第12章−3
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(3)

 メール・シードは嬉々とした様子でティーセットをテーブルの上に並べている。
 バルディッシュを持ったままソファにどっかりと腰かけたヴァシルは見るともなしにそれを眺めていた。

 四階の応接室。
 最初に入った部屋の奥の扉をくぐったあと、さらにいくつかの部屋を通り抜けた先にあった石造りの階段を上り広い廊下を少し進んだ場所にある、ゆったりとして居心地のいい部屋だ。
 柔らかな色彩で統一された室内のインテリアと自然光をふんだんに利用した照明、加えて高くとられた天井に人間の心理を安定させくつろいだ気分にさせる何かがあるのかもしれない。

 などと云う高尚なことを思ったりするヴァシルでは当然なく。

 これから出されるお菓子がどんなモノなのか気になって仕方がない。
 いや、それもあるのだが、それよりも今手にしているバルディッシュで早くひと暴れしてみたくて仕方がない。
 食べるのと体を動かすのとを比べれば断然、動き回っているのが好きなタチなのである。

 不意にメールが陶器を並べる手を止めて顔を上げた。
 直後、ドアが三度軽くノックされた。
 顔を出したのはコートではなく、アントウェルペン・ベルと思しき一人の老人だった。

「おお、まさしくヴァシル・レドア君だな」

 賢者の老人と聞いてヴァシルは何となく腰が曲がってよぼよぼの、杖をついた爺さんの姿を想像していたのだが、実物は意外なほど若々しかった。
 腰も曲がっていないし杖も当然持ってはいない。
 若いときのそのままで白くなったような髪…豊かな長髪を赤と黒の組み紐で一つにまとめて背中に垂らしている。

 人懐こい微笑を含んだ瞳は孫と同じに冴えた水色をしていて、顔の中央に据わった鷲鼻としゃくれた顎が印象的だ。
 ウォードが着ていたのと同じ丈の白衣の、長袖を肘のところまでまくり上げてある。
 黒い布のブーツ、左耳に何故か金のピアス。
 老人とは思えないほど胸が広くがっしりとした逞しい体格をしていた。
 背はヴァシルと同じくらいあったりする。

「わしはアントウェルペン・ベル、コートの祖父でこの研究所の所長をやっておる。君を歓迎しよう」

 差し出された手を握り返す。
 大きくてしっかりとした手の平だ。
 髪が真っ白なのを除けば四十代でも通用しそうなアントウェルペンだが、ヴァシルやメールと同い年かそれともいくらか年上くらいのコートの祖父だということを考えるとどんなに若く見積もっても六十代に入っているハズ。
 サースルーンも年のわりには若く見えるが彼には負けるだろう。

 アントウェルペンはヴァシルの向かいのソファに腰を下ろした。
 メールがその前に紅茶を置く。

「どうぞ、所長」
「おっ、ありがとう、メール。コートは?」
「そろそろお茶菓子を持って戻って来ると思います。ヴァシルさんも、どうぞ」

 メールはヴァシルの前にもカップを置いた。
 残り二つのカップも並べる。
 それからヴァシルの隣に座った。
 長方形のテーブルを囲むようにして二人掛けのソファと一人掛けのソファが二つずつ置かれていた。

「それは…ドラゴンスレイヤーだね。メール、ヴァシル君に譲ったのか」
「ええ。世界の危機ですから」

 さらりとメールは言ってのけた。
 ヴァシルは頭上にあるバルディッシュの刃を見上げる。

「と言うことは、研究はもう終了したんだな。論文は完成したのか?」
「九割がた書き上がりました。いずれお目にかけますよ」
「楽しみに待つことにしよう。ところでヴァシル君、こういう武器を使った経験は?」
「全然。もともと金属の刃のついたヤツはあんまり好きじゃないからな。使ったことがあるのは棒の類いだけだな」
「そうだろうな、一流の格闘家たる者当然そうでないとな。しかし何も知らずに振り回せばいいというものでもない。良いかね、斧というものは相手を斬るのではなく叩き潰すつもりで…バルディッシュの場合はその長い持ち手を最大限に活用して、遠心力を利用するようにして振り下ろした場合に最も威力を発揮する」
「遠心力…?」
「つまり、持ち手のなるべく端の方を握って、自分自身を中心に据えた円を描くように刃を…」

 ノックの音が聞こえた。
 メールがすかさず立って行ってドアを開ける。
 銀のトレイを両手に抱えたコートが入って来た。
 トレイの上にはビスケットに似たお菓子、ビーネンシュティッヒがどっさりと盛られた白い皿が載っている。

「お待たせしました、お口に合うかどうかわかりませんが召し上がって下さい」

 皿をテーブルの中央に載せ、空いたトレイをテーブルの脚に立て掛けておいて、コートは祖父の横に座った。
 メールも自分の場所へ戻る。

 ヴァシルは早速バルディッシュを持っているのとは反対側の手を伸ばして菓子を掴み取ると二、三個いっぺんに口の中に放り込んだ。

「んッ…?」
「どうかしましたか?」
「いや、何でもない」
「おいしいでしょう、コートさんのお菓子。どんどん食べて下さいね」

 にっこり笑って言葉をかけて、メールは自分の口にバターで焼いたはちみつ風味のビーネンシュティッヒを入れる。
 それから幸せそのものといった表情で紅茶をすすった。

 一方のヴァシルは舌に広がった味がごく最近食べたものと同じらしいのに気づいて無意識のうちに記憶を手繰っていた。
 料理の名前はよほどでないと覚えないが味ならば特に気にしていなくても大抵感覚に残っている。

 最近菓子を食べたのは…そうか、聖域の洞窟の島から戻って来てバルデシオン城でお茶の時間になったあのときだ。
 あのとき出された何種類かのお茶受けの中にこれもあったんだ。

 でもあのとき、メールはこれには手をつけなかった。
 今の表情からしてこの菓子が彼女の大好物であろうことはまず疑いがないだろう。
 そうすると、バルデシオン城では何故これを食べなかったのか?
 本当に空腹じゃなかったのか、それとも婚約者の手作りのお菓子と他人の手になるお菓子はまた別物なのだと、そういうコトなのだろうか?
 もしかしてメールがコートの顔を見て突然不機嫌になったのは、いつもおいしいお菓子を作ってくれる彼の前に立つなり急にそれまで感じていなかった空腹感に捕らわれたりしたからだったのか…。

 そんな理由でお腹が空いたり機嫌が悪くなったりするような人間ははたして実在するのだろうか。
 ヴァシル、自分の基準に他人を合わせすぎである。

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