第7章−11
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「…なるほど、これまでにそんなことが…」
話を聞き終わると、ゴールドウィンはため息をつくように呟き、椅子に座り直した。
彼の前には話の最中に使用人が持って来たホットミルクのカップが、手をつけられないままで置かれてあった。
彼がコーヒーも紅茶もココアもダメな人間であることは、大抵の者には知れ渡っている。
行く先々で幾分得意気に本人が吹聴して回っているおかげである。
「魔道士ガールディーがなァ…」
重々しく口に出して、カップを手に取る。
すっかり冷めてしまったミルクに口をつける。
それから、またカップをテーブルに戻す。
「魔道士チャーリーが。わからないものだ…二人の間にそれほどの力の差があるとは思えない」
「それは私も同意見ですよ、ゴールドウィン王。何か理由があるのでしょう…ガールディーが突然強くなった理由が」
「『闇』…のせい、でしょうか」
灰色の視線が宙をさまよう。
サースルーンはおそらく、と小声で答えて首を縦に振った。
そうとしか考えられない。
『闇』のせい…だとしたら、チャーリーがまるで歯が立たなかったのも当然だと言える。
以前誰かが言ったときには聞き流した言葉だったが、ゴールドウィンの言葉なら、今はそう信じたかった。
「…しかし、さすがの魔道士チャーリーも育ての親には非情になりきれませんか」
何気なく発せられたその言葉に、サースルーンの瞳にはたちまち深い哀しみの色が広がった。
澄み通るような悲しい蒼。
その変化に、コランドとラルファグは無意識に顔を見合わせた。
「口では色々とひどいことを言ってはいるようですが、やはり…というところですか」
沈んだ口調で応じるサースルーン。
コランドはゴールドウィンの方を見た。
中空をひたと見据えたグレイの目の中には、複雑な感情が混じり込んでいるようだった。
「彼女は感情を表現するのが下手ですね。人の気持ちを思いやることも出来ない。出来ないことは、わからない。魔道士チャーリーは、誰かの思いやりの心を受け取ることが出来ていない」
ゴールドウィンは淡々とした口ぶりで思いついたことを並べる。
「彼女には魔道士ガールディーの想いが伝わっていないのではないですか?
上手いようには…でも、何かを感じてはいる。それが何かはわからない…だから苛立って、だから色々言うんです。ひどいコトをね」
「そう言えばそうですな…チャーリーは色々言いますからな。ヴァシルやトーザ…サイトや、新しく出来たばかりの友人達にも」
ここでコランドとラルファグとに少し目を向けてから、
「彼女なりの友情の表現、でしょう」
「…嫌われてるよーにしか思えんのですけど」
「…それは見ててもそうなんだが…」
コランドは結構本当に嫌われてるのかもしれない…ふと考えるラルファグ。
嫌いじゃなきゃ、あんだけ派手には引っぱたかんよな…。
「まあ彼女はそういう性格だ」
自分から話題を振っておきながら強引にまとめたゴールドウィンの言葉の後で、サースルーンが独り言のように一つの言葉を吐き出したのを、コランドは聞き逃さなかった。
サースルーンは言った───そう、まるで出来損ないの人間のようだ───不気味な深刻さを感じさせるその単語の連なりが、何故だか彼の耳にひっかかった。
まるで、できそこないの、にんげんの、ように…。
出来損ないの、人間…。
こう口にしたとき、サースルーンの瞳に一瞬−本当に一瞬、怒りの色が入ったのも、コランドは見逃さなかった。
叩きつけるような激しい怒りの色だった。
何に対しての怒りなのか───それは、コランドには分からなかったが。
「しかし、あそこでヴァシル・レドアが魔道士チャーリーを止めに入ったのは賢明だったのかもしれません」
ゴールドウィンはサースルーンに向き直る。
「そう言えば、あのときチャーリーは何の呪文を唱えていたのか…何やら不穏な気配だけはありましたが」
「存外、ティルト・ウェイトだったのかもしれませんよ」
「まさか!」
思わず通常の倍くらいの大きさの声をあげてしまうサースルーン。
ゴールドウィンは再びカップを取ってミルクを一口飲み、それをテーブルに戻す。
そして自分の方をじッと見つめているサースルーンの方に灰色の瞳を向け直す。
「わかりませんがね。魔道士チャーリーならやりかねません。彼女はマトモな人間ではありませんから」
「しかし…そんな。そんなバカなことをするハズが…」
「頭に血が昇ってる時はわかりませんよ。…まァ、違うかもしれませんが…それにしても、もしかしたら途中で詠唱を止めたのは、ヴァシル・レドアに止められたからではなく相手が魔道士ガールディーだということを思い出したせいだったんじゃないでしょうか」
「………」
苦々しい思いでゴールドウィンの顔から目を逸らして───サースルーンには何も言い返せない。
あのときはヴァシルが止めに入ったから…自分達のことを思い出したからだと思っていたが、確かに今ゴールドウィンが言ったような解釈も成り立つ。
どちらの考えももっともらしく聞こえた。
サースルーンとしては前者の理由であってほしかったが…ひょっとしたら後者だったのかもしれない。
チャーリーは仲間達ではなくガールディーを助けた…?
何度も瀕死の重傷を負わされながら、それでもガールディーを…?
間違った考え…とは思えない。
思いたいけれど、思えない…思えない自分が、サースルーンは腹立たしかった。
サースルーンだけでなく、コランドもラルファグも言葉を失っていた。
万が一、ゴールドウィンの言葉の通りだったとしたら。
チャーリーはいつか、ガールディーにつくかもしれない…?
「 しかし、ああいう魔法は現在では封印されているハズですからね、そうそう使えないでしょう」
わりと気楽な様子で声を継いだゴールドウィンに、ふと気を取り直したラルファグが尋ねる。
「ティルト・ウェイトッてのは何なんですか?」
「……ああ、一般には知られていないものだから」
いかにも気が無さそうに言って、国王陛下は唐突に一人物思いに耽り始めてしまった。
押し黙ってしまった彼の代わりに、少しばかり動揺した雰囲気を隠し切れない様子のサースルーンが説明する。
「崩壊魔法と言ってね。チャーリーが、弱冠十二歳のときに完成させたオリジナルの魔法なんだ。どんな魔法に分類されるのかはよくわからない」
「へえ、十二歳でオリジナルの魔法を?」
「せやけど、崩壊魔法やなんて、またえらい物騒な名前つけたモンですなァ。さぞかしスゴイ威力なんですやろ?」
「スゴイ…いや、スゴイなんて生易しいモノじゃない。ティルト・ウェイトはまさしく崩壊魔法…一撃でこの世界そのものを消滅させられる」
サースルーンの言葉に、コランドは頭の中が真っ白になったような感覚を味わった。
一撃で、世界を…?
そんな魔法、あるワケ…。
「そ、そーは言いますけど、試したコトいっぺんもないんですやろ?
そしたら分かりまへんやんか、その…ティルト・ウェイトにそんだけの力がホンマにあるんかどうか」
「君がそう言う気持ちも分かるが、魔道士なら実際に使わなくても呪文を見ただけでその威力が掴めるものなんだよ。私は実際にそのスペルを見たことはないが、チャーリーが嘘をついているとも思えない。ティルト・ウェイトは存在するんだ。間違いなく世界を消し飛ばせる威力を秘めて、ね」
「…そんなん…やっぱ、何か…」
「そのとき十二歳、ほんの子供だったチャーリーにも自分が作り上げてしまった魔法の恐ろしさはよくわかった。だから、彼女はティルト・ウェイトを封印した。封印の仕方は私にはわからないが」
「そしたら、二度と唱えられへんワケですか?」
「いや、どうもそういうワケではないらしい。その辺は本人に聞いた方がいいだろうな、私もいつか聞こうと思っていたところだ」
サースルーンは冷え切ったブラックコーヒーで喉を潤した。
そして、
「しかしさらに驚くべきなのは、世界を消滅させられる魔法がティルト・ウェイト一つではない…そういう魔法を使えるのがチャーリー一人ではない、ということだろうな」
「えッ?!」
「世界には、こういう魔法がティルト・ウェイトを含めて四つある。四つともに封印はされているハズだ。四つの魔法は普通まとめて『四禁魔法』と言われる。四禁魔法とは…、ティルト・ウェイト、ワールドエンド、エクスティエンス、ラストジャッジメントの四つ。このうち使い手が分かっているのは前の二つだけ…ティルト・ウェイトがチャーリー・ファイン、ワールドエンドがガールディー・マクガイルだ」
「そ…その、ワールドエンドッてのも、やっぱりティルト・ウェイト並の…?」
ラルファグの問いに、サースルーンは短くうなずいた。
「ティルト・ウェイトより威力は落ちるようだが、結果として世界が消えるのならそんな差は関係ないだろう」
「でも、そうすると…」
ラルファグは気を取り直すようにそこで一旦言葉を切って、
「もしガールディーがワールドエンドを使った場合、チャーリーがティルト・ウェイトを撃ち返せば、相殺されるのかもしれない…?」
「出来ればそう考えたいものだが、そう単純に考えることも出来ないのだ」
「どうして」
「例えば、火炎魔法を火炎魔法で相殺出来るか?
そんなことをすれば、魔法の威力は相乗されて手のつけられないものになるだろう。ティルト・ウェイトとワールドエンドが同系列の力を用いた魔法だったら、それこそ目もあてられない事態になるんじゃないか?」
「魔道士ガールディーには、いつでも一瞬で世界を破滅させることが出来る」
不意にゴールドウィンが口を開いた。
「ワールドエンドを使わずに邪竜人間族を扇動して『大戦』を起こそうとしているのは、『闇』にも乗っ取ることの出来ない魔道士ガールディーの理性がワールドエンドの封印を守っているからだな。…『闇』が彼の理性をも乗っ取ったとしたら…『大戦』が起こっていようがいまいが、そのときに世界は消滅する」
俺が耐えられるのはもって三カ月。
水面に現れた文字が思い出される。
あと三カ月で、世界は滅ぶ…?
コランドは慌ててその考えを打ち消した。
そうならないように、自分達が八つの宝石集めをしているのだ。
今二つ手もとにあって、ゴールドウィンの話によると一つは王家の洞窟にあって、チャーリー達が八つの宝石の所在を記した地図を取りに行っている。
三カ月もあれば集められないワケがない。
八人の勇者のあと三人が誰なのかわからないというのがわずかに気がかりではあったが、それも取り立てて心配するほどのことではないに違いない。
必ず会えるハズだ…五人までもが偶然の連続で出会ったように、それと同じように。
それにしても。
一瞬で世界が消えるというのは、一体どんな感じなんだろう?
世界が消えたら自分が生きているワケがない、当然死ぬのだろうけど…自分が死んだというコトに、ひょっとしたら世界中の誰も気づかないかもしれない。
そうすると…。
…コランドにはもう分からなくなってしまった。
一体どうなるのだろう。
体験したくはなかったが知りたかった。
ティルト・ウェイトを創り出したチャーリーになら、あるいは答えられるのだろうか?
機会があったら尋ねてみようか。
彼女は自分の質問になど、答えてくれないかもしれないが…。
第7章 了
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