第12章−5
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 メール・シードとコート・ベルが初めて出会ったのは、今をさかのぼること五年前のことであった。

 武術大会でヴァシルが初出場で初優勝の栄誉を獲得し剣術大会でトーザが惜しくも準優勝に終わったその年、メールは魔道大会を見物するために王都にいた。
 コートも祖父と一緒にその会場に来ていた。

 きっかけは誰もが思いつきそうなのだけれど実際にはそんなことは起こり得ないんじゃないかと疑いたくなってしまいたくなるくらいありふれていて単純なものだった。
 曰く、人込みの中を買ったばかりのアイスクリームを持って自分のいた場所へ戻ろうとしたメールが小石か何かにつまずいて、その拍子にたまたま真ん前に立っていたコートの背中に思いっきりアイスをぶつけてしまったのだとか。
 当然のごとくメールは平謝りに謝り、コートは愛想のいい笑顔で構いませんよと受け流す。
 しかし彼女は納得せず、汚してしまったのが上着だったことを幸いとその場で追い剥ぐようにして脱がせて持ち帰り、後日きれいに洗濯してアイロンまできちんと当てたものを研究所に届けに来た。


「どうも、スイマセン、これ…ちゃんと洗っておきましたから。シミにもなってないと思うんですけど…」

 言いながら、メールはがさごそと紙袋を探ってコートの上着を取り出し、折り目正しくたたんだ服の背中にあたる部分を調べている。
 エントランスホールでメールを迎えたのはコートとアントウェルペンの二人である。

「そんなに気を遣ってくれなくても良かったんだが…」
「いーえ、あれは全面的に私が悪かったんですから。このくらいはさせてもらって当然です」

 メールは紙袋をコートに差し出した。

 豊かに潤んだ黒い瞳と、同じ色をした長くきれいな髪。
 薄手の真っ白なブラウスに若草色のフレアスカートを合わせて、胸元には深紅のスカーフ。
 足元には紺の革靴。
 いずれも上等な素材で作られたものだ。

 その場で謝るだけでは納得出来ずに上着を洗濯してわざわざ返しに来たこととから、彼女がしつけの厳しい良家のお嬢様であることは自ずから知れる。
 そんなメールの手から紙袋を受け取りながら、

「でも悪いことをしましたね、結局魔道大会は観られなかったでしょう?」

 ためらいがちに話しかけた。
 メールがコートにぶつかって来たのはまだ第一試合すら始まる前だったのである。
 彼女はコートの上着を持って染みになっては大変だと大慌てで帰って行った。
 洗濯を終えて会場に戻って来たところで人垣の後ろからではろくに観戦出来なかったに違いない。

「あ。…え、ええ、結局…でも気にしないで下さい。また四年後がありますから」
「けど、今年でバイトレアは魔道大会を引退するって噂だけど…」

 ついつい言わなくていいコトまで言ってしまうコート。
 バイトレア・エメラルディアは真空系の魔法の名手、俗にいう『風使い』だ。
 今回の大会に出場する選手の中で最も注目を集め、大勢の観客の期待通りに優勝を成し遂げた。
 まだ十分に現役でも通用する年齢なのだが(魔道士の年齢は外見からではわからないことが多い)これからは新しい世代の若者に自分の持っているものを伝えていくことに専念したいと前々から広言していた。

「ま、まあそれは…でもっ、ホントにいいんです。四年経てばもっとスゴイ魔道士が出て来るかもしれないし。そのぶんかえって楽しみになったくらいで…あはは、それじゃあそーゆーコトで、私は失礼しますね」

 ちょっとどころではなく落ち込んだ様子を精一杯の愛想笑いで隠(すことにものの見事に失敗)しつつ、メールは二人に背を向けかけた。それをアントウェルペンが引き留めた。

「まあ待ちたまえ、親切にクリーニングまでしてもらった返礼に、当研究所の新発明品を試していかんかね?」

「新発明…?」

「まだ一般に実用出来る段階には来ていないんだが、君を満足させるには十分だと思うよ」

 メールはアントウェルペンの水色の眼差しを見上げた。

「私、お金持ってませんよ」

「…別に売りつけようなんてこれっぽっちも考えていないんだが…」
「そ、そーですよね、申し訳ありません。私ってば、つい…」

 つい何だと言うのだろうか。

「で、新発明品ってのは一体どんな物なんですか?」

 気を取り直し、興味津々といったカオで尋ねて来る。

「映像を記憶する装置だよ。その装置に任意の映像を取り込んでおけば、いつでも好きなときにそれを見られるし、巻き戻したり早送りしたりということも自在に出来るんだ」

「…??」

 メールは露骨に戸惑った顔をしている。

「実はその装置で、この前の魔道大会の模様を保存してあるんだよ。それをぜひ君に見てもらいたい」

「えッ! ホントですか?!」

 思いがけない言葉に、メールはエントランスホールに反響してしまうくらいの大声を張り上げた。
 慌てて自分の手で口を押さえる。

「コート、ケンリックに言って装置を用意してもらってくれ。いつもの部屋にいるハズだ」
「わかりました」


 四階の一室で先日の魔道大会の白熱した試合内容を見せてもらった後、メールの興味の対象はバイトレアの目の覚めるような活躍ぶりよりももっぱら目の前に置かれた映像記憶装置へと移行してしまったらしい。
 脇に控えたこの装置の発明者、ケンリックの腕をがっしりと掴んで早速質問を開始する。

「これ、名前は何て言うんですか?」

 小太りで背の低い、お人好しを体で表しているかのような彼は若い女の子に手を掴まれて少し照れ臭そうにしながらも、

「まだ名前はないんですよ。研究所では映像記録再生装置と呼んでますけど…」

 聞き取りやすい明瞭な声で答えた。

「どんな仕組みになっているんですか?」

「いや、大したものじゃないんです。正直言って…精霊の力の宿った水晶にほんの少しだけ改良を加えたものでして…」

「精霊?」

「水の精霊、ウンディーネです。水には水面に映った景色を記憶する性質があるんです。それを利用して、水に映したものをああやってスクリーンに映写出来るようにしただけなんです。まあ、強いて言うなら水そのものの記憶容量を拡大したり、狙いのものだけを取り込めるように水の意識がなるたけ一点に集中するようにしたり、そうした手間もかけましたが」

 説明しておいて、ケンリックは装置にセットしてあった一本の試験管を取り外してメールの目の前に差し出した。
 メール・シードは額が触れそうなくらい試験管に顔を近づけて透明な水をのぞき込んだ。
 新しい玩具を見せられた子供のような反応だった。

「これは特殊な水なんですね? へえ〜…」

「記録用のこの水を作るのに大変な時間と費用がかかるんです。一般に普及するのはまだまだ先のことになりますね」

「でも、これが実用化されれば素晴らしいですよ。いつでも見られるってコトは、自分の子供の時の映像をとっておいて大人になってから見たりも出来るんですよね? きっと受けますよぉ、絶対売れますって」

「これなら買うかね?」

 アントウェルペンが愉快そうに尋ねると、メールはこくこくと元気良くうなずいた。

「面白いですね、ここってこんな風な楽しそうなモノばっかり作ってるんですか?」
「そうだよ。興味があるようだね?」
「はい、もちろん! 他に何かありますか?」

「コート、倉庫を案内して差し上げなさい。実用には向かなかったのだが面白い道具がごまんとしまわれてあるから」

 前半をコートに、後半をメールに向かって言う。
 それまで祖父の隣で大人しくかしこまって座っていたコートが少しだけ緊張した声で返事をして立ち上がった。
 メールも続いて席を立つ。

「こちらです、どうぞ」

 心もち赤らんだ頬を隠すようにうつむき加減で、コートは先に立ってドアを開けた。
 その手にさっきの紙袋をまだ持っている。
 置いてくればいいのに、動転しているらしい。

 二人が出て行くのを、アントウェルペンは穏やかな目で見送った。

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