第7章−2
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 五年前…準優勝に終わった剣術大会の一月後に、突然トーザがシェリイン村から姿を消したこと。
 そしてその三カ月後、全身にまだ癒え切らぬ切り傷や打撲痕、火傷などを負って、半死半生の態で戻って来たトーザ。

 彼が語った一人旅の顛末、ワートの行方を辿り、仇討ちの決闘を申し込み…どこまでも卑怯なことに仲間を率いて指定の場所に現れた父親の仇をたった一人で打ち破ったのだと言う。

 そのときの傷は名高い僧侶である母親の手厚い看護のおかげで殆ど消えてしまったが、頬に刻まれた十文字の深い傷だけは今も残っている。

 それは、トーザが自分の力で父の仇を討ったのだという確かな証しのようなものだった。
 他人から見ればトーザの優しげな顔には全く似合わぬ不格好な傷痕だったが、彼本人にとってはこのうえない誇りのようなものなのだ。

 消そうと思えば消せた十字の傷を残しておいた理由はさらにもう一つ…幼いトーザのすぐ目の前で卑怯な手段で命を奪われた父親の無念…そして、アヴァールが生きてさえいれば生まれて来るはずだった弟か妹かのことを決して忘れないため。
 母親が属しているノヴァ家は古いしきたりを大切にする名家で、理由はよく分からないが一度結婚した相手が死んでしまったら残された方は生涯子供をつくってはならない決まりになっている。
 そして、夫が死んだときに妻が身籠もっていた場合、そう出来るならば堕胎しなければならない。
 トーザにとっては訳の分からない因習でも、母親にとっては昔々から受け継がれて来た大事なルールだった。
 子を堕ろす為の毒をあおった母はそれ以来哀れなくらい痩せ細り、明るく活動的だったそれまでの姿とは打って変わって病弱な女性になってしまった。

 口にこそ出さないが、その眼差しから自らの手で殺してしまった後でもなおワートを激しく憎んでいるのは明らかだった。
 ワートはそれまで典型的に幸福だったトーザの家庭をいきなり破壊してしまったのだから。

「───んで…」

 張り詰めたガラスの糸のように静止してしまった重たい空気を少しでも動かそうと、コランドが控え目な、それでいてしっかりした声で言い出す。

「そんときの大会には、チャーリーはんやガールディーはんは出とったんでっか?」
「…さあ。魔道大会の方なんかあんまり見てなかったからなァ」

 停滞していた鈍い空気を吐き出すように、ヴァシルは言った。
 トーザの表情を見る。
 もう、いつもの顔に戻っている。
 ほっと安心したように、彼は言葉を続けた。

「でも、出てなかったんじゃないか。アイツ、自分でそのテのイベントには一度も出たことがないって自慢してたぜ」

 つまりは、そういう場で自分の力を試そうとも思わないほど、自分の力に自信を持っているというコトだ。
 いつかサースルーンに言ったように、彼女が出ると弱いモノいじめになるというのは真実である。

「魔道士ギルドの招待で特別ゲストとして来ていたのではなかったでござるか?」

 普段と同じ穏やかな声でトーザが言った。

「特別ゲスト? チャーリーはんも?」
「さあ…ガールディーが連れて来ただけみたいだったけど」

「それはそうとさ、一つ不思議に思ってることがあるんだ」

 ヴァシルの言葉が一瞬切れるのを待ち構えていたようなタイミングで、ラルファグが言葉を挟んだ。

「何?」

「アンタ、確か昼に、ガールディーが自分の力を見せつける為にわざとチャーリーの魔法を食らったんだって言ったよな」

 わずかにコーヒーの残ったカップを両手で包み込むように持ったまま、右手の人差し指だけをヴァシルに向けて伸ばす。

「ああ」

「でも、いくら向こうがスゴイ魔道士だからって、あれだけの雷撃魔法をマトモに食らって、バリアも張ってないのに完全に無傷でいるなんて、ちょっとおかしいんじゃないか?」

 何がどうおかしいかは質問している彼自身にもわかっていないようだが、確かに少し変ではあった。
 バリアで魔法を弾いたり、別の呪文で相手の魔法を打ち消したり、そういうことの結果として攻撃された側が無傷だと言うならわからなくもないが、何の防御手段も講じないままに魔法を生身で受け止めて、それで衣服の端さえ、いや髪の毛一本すら焦げてもいなかったというのはかなり理解出来ないことだった。

 …それにしても、他の皆はさして気にも留めていなかったことをしつこく覚えている狼人間族である。

「それはですね」

 サイトがラルファグに向き直る。

「おそらく、ガールディーの身に着けているもの自体が、魔法の力を封入して作られた特殊な防具だからだと思います。つまり、衣服やブーツなんかに込められている魔力が攻撃魔法の威力を相殺してしまうんです。…ガールディーが自分の魔力でそのような防具を作り出して着けていたとすれば、それはそこらの魔道士のバリアよりも遥かに強力な壁となって魔法を弾けたハズです。…だから、ただの布の服に見えたガールディーの法衣が焦げもしなかったんです」

 落ち着いた、理知的な声で説明する。
 軽くうなずいたものの、ラルファグはまだ納得しない。
 冷めたコーヒーを飲み干して、再度尋ねる。

「それじゃ、服から出てたトコ…顔とか、髪の毛とかは?」

「そういう部分は、魔道士本人が無意識の内に常時自分の周囲を覆っている、精神力の波動で守られてるんです」

 …ヴァシルがテーブルに突っ伏してしまった。
 ラルファグもなんとなくわかったのかどうかわからないような表情でサイトの方をきょとんと見返している。
 サイト、続ける言葉を失って、自分は何か間違っていたのだろうかという視線をトーザに向ける。
 ご幼少の頃から一流の家庭教師の下で英才教育を受けてきたサイトは、確かに理解力も記憶力も並外れて優れていたが、その知識を人に教えることは得意ではなかった。
 噛み砕いて易しく変換してから伝える、ということがすぐには出来ないのだ。
 自分がかなり難解な語彙の中で様々な理論を解してきたので、相手にその理屈をそのままぶつけ、それが通用しないとなるととにかく戸惑ってしまうのである。

 そんなサイトに較べると───いや、わざわざ較べるまでもなく、トーザは物事を分かりやすく言い換えて伝達するということが上手な方だった。
 別に、その素質があるわけでも何でもない。
 彼は色々な出来事を『ヴァシルにわかるように』説明することをずっと繰り返して来た…ただそれだけのことだ。

「まあ、そういうコトなんでござるが」

 トーザはちょっと考え込んだ。
 さっきのサイトの説明は十分分かりやすい。
 これをさらにどう砕けというのか。

「…つまり、一定以上の力を持った魔道士というのは、呪文を唱えなくても…あるいは、本人にその気がなくても、絶えず身体から精神力を放射するようになるんでござる。たとえるなら、呼吸のようなものでござるな。体の中を一巡した古い精神エネルギーを外に出して、新しく生み出されて来る精神エネルギーのための場所を空けてやるんでござる。その際、体外に出された精神力は、すぐには大気中に広がっていかずに、魔道士の身体にまとわりつくように溜まっていく…それが膜のように全身を覆って、魔法の攻撃からのみその人物を守るんでござる。…普通であれば、この無意識の波動は攻撃魔法の威力を一、二%ほど弱めるだけの力しか持たないのでござるが…」

「私の火炎魔法がまるで効かなかったのは分かります。あれはブーツに当たりましたし、私とガールディーの力の差は歴然とし過ぎていて話になりませんから。…けど、チャーリーさんの魔法があそこまで効かなかったというのは、やはり異常です」

 サイトの静かな声に、皆は背中を押されたような感じで昼間の二人の戦いを思い返していた。
 …あのとき、ガールディーの魔法はチャーリーのバリアをいともたやすく消し飛ばし、チャーリーはガールディーの魔法を一発食らっただけで何度も瀕死の重傷を負わされた。

 それまで皆が世界一の大魔道士と呼んできた少女の、それはあまりにも無様な敗北ぶりだった。
 彼女はガールディーの呪文の前になす術もなく倒れ伏し、対抗する手段をまるで持ち合わせていなかった。

 しかし…それでも、チャーリーの力は本物だったのだ。
 人間やその他の種族に悪事を働くモンスターや悪党どもを数え切れないくらいにルール無用の残虐ファイトでこらしめ、世界一を目指す何十人もの魔道士の挑戦にことごとく勝利し、あらゆる土地で人々の賞賛を受けてきた、そのこと自体には間違いも偽りも小細工もなかった。

 しかし…。

「まッ、確かに力の差があり過ぎるよな」

 組んだ両手の上にアゴを乗っけるようにして机にもたれかかり、ヴァシルが呟く。

「でも、そりゃ『闇』の影響なんじゃねーの? …ガールディーの体ん中だか心ん中だかにいる『闇』…とか、そーゆーモンが、ガールディーの力を倍にしたりしてるんだろ。よくあるハナシだよ。チャーリーがかなわなかったのも仕方ねえんだろうな」

「ねえ、あのガールディーッてヒト」

 ヴァシルの話の腰をへし折るタイミングで、マーナが唐突に言葉を発した。
 全員が驚いたように吟遊詩人に注目する。
 あんまり静かだから、話に飽きて眠ってしまったのだろうと誰もが何となく考えていたのだ。
 しかし、大方の予想に反して、マーナはまだしっかりと起きていた。

「ガールディーがどうかしたか?」

 ヴァシルが視線だけそっちに向ける。

「あのヒトッてさ、チャーリーさんのお兄さん?」

「………」

 寒い空気が食堂に流れた。
 …どうやら、しっかり起きていたように見えたのは単なる錯覚で、マーナの頭の中は今までしっかり寝ていたらしい。

「───それじゃ、オレは明日の朝早そうだから先に休ませてもらうかな」
「オレも、今日は何となく疲れたからそろそろ寝よう」

 ヴァシルとラルファグが椅子を鳴らしておもむろに立ち上がった。

「トーザもサイトも今すぐ寝ろ! チャーリーは睡眠が足りてると自分の都合で行動するからな、下手したら明け方に叩き起こされかねんぞ」

「え…でも…」

 優しいトーザとサイトにはマーナを見捨てるなんて出来ない。
 しかし、今マーナに関わると底の無い泥沼に引きずり込まれてしまうだろうということを、ヴァシルとラルファグは理解していた。

「いいから。オレ達には明日するコトがあんだろ? マーナのコトは、暇をもて余しとるコランドに任せときゃいいんだよ」

「ええッ?!」

 腹の底からビックリしたという声を張り上げて思わず腰を浮かしかける彼の前で、ヴァシルはトーザとサイトを座席から引っ張り立たせ、その背中を出入り口の方へ押しやる。

「ちょ、ちょっと、疲れとるのはワイも一緒でっせ?」
「大丈夫、お前なら出来る! と言うより、この中でアイツと合う奴はお前しかいない!」
「な、何を根拠に、そないに迷惑な判断を…」
「とにかく、オレ達三人は明日用事がある。よって休む。ラルファグとはお前が交渉すればいい」

「ラルファグはん…?」

 食堂を見回したが、彼はとっくにいなくなっていた。

「そっ、そんなー!」
「それじゃあ頑張れよ」

 騒ぐコランドを食堂内に蹴り込んで、ヴァシルは無情にドアを閉ざした。

「…大丈夫でござるかな」
「朝まで実りのない会話が続いたとしても死にゃあせんだろ」

 さして興味もなさそうな口調で言い放つと、ヴァシルは大きな欠伸をひとつした。
 目尻に滲んだ涙を親指でさっと拭って、急にとろんと眠そうな顔つきになる。

「それじゃ、オレはもう寝る」

 言い捨てて、ヴァシルは一人先に立って廊下を歩き出した。
 部屋の場所は夕食時にサースルーンから教わっていた。
 その後ろ姿を五秒ほど見やってから、トーザが思いついたようにサイトの方を向く。

「拙者もそろそろ休ませていただくでござる。また、明朝」

 ぺこりと頭を下げる。
 サイトも反射的にお辞儀を返した。

「それでは、ごゆっくり」
「失礼するでござる」

 トーザは着物の裾を翻して体の向きを換えると、ヴァシルと同じ方向へ歩いて行った。
 サイトもすぐに、トーザとは反対の方向へ歩き去った。

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