第12章−2
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(2)

「こんなトコにこんなモンがあったなんて、知らなかったな〜…」

 感嘆の言葉を漏らしつつ広場を横切る。

「秘密の施設というワケでもないんですけどね、見物に来たところで何もない場所ですから」

 そっけなく応じて、メールは扉に続く石段を上り始めた。

「ここに住んでるんだろ? スゲェなあ…」

 何がどうスゴイのかは言っている本人にもわからない。

 メールは取り合わずに扉を開けた。
 一人では到底動かせそうにないくらい大きく重たげに見えた青銅のドアは、メールが手を触れた途端に音もなく奥に向かってひとりでに動き出した。

 ドアの向こうは、ひんやりとした空気が充満しただだっ広いエントランスホールである。
 メールはさっさと中に入って行く。
 ヴァシルも続いた。
 二人の背後で、開いたときと同じく音もなくひとりでに扉は閉じた。

 ホールの天井はヤケに高い。
 三階部分あたりまで吹き抜けになっているようだ。
 三方の壁にホールを囲むようにして質素な木の扉がいくつも並んでいる。
 二階、三階にあたる部分には金属の柵を巡らせた通路が走っていて、通路沿いの壁にも同じように木のドアが並んでいる。
 ホール中央にある一本の太い石の柱に巻きつくように造られた螺旋階段があって、二階部分と三階部分にあたる平面上にはそれぞれちょっとした踊り場が設えられてあり、左右に渡された通路が各階の回廊に続いていた。
 柱は天井を突き抜けるようにして伸びていたが螺旋階段は三階の踊り場で途切れており、エントランスホールから直接四階に上がることは出来ない。

 ホールはしんと静まり返っていた。
 石の床を歩く足音が−と言っても、ヴァシルのぺたんこ靴はほとんど音を立てないのでメールの革靴の立てる音だけが−四囲の壁に反響しヤケに大きく聞こえる。
 昼だというのに薄暗いその場所を抜けて、メールは螺旋階段を上り始めた。
 ヴァシルは辺りをもの珍しげに見回しながらついて行く。

「なんか静かすぎねーか? 今日休みなんじゃねえの?」
「全室完全防音になっているんです。室内の音がホールに漏れて来ることもホールの物音が室内に伝わることもありません」

 メールは三階の踊り場から右側の通路を渡った。
 通路は人一人が通るのがやっと、すれ違うことも出来ないような細いもので、空中にあるこの通路を支えているのは踊り場と回廊とにある二つの支点のみ。
 地震でもきたらあえなく落ちてしまうのではないかと思うくらいに危なっかしい構造だったが、足を踏み出してみると意外な安定感があった。
 特殊な工法を用いているのか、それとも何か魔法でもかかっているのか、見ただけでは判別し難い。

 回廊に着くと、メールは右手方向に進み、入り口側の壁に最も近い端のドアをノックもせずに開けた。

 一歩足を踏み入れてみて「あ、広い」と思えるほどの大きさのほぼ正方形の部屋だった。
 擦り減った木の床の上に、思い思いの方向を向いて並べられたかなりの大きさのデスクが二十ばかり置いてあった。
 大半のデスクには一つにつき一人の丈の長い白い服に身を包んだ人間が座っていて、机の上一杯に書類や筆記用具や分厚い専門書の類いを広げて部外者には何をやっているのか予測も出来ないような作業をこなしている。

 メールが無造作にドアを開けたとき、そんな彼らの作業は一時中断されほとんど全員が出入り口に注目した。

「メール君…」

 ドアに最も近い場所にいた初老の研究者がひどくびっくりしたような声を発する。

 それと相前後して、部屋の奥の方にあったデスクから椅子を鳴らして誰かが立ち上がった。
 一瞬初老の男性の方に気をとられたヴァシルだったが、すぐに音のした方に視線を転じた。
 より動きのあった方に注意を引きつけられてしまうのは格闘家としての習性のようなものだった。

 デスクを回り込んでこっちに歩み寄って来ようとしている青年がいる。
 肩の上ですっぱりと切り揃えられた細くてさらさらとした明るい琥珀色の髪に涼やかに冴え渡った水色の瞳。
 色白の痩身で、背はメールよりは少し高いくらいだ。
 焦茶色の丈夫な革で出来たブーツで床に乱雑に散らばった何枚もの紙片を容赦なく踏みつけながら、足早にメール・シードの前までやって来る。

「お帰りなさい、メールさん。今までどこに行ってたんです?」

 親しげに話しかけて来た彼を、メールは二秒ほどこれ以上そうは出来ないというほどに冷えきった眼差しで見返した。
 闇を映した漆黒の瞳はほとんど憎悪ともとれるくらいに強烈な負の感情を溜め込んですぐそばに立った青年を見据える。

 しかしそれはあくまでも二秒間だけのことで、鋭く冷めた色はたちまち瞳から抜け落ちた。
 表情を和らげ、ニッコリ微笑む。
 笑顔に応じて青年が何か言いかけるよりも早く、メールはヴァシルの方を振り向く。

「少しここで待っていて下さい。取って来ますから」

 短く言い置いて、素早く歩き出した。
 青年の脇をすり抜けて、部屋の奥にあるドアを目指して歩み去る。

 青年は体ごと振り向いて無表情にその後ろ姿を見送った。
 …メールが扉の向こうに消えるのを待って、ヴァシルは口を開いた。

「アンタ、よっぽど嫌われてんだなァ…」

 青年が慌てたように振り向く。
 そのとき、先刻の初老の研究者が口を挟んだ。

「馬鹿言っちゃいけないよ、コート君がメール君に嫌われてるだなんて」
「ウォードさん。いいんです」
「二人は将来を誓った婚約者同士なんだよ。そんなコトがあるもんか」

「婚約者?」

 ヴァシルは面食らって復唱した。
 婚約者というと、近い将来結婚することを前提に交際している男女の関係…という、あれのコトだろうか。
 念のため(?)確認するとウォードという名のその男性はあっさりと肯定した。

「そりゃあ仲が良かったもんさ。いつも二人一緒で…本当にお似合いの二人だった。なのに、突然…」
「ウォードさん」

 コートと呼ばれた青年は今度はいささか強い語調でウォードの言葉を遮った。
 遮られて、ウォードは気まずそうに、それでもまだ何か言い足りない様子で口を閉ざし、ワザとらしく咳払いなどしてから作業に戻った。
 さっぱりワケがわからないといった風情で立ち尽くしているヴァシルに、コートが話しかけて来る。

「ようこそ、ベル研究所へ。ヴァシル・レドアさんですね。武術大会でお見かけしました。お会い出来て光栄です」

 差し出された手を無意識に握り返すヴァシル。

「わたしはコート・ベル。当ベル研究所の所長、アントウェルペンの孫です」

 手を離して、ヴァシルは早速尋ねる。

「ケンカでもしてるのか?」
「いえ…そういうワケではないんですが…」

 コートはほんの少しだけうろたえた様子を見せた。
 あまりこのことについては追及されたくないらしい。
 目を見ればわかる。

 だからヴァシルはそれ以上質問を重ねないことにした。
 探偵役としては不適格なことこのうえないが人の嫌がることをしないというのは大切なことである。
 だから彼は別の問いを口にした。

「ところで、アイツ全然モノ食わないんだけど、なんか悪い病気にでもかかってんじゃねーのか?」

 ヤケにこだわっている。
 まるでこの世に食欲のない人間がいることを意地でも認めまいとしているかのようだ。
 考えてみればヴァシルにとってはメールが食事をとろうととるまいとまるで関係がないハズなのだが、人間打算のみで動いているワケではないのである。

「ものを食べない? メールさんがですか? そんなコトはないと思いますけど…」

 戸惑ったようにコートが答えたとき、

「お待たせしました」

 奥の扉を開けてメールが戻って来た。
 手に白い布で包まれた細長い物を持っている。
 かなり長いものだ。

 コートには目もくれずにヴァシルの前に立つと、メールは手早く布を取り除けた。
 澄んだ鏡のような銀色をした戦斧の刃が現れる。

「結構長いんだなー…」

 受け取りつつヴァシルは呟いた。
 彼の身長よりまだ長い。
 二メートルはあるだろう。
 臙脂色の頑丈な柄、柄と交差する部分の刃には鈍い紅色をした楕円形の石が埋め込まれている。
 片面に一つずつ、合わせて二つの宝石。
 刃は頑強な金具でしっかりと固定されていて、相当乱暴に扱っても滅多なことでは壊れたりしないものだということが構造からうかがえる。
 柄の先端には銀製の鋭く尖った飾りがつけられていて槍としても使用出来るようだ。

「これは対邪竜人間族用のものです。『闇』の属性を持つもの全般に絶大なダメージを与えることが出来ますよ。ドラゴンのウロコも斬り裂くことが出来ます」
「ドラッケン用…ってコトは、バハムート用のもあるんだな?」
「そういうことです。しかし人間族であるあなたには関係ないでしょう」

「メールさん、これをこの方に?」

 コートが思い切ったように口を開いた。
 メールは途端にぴたりと口を閉ざし、警戒するような瞳で彼の顔を睨みつける。
 どんなにひいき目に見ても婚約者同士には見えない、そんな二人の様子にヴァシルは大袈裟にため息をついてみせた。

「メール・シード、何があったのかは知らんけどいい加減仲直りしたらどーだ? 殴り合い以外のケンカなんてしてもつまらんだろ」

 メールとコートはケンカをしているわけではない。
 それはさっきコートから聞いたしそれにはもう言及しないと自分で決めたクセにもう忘れている。
 まさかフレデリックの鳥頭が伝染したワケではあるまいが。

 ともあれ、ヴァシルは今度はコートの方を向いて話し出した。

「ちょっとドラッケンと戦わなきゃならないコトになってな、それでドラゴンスレイヤーのありかを知ってるかって訊いたらコイツが持ってるって言うから。それならってんで譲ってもらうことにしたんだ。なあ、メール」

「ええ、その通りです。私としましても用のなくなったものをいつまでも研究室の片隅でくすぶらせているよりは世の中の役に立てていただいた方が良いと思いますからね」

 打って変わった穏やかな表情で同意を示す。

「…そうですか。───あ、こんな所で立ち話をするのも何ですから、どうぞ奥の方へ。祖父にも会ってやっていただけませんか、武術大会が好きであなたの大ファンでして」
「じーさんが?」
「はい。まったく年甲斐もなくお恥ずかしい限りなんですが…」

 武術大会に熱狂する老人。
 そこはかとなくコワいものがなくもない。

 ともかく勧めに応じて歩き出そうとしたヴァシルは、メール・シードがあからさまにイヤそうなカオで突っ立っているのに気づいた。
 コートもそれに気づく。
 小さく息をつくと、コートはメールに呼びかけた。

「メールさん、お茶の時間にしましょう。あなたが帰って来る頃だろうと思って、ビーネンシュティッヒを焼いて待ってたんですよ」

 その言葉を耳にするや否や、メールの顔がぱあッと明るくなった。
 ヴァシルが思わずぎょっとしてしまったほどの変貌ぶりだった。
 先程とは一八〇度変わって満面の笑顔になったメール・シードは、眼鏡を外してポケットに突っ込むと親しげにコートに近づいた。

「ホントですか。嬉しいなァ、あれ大好きなんですよね。ヴァシルさん、コートさんのビーネンシュティッヒが食べられるなんてあなたは運がいい。彼のお菓子作りの腕は天才的なんですよ。特にビーネンシュティッヒは…ああ、食べてみればわかりますよ。一口でも…ねえ、コートさん。早く行きましょう。紅茶は私が入れますから」

 弾んだ声で人が変わったようにまくし立て、自分からコートの腕を取って意気揚々と歩き出した。
 引っ張られて行くコートの姿を少しの間ぼー然と見送ってしまってから、ヴァシルは慌てて後を追おうとした。

 ちょうどそのとき、それまで沈黙を保っていたウォードがぼそりと呟いた。

「本当にメール君は変わってしまった。一年前に戻って来てからというもの…どうしてあんな風になってしまったんだか」

 フツーならここで、そんな台詞を聞きつけてしまった者は、それはどういうコトなんですかと彼の言葉を追及にかかるハズだ。
 しかしヴァシルにはそんな考えは浮かばない。
 彼のアタマの中にあることと言えば、あの無愛想なメールが相好を崩すくらいに美味い菓子が出されるらしい、これを食べ損ねては大変だという、まあその程度のものなのであった。

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