第12章−7
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メール・シードの話は成り行き的にそれでおしまいということになり、ヴァシルとアントウェルペンは格闘談義に花を咲かせ始めた。
コートはティーセットと空になった大皿をトレイに乗せるとそっと部屋を出た。
一人で廊下を歩いていると、忘れかけていた胸の痛みと共にある事柄がコートの脳裏にまざまざとよみがえってきた。
祖父にも他の誰にも内緒にしていたが、メールがフェデリニに向けて旅立ってから半月ばかり経った頃、たまたま王都にいた流れの占い師に自分とメールとの結婚運をみてもらったことがあった。
もちろん遊び半分の軽い気持ちでしたことだった。
コートぐらいの年齢の若者が恋人との相性をアテにならない占いの結果としてでも知りたいと思うのは当然のことである。
ましてや彼は半月後に結婚式を控える身なのである。
…が、占術に用いるカードを一通りめくり終わった占い師はそんな彼とは正反対の怖いくらい真剣な目で彼を見上げた。
そして抑えた声でこう囁いたのだ。
「大変申し上げにくいのですが、相手のお嬢さんはすでに亡くなっておられるようです。生者と死者の相性を占うことはみどもには出来かねます」
予想出来ようハズもなかったその言葉に激しいショックを受け、占いの一件を誰かに相談するべきかどうか判断しかねているうちにメール・シードは戻って来た。
彼女の自慢だった長い黒髪をばっさりと切り落として、明るい色調の服が好きでそんな服しか着なかったのに暗い色合いで統一された衣類に身を包んで。
『彼女』は本物のメール・シードなのだとコートは信じていた。
祖父や周囲の皆が『彼女』はどこかで本物と入れ替わった偽物であると考えている、もしくは考えたがっていることは知っていた。
それでも…。
以前の彼女が絶対に見せることのなかった冷然とした瞳を自分に向けることがあっても、一月前の彼女とは全然比較にならないくらい飛躍的に知識量が増大していることの不自然さに思い当たっても、コートは信じていたかった。
あのメールが別人なのだとすれば、本物は何処にいる?
本物がどこかにいるのなら、一年以上経っているのにどうして自分の所へ帰って来ない?
…コートには髪の短いメール・シードを本人なのだと信じるしかなかった。
『彼女』の存在を否定することは、あの占い師の言葉を肯定することにほかならないように思えたから。
そんなことは、どうあっても認めるわけにはいかなかったから…。
それにしても。
何故、メールさんはあんな嘘を…?
ヴァシルを混乱させるだけだと思ったのかアントウェルペンはあえて言わなかったが、メールが訪ねるはずだった「フェデリニに住んでいる遠縁の親族」は実在しなかった。
自分の足でフェデリニの町中を歩き回って聞き込んで確かめたのだ。
町の人達は口を揃えてシードという名の人間がここに住んでいたことも、メールらしい少女がこの町に来た事実もないと言った。
全員が異口同音にそう証言するのを聞き届けたとき、メールの足どりは絶えた。
彼女はコートと出会ったときすでに両親を亡くしていて、母方の祖母と二人暮らしだった。
シードというのは母方の姓なのである。
もしフェデリニに住んでいるのがシードという名ではない父方の親戚だったとしたら…しかし、どうやってそれを調べることが出来るだろう。
メールの父親の名を知る祖母はもう他界してしまっている、本人に聞いても今の彼女から答えが返って来るワケもなく、以前の自分達は亡くなったメールの両親を話題にすることなどしなかった。
他の町に彼女が訪ねて行きそうな親戚がいるのかどうかも知る手段はない。
フェデリニというのが聞き間違いだったとしても(そんなことは万に一つもありえない可能性だったが)それではメールがどこで何をしていたのか…ということはわからない。
コートには推測することさえ出来なかった。
祖母を亡くして以後の彼女を誰よりも理解しているはずの自分だった。
なのに…それは、所詮、錯覚でしかなかったのだろうか…。
☆
コートが悲愴な物思いに沈み込んでいた頃、ヴァシルとアントウェルペンはすっかり意気投合して初対面の人間同士とは思えないほどに打ち解けていた。
年齢の差をまったく感じさせないアントウェルペンの喋り方とものの考え方とに大いにひきつけられたヴァシルは、いつになく饒舌になって自分が世界一の格闘家を目指そうと思ったきっかけについて、みたいなことを熱く語っていた。
───が、不意に何かに思い当たったように言いかけた言葉を飲み込んだ。
「…どうかしたかね、ヴァシル君」
「いや、今ちょっと…。…? なんか…」
一瞬頭の中を過ったもの、それが一体何だったのか、眉間に皺を寄せて思い出そうとする。
ひらめいたのはどうでもいいような事柄ではなかった。
何かしら、今のこの状況に関係があることのような……?
「あっ!」
思い出した。
思い出して、そしてヴァシルは考え込んだ。
口元に手を当ててじっと黙り込む。
自分が今思い出したことの意味について思考を巡らす。
「一体何なんだね、よかったら話してくれないか」
アントウェルペンが言うのに曖昧にうなずいてから、ヴァシルはゆっくりと相手のカオを見た。
「オレ、メールのことを聞いたことがあったんだった」
「?」
「そうだ、昨日バルデシオン城で…ドラゴンスレイヤーのことを教えられたときに」
バルディッシュの刃をちょっと見上げる。
「ドラゴンスレイヤーのことを研究している学者がいるって。いつも濃紫色の上着を着た、無口なヒューマンのセージ…」
「ああ、それは間違いなくメールのことだろうな。ここ一年ほどのメール・シードのことだ」
アントウェルペンは少しがっかりしたように言った。
それを受けて、ヴァシルははッと目を見張り、ばッと身を乗り出して続けた。
「違う、アイツが言ってたのは三年前のことだった。十六、七のヒューマンの女だってそいつは言ってたんだ」
「三年前?!」
アントウェルペンは驚いて復唱し、それから苦い表情を浮かべて首を左右に振った。
「違うよ、ヴァシル君。三年前のことであればその賢者はメールではありえない。三年前の彼女はさっき君も見た通り、人懐こい喋り好きなコだった。それに当時のメールはドラゴンスレイヤーの研究などしていなかった。なにしろ、そのとき彼女は十六歳で、研究所のスタッフにもなっていなかった頃だ。十七の誕生日に正式に所員として採用したんだとさっき言っただろう」
「それじゃあ…?」
「その人の思い違いじゃないのか、三年前というのは。あるいは君の聞き違い、記憶違いということもあるだろう」
「念のために訊いとくけど、三年前王都にドラゴンスレイヤーの研究をしてたセージはいたか?」
「いや…王都でそんな噂は聞いたことがないが……」
そこまで口にして、今度はアントウェルペンが口を閉ざして考え込んだ。
半年前、メール・シードがドラゴンスレイヤーを研究対象に選んで単独作業を開始したとき、彼女はすでにかなりまとまった量のデータと書きかけの論文を収めたファイルを持っていた。
あれだけの資料を綴じたファイルを完成させるにはかなりの年月が必要なハズだ。
メールが抱えていた分厚いファイルを思い出してみる。
一度だけ見せてもらったファイルの中身を埋めていたのは確かに本人の文字だった。
…書き写すだけでも相当な日数と手間がかかるだろう。
しかし彼女がそんな作業をしている様子は微塵もなかった。
ある日突然、あらかじめどこかに置いてあったものを取り出して来たかのように、彼女はこの研究所にあのファイルを持ち込んで来た。
そう、持ち込んで…あのファイルは研究所の外にあったのだ。
メールが以前住んでいた家は彼女が研究所に住み込むようになって間もなく処分され建て替えられて他人の手に渡っていた。
彼女はどこからあれを持って来たのか?
今まで特に気にもかけて来なかったその一点が、ヴァシルのたった一言の情報によって急速に大問題に発展しつつあった。
気づくと、アントウェルペンはソファから立ち上がっていた。
「確認したいことが出て来た。ヴァシル君、一緒にメールの研究室まで来てくれるか」
深刻そのものの彼の顔を見上げて無言でうなずき、ヴァシルも立ち上がった。
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