりと納得して、ヴァシルはメールの無言の提案に従って話題を変えることにした。
 少しだけ思案してから、

「研究所に住んでんのか?」

 言動にどこか脈絡というものがない。
 が、メールはそのことには別段触れずに律義に返答する。

「そうです。住み込みで研究活動に従事しているワケです」
「研究って、何の?」
「色々、です。研究所の方々はそれぞれの専攻分野を持って仕事に励んでいらっしゃいますけど、私の研究対象はそのときそのときで一番関心のあることですから…それが、以前はドラゴンスレイヤーだったんです」
「今は?」
「今は休業中です。あ、見えて来ましたよ。アレが研究所です」

 不意にメールが腕を上げて前方を指さした。

 今まで話をつなぐのに夢中になっていて気づかなかったが、もうかなりの距離を歩いて来ていたらしい。
 常時大量の人で賑わっている王都も端まで来ると路上を歩く人の姿もなくなり閑散としている。

 二人が歩いているのはわりと幅の広い直線の一本道で、左右には人が住んでいるのかいないのかわからないほどひっそりと静まり返って扉や窓を堅く閉ざした民家が並んでいた。
 その向こう側、三百メートルほど行って道の尽きた先は大きくひらけた広場になっていて、ところどころに美的センスの良さがうかがえる配置で植え込みがある。
 広場を挟んで赤茶色の煉瓦で造られた建物がそびえたっていた。

 一目見て、ヴァシルは思わず我が目を疑った。

「おい、あれが研究所か…?」

 つい確認してしまう。
 確認するまでもなくメール・シードが指した先には煉瓦造りのその建物しかないのだからその建物が研究所であることは確実なのだろうが、やっぱりそうせずにはいられなかった。

 それほどまでに研究所はデカかったのである。
 一介の民間の施設としては非常識なくらいに。

 さすがに王城には劣るが、規模はバルデシオン城を優に上回るだろう。
 どっしりとした、重厚な雰囲気を漂わせた、まさにアカデミックな建築物である。
 大理石らしい石で出来た階段を十数段上った先にある扉は麗々しい彫刻の施された青銅製の立派な観音開き、張り出し屋根には『ベル研究所』の文字がレリーフされたが金属板が貼り付けられている。
 扉の左右に並ぶ、白木の枠で縁取られた縦長の長方形の窓、外から見た限りではなんと四階建て。

「現研究所長のアントウェルペン・ベル氏の曾祖父が設立された由緒正しい研究所ですよ。設立当初と比較するとかなり大きな建物になっているのは確かですが…」

 説明しながらもメールはすたすたと道を進んで行く。
 建物に目を奪われるあまり心もち遅れがちになりつつ、ヴァシルはその後を追う。

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