第8章−8
(8)
「『闇』の秩序に従いて…」
ウィプリズが低い声で呟き出した。
トーザが戸口からわずかに踏み出して様子をうかがっている。
関心を完全にウィプリズに移していたヴァシルとサイトの耳に、思いがけず別の声が飛び込んで来た。
「我のもとへ集え、同朋よ…」
ハッとそちらを見る。
レフィデッド…生きているかのようなしっかりとした声だった。
「召喚・ディスソウル!」
二人の魔道士が唱和する。
何が起こるのかとそれぞれに緊張するチャーリー達。
ディスソウルなど、聞いたこともない魔法だった。
と、トーザの後ろからひょいとメールが顔を出す。
「足元気をつけて下さい。上へ逃げた方がいいですよ」
ヴァシルとサイトに言葉を投げて、トーザの着物を引いて小屋の中へと連れ戻す。
事態が把握出来ないまま、サイトはヴァシルの腕を掴んでチャーリーと同じくらいの高さまで上昇した。
直後。
二人の足が大地を離れるのを待ち構えていたようなタイミングで、地面が揺れ始めた。
震動に足をとられて倒れないようにトーザ達はその場でしゃがみ込む。
対照的に、ウィプリズとレフィデッドは毅然として真っすぐに立っている。
二人の足元の地面だけが動いていないようだったが、見ただけでははっきりしたことは分からない。
揺れる視界の中から静止しているものを捜し出すのは至難の業だったし、見下ろしているぶんにはそれこそ島全体が震動しているように見えるのだ。
息を呑んで見守る皆の前で、大地が海面のように、液体のように一斉に波打った。
地面とは思えない柔らかさで大きくうねる。
ウィプリズとレフィデッドの足元…二つの点を中心にして、同心円状に広がる二つの波紋が大地を走る。
そして、地面が赤く明滅し…。
「?!」
チャーリー達は思わず我と我が目を疑った。
赤い光が薄れるように消えたその後…半径一キロくらいの円を描いた範囲に突如として、真っ赤な鎧兜で身を固めたおびただしい人数の邪竜人間族らしい兵士が出現していたのだ。
その数は、百人かそれとも二百人か…全員が兜を目深に被っているので一人一人の顔は見えないが、きっと彼らもアンデッドだろう。
雰囲気からして生きている者とは違っていた。
「んなっ…また数で勝負かよッ?」
ヴァシルが思わず声をあげる。
大量の兵士達は各々剣や槍などの武器を携えていた。
海辺の洞窟と同じような状況だ。
「何人出て来ようと、魔法で一掃すれば同じなのに」
「だッ、ダメですよ、下にはまだトーザさん達がいるんですから!」
「あ、そうか…」
すっかり忘れていたらしい。
「でも、それじゃどうする? あの三人にはこの数は防げねーだろうし…」
上でボソボソ話をしている間に、下では兵士達が行動を開始していた。
小屋に向かってぞろぞろと不気味に動き出す。
ウィプリズとレフィデッドはチャーリー達と対峙する位置まで浮き上がって来た。
「お前ら、人海戦術が好きなんだなァ…」
ウィプリズに呆れたように言いながらも、ヴァシルは自分の身の置き場がないのを感じていた。
空中にいたのではチャーリーとサイトの邪魔になってしまうし、かと言って下へ降りても大した活躍は出来ない。
オレッて何でここにいるんだろー…もしかするとこの先ずっとこんな風に役立たずな立場ばっかり回って来るんじゃねぇだろうな。
このぶんだとこれからも敵は邪竜人間族とアンデッド中心ってコトになりそうだし、そうするとオレの出る幕なんてほとんど…それは、前にチャーリーが言っていたコトだった…分かってたつもりなんだけどなぁ。
でも宝石に触れたってコトはオレにも何か出来るコトがあるってコトだよな。
しかし戦闘の度に足手まといになってるように感じるとしたら、これからたまんねぇよなぁ…。
心の中で言葉にしていることを顔には出さないよう巧妙に隠して、ヴァシルは八つ当たりのようにウィプリズを睨みつけた。
せめてオレが飛行の魔法でも使えたら、事態はちょっとは改善されるに違いないんだけど…自分が魔法の使えない人間なのだということはずいぶん前に明らかになっていた。
以前チャーリーが言っていた…その人が魔法を使えるかどうかは生まれたときから決まっている。
使えないように生まれついた人間はどんなに努力しても魔法を使えるようにはならない。
だって、魔道士は『選ばれた人間』なのだから。
最後の言葉には納得がいかなかった−それにしては魔道士の数が多すぎる−が、ヴァシルには魔法は使えないと言い切ったチャーリーの言葉にはうなずかざるを得なかった。
まあ色々試してみた時期があったのだ。
その結果導き出された結論である。
ヴァシルの思惑とはまったく関係なく、ウィプリズは軽く首を振って答えた。
「好きなわけではない。しかし便利だろう? 捨て駒が多くいるというのは」
「捨て駒だと? 自分達の仲間じゃないのか?」
サイトが表情を険しくした。
蒼い瞳が憎悪の色をあらわにしてウィプリズを見据える。
こういうときの瞳だけはサースルーンによく似ていた。
「仲間を殺してアンデッドにしてるんだってね?」
チャーリーがさりげない調子で口にすると、ウィプリズは軽く肩をすくめておかしそうに言った。
「我々の人数は変わらない。一人として殺してはいない」
「…? それは、どういう…」
チャーリーが視線を落として下を見た。
あの兵士達は全員アンデッドなんだろう?
全員邪竜人間族じゃないのか?
…もしあの兵士達が邪竜人間族でないとしたら大問題だし、全員邪竜人間族であるのならウィプリズの言っていることの意味が分からなくなる。
あれは間違いなくアンデッドだろう…?
なんてなコトを考えている場合じゃない。
アンデッド兵士達はゆっくりとではあるが小屋を取り囲み、中にいる三人に今しも襲いかかろうとしているのだから。
あれだけの数、ヴァシルが言った通り、トーザには到底さばき切れない。
イブの魔法も期待出来るようなものではきっとないだろうし、賢者のメールにいたっては戦闘そのものが出来ないだろう。
何か手を打たなければならない…が、兵士達を一網打尽に出来る魔法−アンデッド兵士の肉体を完全に破壊してしまえるぐらいの威力を持った魔法を使えば、トーザ達まで一網打尽にされてしまう。
ここにノルラッティがいればある程度は遠慮なくもろともに吹っ飛ばしたところだったが、今はそうもいくまい。
しかし、それではどうする…?
「チャーリーさん、ヴァシルさんをお願いします」
チャーリーはサイトの方を振り向いた。
「なんとか出来るの?」
「下にいるのが全部アンデッドなら…」
「だったらまかせた」
チャーリーはサイトの方に近寄ると、すれ違いざまにヴァシルを受け取って後ろに退がった。
サイトは片手に握ってはいたものの結局使わずじまいだった剣を鞘に収めると、ウィプリズとレフィデッドを見つめたまま、低い声で言う。
「もっと離れていて下さい、変身しますから」
自分には攻撃魔法を使うなって言ったクセに、サイト自身はブレスを使う気らしいのに気づいて、チャーリーは少し怪訝に思った。
攻撃対象を任意に選択出来るブレスでも使えるのだろうか?
そんなのは聞いたことがない…が、聞いたことがないと言えばさっき二人の魔道士が使った魔法のことだってチャーリーは知らなかったのだ。
世の中は自分が思っていたよりかはずっと広くて、自分の知らないことというのは予想以上に多いらしい。
慢心していたつもりはなかった(自覚症状がないだけとも言える)が、自分がまだまだ勉強不足な人間であったことを、チャーリーは強く感じていた。
そういうことに思いを巡らしながら、サイトの指示通り距離をとる。
ちょっと離れ過ぎかと思えるくらいに退がると、ヴァシルを見下ろして、
「前の二人に動きがあったら教えてよ。竜になるときには、サイトを援護しないと」
「? そっか、お前見えないんだったな」
「いまさら何言ってんの」
軽い調子で応じながら、チャーリーは目を細めてサイトの背中を見つめている。
本当にそんな風にしないと見えないのかよ?
チャーリーの顔を見上げながら、ヴァシルは場違いな疑問を胸に抱いていた。
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