第12章−9
         10 11 12
(9)

 日が暮れて西の空が赤く染まり始める頃、ヴァシルは王城に戻って来た。

 メール・シードもコート・ベルも研究所内にいないという、ただそれだけのことを確かめるだけで予想外に時間を食ってしまった。
 研究所が非常識なまでに大規模なのと、騒ぎを大きくしないためにアントウェルペンと比較的親しい少数の研究者達だけにしか協力を求めなかったというのがその理由だ。

 体力自慢の彼のこと、疲労は特になかったが空腹は耐え切れないほどだった。
 それでもなんとか気力だけで己の身体を支えて途中で寄り道することもなく城まで戻って来た。
 街中で買い食いしなかったのは、王城の夕食の方が豪華で美味しいのがわかっていたからそれまでは我慢しようと考えたからに他ならない。
 彼でもそのくらいの我慢なら出来るのである。

 門の前にいくつかの影がある。
 チャーリーとグリフ、それにフレデリックだ。
 元の自分の黒い服を着てグリフの身体に背中を預けるようにもたれたチャーリーは手に持った紙片に書かれてある何かを読み耽っていた。
 そばにフレデリックが所在なくそれでも全然退屈そうな様子もなく立っている。

「おーい、メシはまだかー?」

 離れた所から呼びかける。
 二人と一頭の視線が彼に向けられる。

「今帰って来たの? わりと遅かったじゃない」
「おや、お知り合いの方ですか」
「それがドラゴンスレイヤー?」

 フレデリックを無視してチャーリーは二、三歩進み出た。

「おう。なかなかのモンだろ。それより、メシ…」
「メールは?」
「それが、突然いなくなっちまって…そんなことより」
「いなくなった?」

 チャーリーが片方の眉を上げてヴァシルを見上げた。

「いや、詳しいことは食事のときに…」

 今にも倒れそうなほど真っ青になってかろうじて呟く。
 チャーリーは呆れて大袈裟なタメ息をつくと広げていた便箋を三つに折り畳みフレデリックに持たせていた封筒を取り上げてその中にしまい込み、グリフの翼の中に注意深く隠した。

「それじゃそろそろ夕飯の時間だし、食堂に引き上げるか。グリフ、また後で来るからね。いいコにしてるんだよ」

 チャーリーは大人しくそばに寄り添っていたグリフォンの頭をよしよしとかいぐった。
 グリフが気持ち良さそうに目を細める。

「このグリフォンはどこから捕まえて来たんですか?」
「どーでもいいから入ろーぜー…」


 王城の夕食はやはり豪華だった。
 他に説明のしようもない。
 テーブルいっぱいに並んだ料理をさながら未開人のごとくヴァシルがかっ食らっているそばで、チャーリーとギルバーは今度は無茶をしないようにゆっくりナイフとフォークを動かした。
 ゴールドウィンの計らいで全てのメニューが一度に食卓に並べられたので、強迫観念にとらわれる心配はない。

 ヴァシルが人心地ついて昼間あったことを話し始めるまでにかなりの時間待たなければならなかった。
 それから、決して要領良くまとめられているとは言えない彼の説明を聞き取って事態を整理するのにさらに努力を必要とした。
 チャーリー達がようやく研究所での一部始終を理解・把握した頃には、夕食は終わり皆の前には食後のコーヒー(一部ホットミルク)が並んでいた。

「…え〜と、つまり…」

 少なからぬ混乱を覚えながらチャーリーはとりあえず口を開いた。

「メール・シードが一年前とはまるっきりの別人で、コート・ベルッて婚約者がいて、メールが本当はもう死んでるらしいからそのコートがショックを受けて行方不明になった、と…」

「そーゆーコトだ」

 ヴァシルはあっさり言い放った。

「そーゆーコトッて、アンタね…」

 チャーリーは自分がついて行かなかったことを今さらながらに激しく悔やんだ。
 この説明では何がなんなのだかさっぱりわからないではないか。

 一年前までのメールと自分達の知っている現在の彼女とが全然違うらしい、というのはまあ良しとして(良くはないのだが)、メール・シードが『本当はもう死んでいるらしい』というのはなにごとか。
 メールは実際自分達の目の前に存在していたではないか。
 まさか幽霊だったなんてコトはあるまいな。
 あるいは、アンデッドだった…いや、違う。
 それはない。
 アンデッドは生きている人間と同じように会話したりは出来ない。
 呪文の詠唱ぐらいならネクロマンサーの腕によっては可能だが、アンデッドは原則的に自身の『声』を持たないのだ。
 それとも、彼女は例外だったと…?
 違う。
 メールは一流の死体操者であるラーカ・エティフリックと顔を合わせている。
 彼ならそのときに尋ねたはずだ、何故バルデシオン城を死体がうろついているのかと…。

「メール・シードもコート・ベルも研究所にはいないんだな?」
「ああ。手分けして隅々まで捜し回ったんだから確実だろ」

 満腹してすっかり和んだ表情になったヴァシルは鷹揚にうなずいた。

「だとすると、よくあるじゃないか、二人だけの思い出の場所で逢い引きするというパターンが」
「思い出の場所?」
「そうだ。二人が初めて出会った場所とか、初めて愛を告白した場所とか、二人だけにわかるそーいう特別な所に…」
「その婚約者のコートさんってヒトはともかく、メールがそんなトコに行きますかねぇ」

 チャーリーは露骨にうんざりとした顔で腕を組んだ。

「片方だけでも見つかればいいじゃないか。行方知れずのままよりマシだろう」

 ゴールドウィンは澄ましたカオでホットミルクを口に運ぶ。

「カムラード、大精霊の立場からこの異常事態に何か意見はないの?」

 チャーリーはギルバーではなく彼の腰の道具袋におさまった翡翠に言葉をかけた。
 適切な判断だがギルバーに失礼ではある。

『そんなものあるわけがなかろう。…待てよ、お前さん、どうしてワシの名を知っとるんじゃ? ワシは名乗らんかったハズじゃが』

「えっ…それは」

 少し言葉を切って、

「教わったんです。メール・シードに」

『その娘がワシの名を知っていたというのか?』

 不審げな声。
 ゴールドウィンが何の気なしに口を挟む。

「アクアマリンの精霊の名も知っていたのではなかったか。ブレスラウという」

『その名も知っておったのか? …ふむ、ワシらが次に成すべきことはどうやらそのメールとやらの行方を捜し出すことのようじゃな』

「アイツは一体何なんだ?」

 ヴァシルが基本的な問いを発した。

『それはわからん。しかし…』
「放っておける存在でもなさそうだな」

 ゴールドウィンが灰色の瞳をチャーリーに向けた。
 チャーリーはかすかにうなずいた。

「メールさんってどなたですか?」
「行方を追うんだったら早くしないと。ヴァシル、バルディッシュを貸して」
「いいけど、どーすんだ?」
「メールの残留思念を読んでみる。行き先がわかるかもしれない」

 チャーリーはヴァシルからドラゴンスレイヤーを受け取ると、両手でそれを握り締めて精神を統一した。
 瞳を閉じ、残っているハズのものを探る。

「…?」

 彼女の顔が険しさを増した。
 複雑な表情でしばらく読み取りを続けていたが、やがて諦めたように大きく息を吐いてバルディッシュをヴァシルに返した。

「ダメだ。わからない。メールの思念が残ってないんだ」
「ということは…?」
「メールが行方を探られないようにあらかじめプロテクトの魔法をかけておいたんだと思う」
「それでは、どうする?」

 ゴールドウィンが真面目にチャーリーを見つめた。

「どうするったって…」

 どうにも出来ないんじゃないだろうか。
 メール・シードはもう王都にはいない可能性が大きい。
 移動魔法で王都を出られたのだったら、今から捜し出すのは無理だ。

「でしたら、とりあえずコートさんの方を捜してみてはどうでしょうか」

 ギルバーが提案する。

「コートさんは当然我々よりもメールさんのことをよくご存知でしょうし、彼ならもしかしたらメールさんの行き先に心当たりがあるかも…先程国王陛下がおっしゃられたように」

 本当にさっきゴールドウィンが言ったことそのままである。
 だがしかし、現実問題としてそうするしか手はないだろう。
 コートを見つけ出したところでメールの居場所がわかる保証はないが、何もしないよりはマシだ。
 そうとなったら善は急げとも言うことだしと、就寝時間までにはまだ間があるし、食後の軽い運動がてら、みたいな気分でチャーリー達は早速ベル研究所を訪ねてみることにした。

 今度はゴールドウィンも一緒に来る方向に話がまとまった。
 じいやはいい顔はしなかったが(あからさまに不満げな顔をしていた)同じ街の中にある施設だしチャーリーやヴァシルもついていることだし(実は何ら安心材料になっていない)まあいいだろうと考えて、なるべく早く城に戻って来るよう厳重に言い渡してから彼の外出を許可した。

 じいやが退出したあとで、ゴールドウィンは軽く肩をすくめてチャーリー達に笑いかけた。

「やれやれ、いつまで経っても子供扱いだ。王位も継いだことだしそろそろ身も固めようかという年にもなったというのに、困ったものだな」

「そりゃ仕方ねーんじゃねぇの? あのじーさんから見りゃ、陛下なんか子供どころか孫みてーなもんなんだから」

「私が言ったのはそういうコトではないのだがな…」

「じゃあ、そろそろ…」

 行きましょうか、キリがないから。

 と続けようとしたチャーリーの言葉をそっと押し止めるように、控え目なノックの音がドアを打った。
 ゴールドウィンが応じると、ドアは静かに開かれた。

 室内の人間の注目を集めるのを恥じらうようにやや顔を伏せがちにして、遠慮深い動作で戸口に姿を現したのは、ゴールドウィンの妹、シアンレイナ・レッドパージだった。
 美しい輝きをまとった長い黄金の髪、兄のそれより少し青みがかったグレイの大きな瞳、雪のように白い肌、触れればそれだけで壊れてしまうのではないかと思える儚げな風貌。
 淡い色彩でデザインされたドレスが嘘みたいによく似合っている。

「お兄様、お客様がいらしたのなら教えて下さらないと…挨拶が遅れては失礼にあたってしまいますわ」

 銀で出来た鈴を転がすかのような綺麗な声。

「いや、悪い。ついうっかりしていてな…そうだ、こちらはギルバー・レキサス。ウェアウルフの族長のご令息だ」

 ゴールドウィンはギルバーを手で示した。
 ギルバーは慌てたように頭を下げた。
 かなり緊張している様子である。

 無理もないだろう、シアンレイナは絶世の美少女としてその名を世界中に知れ渡らせているような、ほとんど芸術的…奇跡とさえ言いたくなるような容貌の持ち主なのだから。
 若い男性としてはアガッて当然。
 女性でさえも目を奪われるくらいなのだ。
 初対面のときでさえ彼女には無関心だったヴァシルや初対面なのにも拘わらず(と言っても彼にとってはチャーリー以外の人間とは常に初対面のようだが)まるで反応していないフレデリックの方が異常なのである。

「こちらがフレデリック。先刻の大津波から王都を守って下さった一流の魔道士で…魔道士チャーリーの知り合いだそうだ」

「やあ、どうも。初めまして」

 初対面の挨拶なら手慣れたものである。

「初めまして…ゴールドウィンの妹の、シアンレイナ・レッドパージです」

 ドレスの裾をちょっと上げて、優雅に膝を折って礼をする。
 その仕草も恐ろしいほど完璧なものだった。

「チャーリーさん、ヴァシルさん、お久し振りです」

 優しい微笑を二人に向ける。

「どうも、こんばんわ」
「悪いな、今日はトーザ来てねぇんだよ」
「えッ…な、何をおっしゃるんですか、ヴァシルさん…!」

 シアンレイナは両手をぱっと頬に当てた。
 見る間に抜けるように白かった肌が桜色に染まる。
 サイトに負けず劣らずカオに出やすい。

「そーいうコトは言わないの」
「次は連れて来てやるよ」
「言うんじゃないって」

 チャーリーはヴァシルの髪を引っ張って黙らせた。
 空腹でないときの彼は大体これで大人しくなる。
 空腹時の彼を黙らせたいときは食べ物を与えれば良い。

 ただし、ヴァシルの行動にはいつだって九割方はあくまで悪気がない。
 トーザと一緒のときの方がシアンレイナが楽しそうにしていたのを覚えているから、今度は…と言っているだけだ。
 何故シアンレイナが否定するようなコトを口にするのか、チャーリーに止められなければならないのか、その辺の微妙な事情はよくわからない。
 情けないことだ。

「…ところで、どこかへお出かけになられるところだったんですか?」

 全員が立ち上がっているのにふと気づき、見回して尋ねる。

「これから研究所に行くんだ。コートを捜してメールを見つけるんだ」

 ヴァシルが大雑把な説明をした。
 これぐらいならしない方が良さそうなほど大雑把な説明だった。

「メール…さん、ですか?」

 シアンレイナが小さく首を傾げた。
 ヴァシルを睨んでそれ以上口を開くのを無言で遮っていたチャーリーは彼女に向き直る。

「知ってるの?」
「髪が短くて、メガネをかけてらっしゃる…」
「そうだけど…」

「さっきお会いしましたわ」

「えッ?!」

 思わず大声をあげる。
 シアンレイナは少したじろいだ。

「どこで会ったんだ?」

 ヴァシルが早口で問う。

「一階の図書室で…まだいらっしゃると思いますけど…」

 チャーリーとヴァシルはどちらからともなく顔を見合わせた。
 次の瞬間、ヴァシルはシアンレイナの横を素早く擦り抜けて廊下を駆け去った。

「………?」
「コートさんを捜さないと…」

 チャーリーは苛立たしげに舌打ちして、ギルバーとフレデリックの方を振り向く。

「研究所へ行こう。国王陛下は残って下さい。メールから少しでも事情を訊き出しておいて下さい」
「わ、わかった…」

 三人が走り出て行った後で、シアンレイナは困惑しきった様子で兄を振り返った。

「一体…何がありましたの…?」
「…さあ…わからん。さっぱり」

 正直な感想だった。
 そこに慌ただしく足音がしてヴァシルが顔を出した。

「図書室ってどこだ?!」

「…なんて基本的なヤツだ」

前にもどる   『the Legend』トップ   次へすすむ

Copyright © 2001 Kuon Ryu All Rights Reserved.