第8章−10
(10)
時間は少し戻って、イブが青い顔でトーザに泣きごとを言っていたその頃。
ウィプリズ達の真正面で、サイトは深く息を吸い込んで目を閉じた。
「竜になるつもりか」
ウィプリズは誰にともなく一人で口の中で呟くと、杖の先をサイトに向けようとした。
その動きを見てとって、ヴァシルが声をあげる。
視力には自信があるのだ。
「おい、何か魔法使う気なんじゃねーの、アイツ?」
「らしーね。それじゃあ…」
チャーリーはヴァシルの腕を掴んでいる左手をぐッと後ろに振りかぶった。
…嫌な予感がヴァシルの胸を掠める。
人間の動作で、腕を振りかぶった次に来るモンッつったら、そりゃあ…。
「…行けッ、ヴァシル!」
「ッて、お前ッ…!」
勇ましい声で言うと同時にチャーリーはヴァシルを思いっ切りぶん投げた。
魔法で加速されているらしく、ヴァシルは瞬きするほどの間にはもうサイトの前に飛び出していた。
この状態でどうせえっちゅーんだ?!
声に出さずに心の中で叫ぶヴァシルの後ろで、サイトがドラゴンに変身する。
その際の衝撃波に押されてさらにスピードがついた。
杖を傾けて持ったまま、何をするつもりなのかとウィプリズは思わず動きを止めていた。
そのすぐ横には無表情なままのレフィデッドが突っ立っている。
…ったく、しょーがねえなぁッ!
ウィプリズとレフィデッドのちょうど真ん中にヴァシルは突っ込んだ。
二人の間をちょっと行き過ぎたところで、うまく両方の後ろ襟を掴むことが出来た。
自分でも驚いてしまうほどうまくいった。
急に気管を塞がれ、ウィプリズは空中でよろめき、慌てたようにヴァシルの腕を払おうとする…が、そのときにはもう彼は両手を離していた。
自由落下を始める一瞬前に身体をひねって、ついでとばかりにウィプリズの腹部に肘打ちを叩き込む。
これもうまくいった。
苦しげに身体を曲げたウィプリズの姿を少しだけ視界の端に捕らえたと思ったときには、ヴァシルはもう頭を下にして落ち始めていた。
レフィデッドの方は平然としているようだったが…まぁいいだろう。
アイツの服を掴んだのはバランスをとるためみたいなモンだし、サイトが竜になる直前の一瞬だけ敵の動きを止めれりゃそれでいいんだから…。
−などと、自分の行動を冷静に評価している場合ではない。
この高さからこんな体勢で落ちたら死ぬんじゃないか、オレ…。
思いかけたとき、ドラゴンになったサイトの下をくぐり抜けて飛んで来たチャーリーがうまくヴァシルの腕を取って墜落死を未然に防いだ。
もっとも、ヴァシルを放り出したのはチャーリーなのだから彼女がヴァシルを助けるのは当然のことである。
チャーリーの手が腕に触れた途端、彼の身体は重力の制約から解放されたようにふわりと落下を中止した。
「えらいえらい、よくやった」
「お前、人を何だと思っとるんだ?」
「武器」
「………」
「自分で考えて動ける武器」
「わ、わかった、もういい」
ヴァシルはサイトの行動の方に注目することにした。
オレが武器だったら、ノルラッティは薬か?
サイトは乗り物か? それじゃコランドはさしずめ万能鍵開け機ってトコか…?
自分の思考に自分で納得出来ないものを感じながら、ヴァシルはサイト−ホワイトドラゴンの勇姿に目を向けた。
白い竜はゆっくりと首をもたげると、地上に視線を据えながら美しい翼を振ってより高いところへと舞い上がった。
ウィプリズはサイトの方を見上げた姿勢のまま、石にでもなってしまったように固まっている。
目が見えないように見えたのが実はそうではなくてホワイトドラゴンの話に聞く以上に優美な姿に心を奪われているのか、それとも目が見えなくても心で感じることの出来る白竜の神々しいまでの高貴さにおされてすくんでしまっているのか。
見た限りでは後ろ姿だったので分からなかったが、どっちでもいいと言えばどっちでもいいことだ。
ウィプリズがそんな状態だから当然レフィデッドも動きを止めている。
こちらは別にホワイトドラゴンを見て感動に打たれているワケではない。
アンデッドに感情はないのだから、当然だ。
…サイトが大気を深く吸い込んだ。
かなり高空にいる。
あの位置からブレスを吐けば、そのブレスで島のほとんどを覆ってしまえるだろう。
そう、島のほとんど…ッてコトは、もしかして、私達の今いるココも…。
ふと思いついたときには一秒遅かった。
ホワイトドラゴンは首を地上に差し出すように思い切り伸ばすと、目映く輝く白銀色のブレスを一気に吐き出した。
「!」
あまりの眩しさに、チャーリーとヴァシルは反射的に目を閉じた。
少し冷たい…とても柔らかな布…絹の布のようなものが、さあッと全身を撫でていく。
一体…こりゃ、何なんだ?
体に害のあるようなものではなさそうだった。
しかし、あまり気持ちのいいものでもない。
特にこのブレスが一体何なのか分からない状況にあっては。
不思議にアタマの中がスッキリとするような爽快感はあったが、柔らかい冷たさは決して快適なものではなかった。
ホワイトドラゴンのブレスは、チャーリーの予測通り全てを包み込んだ。
ウィプリズとレフィデッド、チャーリーとヴァシル、大量のアンデッド兵士達、ガールディーの小屋…やがて−十秒足らずで輝きは薄れて消え−随分長い間のことだったように感じられたのだが−チャーリー達は恐る恐る目を開けた。
「?!」
レフィデッドがいない。
もしやと思って見下ろすと、地面に落ちて倒れていた。
彼の紅い髪が、氷片に貫かれて倒れたときには流せなかった血の代わりのように彼の頭のまわりにゆるやかに広がっているのが目に飛び込んで来た。
チャーリーはその赤さから無理に目を逸らす。
…倒れていたのはレフィデッドだけではなかった。
アンデッド兵士達も、まるで猛毒のガスを吸ってしまったかのような状態で、折り重なるようにして一人残らず倒れてしまっていた。
「バカなッ…」
ウィプリズが呻いた。
サイトが険しい視線を彼の方に向ける。
ウィプリズはうろたえてホワイトドラゴンを見上げると、勝ち目はないと悟ったのか、短く移動の呪文を唱えたちまち姿を消した。
地図を貰い受けるとか何とか言ってたワリには全然食い下がらない。
よくよくあきらめの早い男である。
「ほおー、すげェもんだなァ…見ろよ、全滅だ」
ヴァシルが呑気な声をあげる。
その近くへ、ホワイトドラゴンのままのサイトがそろそろと降りて来た。
「サイト、すごかったじゃない、今のブレス。何、あれ?」
チャーリーが問う…が、ホワイトドラゴンは困ったようなカオをしているだけで、人間の姿には戻らない。
「…どーしたんだ、お前」
ヴァシルが重ねて尋ねる。
サイトは何か言いたそうなのだが、竜になっているときは人間の言葉が喋れない。
「…もしかして、戻れない、とか?」
チャーリーが眉を寄せて言うと、サイトは情けない表情でこくんとうなずいた。
「何をいきなり、そんな…」
人間の姿に戻れないだなんて、そりゃちょっと面倒なコトなんじゃないのッ?
そう続けようとしたとき。
「うわぁっ、みんなやられちゃってる!」
「そっちは大丈夫なんでござるかー?」
イブとトーザの声が足元から聞こえて来た。
…とりあえず、チャーリー達は下へ降りることにした。
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