第7章−1
《第七章》
(1)
結局、チャーリーは夕食には起きて来られなかった。
自分で自分に相当強力な呪文を使ったらしく、たとえベッドから蹴り落としても目覚めることはないだろうという深い眠りに入っていて、起こしに行った侍女にはどうしようもなかったのだ。
サースルーンも無理に起こすコトもないだろうと、彼女を放って置くようにそしてまた酒場に出かけて暴れることのないよう部屋の机の上にパンとちょっとしたおかずと飲み物を載せておくように言いつけた。
そうしている間にも、和やかな談笑のうちに食事は終わり、することがまったくなくなってしまったヴァシル達には必然的に自由時間が与えられることとなった。
サースルーンは近衛兵隊や騎士隊と色々と話し合わなければならないことがあるらしく、自分の皿が空になるや否や食後のコーヒーを楽しむ間もなく席を立って出て行った。
皇子でありながらサイトにはまだそういう会議に出席する義務はないようだ。
彼はさっきから隣に座っているトーザの方を向いて剣の話をしていた。
トーザとサイトとでは使っている剣の種類がまるで違うので立ち入った技術のこととなると全く噛み合わなくなるが、戦闘時の心構え、基本精神には多分に相通じるところがある。
そのせいか、この二人はなかなか気が合うようで、結構会話が弾んでいた。
サイトにしてみれば、今食堂にいるメンバーの中ではトーザが一番喋りやすい相手なのに違いない。
一方、同じ剣士でありながらラルファグは二人の話に混ざりたがる素振りも見せなかった。
かといって他の者に話しかけるでもなく、穏やかな表情で温かいコーヒーを飲んでいる。
その向かい側で、緑色の宝石とアクアマリンとを手元に置き、ヴァシルとコランドが口論めいた雰囲気で言葉を交わし合っている。
コランドとしてはこんなに価値のありそうな宝石を石ころのように乱雑に扱うヴァシルに文句をつけずにはいられないのだ。
たとえそれが自分の物でなくても、金目の物が粗末に扱われるのを目にするのは耐え難いことなのである。
そういう、貴金属類、特に宝石に対するかなり強いこだわりから、普段の彼からすれば意外な語気の荒さで、ヴァシルにクレームをつけているのであった。
しかし、ヴァシルにそんなコランドのこだわりが理解出来ようハズがない。
ヴァシルは宝石という物を『硬くて売れば金になって、あったらあったでそれなりに便利な石』という風にしか見ていないのだから。
したがって、話し合いは延々と平行線を辿っている。
お互い、相手の主張がまったく理解出来ていないから、ケンカにも発展しようがない。
どちらかが折れてこの不毛な口論を打ち切ってしまえばよさそうなものだが、コランドには譲るつもりは全然ないし、ヴァシルは暇なもんだからわざと反論を続けていた。
そういうどうしようもない会話のすぐそばで、マーナは動物たちに話しかけたり、身体を撫でてやったりしていた。
ガブリエルの隣にはチャーリーが置いて行ったグリフがぺたんと座っていて、大人しくマーナの話に耳を傾けている。
スバル達もそれに倣っていたが、ちゅちゅだけはウエストポーチの中で早々と眠ってしまっていた。
ハムスターというのは元来夜行性であるハズなのだが。
ノルラッティは礼拝堂でやることがあるからと降りて行ってしまったので食堂にはいなかった。
「…そうそう、ところで」
唐突に発せられた言葉に、それぞれの会話が同時に止んだ。
聞き手の設定を全くしないままに口を開いたラルファグの方へ、自然と視線が集まる。
誰もが、彼は自分に話しかけていると思ったのだ。
ラルファグの声はそこまでどっちつかずだった。
「昼間の魔道士って、ガールディー・マクガイルだよな…あの、元世界一の魔道士の」
あまりにも間の抜けた問いに、一同は言葉を失った。
…いや、問いではなく確認か。
どっちにしろ、夕食後にもってくる話題としてはかなり間抜けだ。
「…そうですよ」
皆を代表するようにサイトが言った。
「んで…あのガールディーと、チャーリーとの間には何か関係があるのか?
知らない奴同士ッて感じじゃなかったけど」
ヴァシルとトーザは顔を見合わせた。
…そー言えば、チャーリーがガールディーの弟子だってコトは一部のヤツしか知らないんだっけ…。
それから、ラルファグの方に向き直る。
答えを待っている彼に向かってヴァシルがおもむろに口を開いた。
「…親子なんじゃねえの?」
「ええッ?!」
露骨に驚くラルファグ、その近くで知っていつつも思わず唖然となってしまうコランドとサイト。
何を言い出すんだ、この男は…という目がヴァシルに集中する。
トーザが慌てて訂正する。
「全然違うでござるよ。…いや、全然ではないでござるか。ガールディーはチャーリーの育ての親、父親代わりで、魔法の師匠でもあるんでござる」
「育ての親? それじゃ、捨て子か、死に別れたか…」
「え?」
「実の親のことだよ」
こともなげに言い放たれたその言葉に、一瞬食堂内は水を打ったように静まり返った。
付き合いの浅いサイトや出会ったばかりのコランド達はヴァシルとトーザの返答を待ち…その二人は、困り果てたようにそのラルファグの言葉に対応する術を失っていた。
「実の親ッ…つってもなァ…」
ヴァシル、戸惑ったように頭に手をやり、トーザの表情をうかがう。
「…言われてみれば、気にしたことがなかったでござるな…」
トーザも途方に暮れたように視線を落とし、着物の広い袖の中で両腕を組んだ。
サイトが意外だという顔で二人を見る。
「お二人とも、チャーリーさんとはもう長いお付き合いなんでしょう?」
「今いるメンバーの中じゃそうだろうな」
「何年ぐらいのもんですか」
コランドが重ねて問う。
「四年…いや、五年ぐらいのもんでござるよ」
「それだけなんですか?」
サイトが驚いた声をあげた。
ヴァシルが頭にやっていた手をテーブルの上に戻して、そちらを見る。
「それだけって?」
「え…いえ、私は…三人は幼なじみとか、物心ついたときからの友達とか、そういう関係なのかと思ってました」
「…ま、確かにそんな風に見えるでござるな、拙者達は」
トーザがにっこりと微笑む。
誰にともなく。
そう言われたことが嬉しくて仕方がないといった、柔らかい笑顔だ。
「実際、オレとトーザはその通りだからな。二人とも生まれも育ちもシェリイン村で、空気と同じくらいの時間顔を合わせてた。…チャーリーとは…アイツが五年前一人で村にやって来て、その時から…?
いや、違うな…それより前に会ったことがあったような気がする」
「それより前…? ───!」
トーザの表情が変わった。
何か思い当たることがあったらしい。
そして、それはトーザにとってあまり思い出したいことではなかったようだ。
それでも、彼は黙り込んでしまわずに、腕組みして回想を続けているヴァシルの為に言葉を続けた。
「九年前のことでござろう。王都で開かれた魔道大会を、ガールディーと一緒に見物に来てたんでござる。そのとき、拙者とヴァシルも剣術大会や武術大会を見に来ていて」
「そうだ、思い出したッ! やたら目立ってたんだった、その…そうか、魔道士達全員に注目されてたから、どんなすげー奴なのかって見たら、タダのガキだったんで拍子抜けした覚えがある」
当時は自分もガキだったのだという事をすっかり忘れてしまったかのような口調で言う。
それはともかく、一度何かを思い出すと記憶というものは芋ヅル式に引き出されて来るものだ。
「…そんで、わざわざアイサツ…と言うよりは冷やかしに行ったんだよな、二人で。子供の魔道士なんて珍しかったから。けど、あんときはものの見事に無視されたっけ。こっちを見もしなかったもんなぁ。それから、そうそう、ガールディーが『コイツは同い年の人間を見たことがないんで付き合い方がわからんのだ。気ィ悪くしないでやってくれ』って…ちょっと気味悪い奴だって思ったんだ。そうだ、思い出した思い出した。…けど、トーザ、お前よくそんな前のコト覚えてたな?」
ヴァシルの方がよっぽどよく覚えている。
トーザは苦笑した。
一体記憶力が良いのか悪いのか。
食べ物の関係しない話は片っ端から忘れていくヴァシルがチャーリーとの初対面のときのことをこれだけはっきり覚えているのはかなり驚くべきことである。
そのとき、ヴァシルは何も食べていなかったのだから。
でも、ちゃんと覚えているのも当然かもしれない。
ガールディー達と別れて戻る道すがら、ヴァシルはずっとトーザにさっき会ったばかりの魔道士の少女に対しての自分の印象をかなり熱心にしつこいくらい話していたのだから。
あのときヴァシルは何と言っていたのだったか…考えかけてトーザは戸惑った。
自分の方がよっぽど記憶力が悪い。
もっとも、それはチャーリーと初めて会ったということよりももっとしっかりと覚えていなければならない事態が同じ日にその後で持ち上がったからだった…。
ヴァシルの問いに、トーザは呟くように答える。
「あの年の大会には、拙者の父上も出場していたんでござるよ」
「あッ…」
ヴァシルがビックリしたように自分の口を手で塞いだ。
その行動に、サイト達はきょとんとした顔で二人の方を見ている。
「何かあったの?」
ガブリエルの頭を撫でてやりながら、マーナが不思議そうに尋ねた。
ヴァシルは気まずくトーザの瞳を見やり、しかし、そんな気遣いは無用だとばかりに何気ない口調で、トーザはマーナの質問に応じた。
「その大会の決勝戦で、父上は命を落とされたのでござる」
「………」
皆、聞いてはいけないことを聞いてしまったんじゃないかというように黙り込む。
そんな仲間達を優しく見渡して、トーザは普段通りの声で付け足した。
「皆が気を遣うことではござらんよ。父上は、真剣勝負の末に敗北し、結果として命を失われた…剣士としての宿命でござるよ。…剣とともに生き、剣とともに死ぬことが出来たのでござるから…父上にも、悔いはなかったはずでござる」
「…九年前の剣術大会…決勝で命を落とした剣士と言えば、アヴァール・レベラーズ…」
「ノヴァというのは母方の名前でござる」
「───ですが、あの大会の優勝者の名前は聞いた覚えがありません」
サイトがトーザの方をまっすぐに見て言った。
人間の約五倍の寿命を持つ善竜人間族には、時の流れも人間の五分の一に感じられる。
九年前のことというのは、単純に計算するならおよそ一年半前の出来事。
それを忘れてしまっているワケがない…王都で開かれる各種大会−特に剣術大会には興味があって、代々の優勝者の名前を全てそらんじているサイトである。
初めて大会が開かれたのは今から二百六十五年前、それから四年ごとにこのイベントは繰り返された。
去年開催されたのが第六十六回目、勝利をおさめたのはトーザである。
彼はそれから四年溯った六十五回目の大会にも出場し、成績は準優勝に終わったもののその年の最優秀選手賞を獲得している。
だから、五年前にあと一歩のところで優勝を逃したトーザにとって、去年の大会の結果は格別に嬉しいものであったはずだ。
世界最高の剣士の称号を正式に得られただけでなく、父親の無念を晴らしたという意味合いもある勝利であった。
アヴァールの死後レベラーズではなくノヴァを名乗っていたのは、自分の力量がまだ父方の名に相応しいものではないと考えてのことだったが、これでその名を取っても恥ずかしくない剣士になれたと思った。
三年後の大会で二連覇を果たしたあかつきには、再びレベラーズを名乗ろうと考えているところだ。
母方の名が嫌いなわけではなかったが、ノヴァというのは僧侶の家系の名なのである。
剣士の名とするには少しばかり弱々しく感じられる。
…少なくとも、トーザにとってはそうだった。
トーザの中ではこういう風に王都での大会の優勝は非常に大きな意味を持っていたが、第六十五回の武術大会で初出場初優勝を飾り、去年も優勝していともたやすく二連覇を成し遂げたヴァシルはただのお祭り騒ぎ以上のものとはこのイベントを解釈していなかったし、チャーリーにいたっては出場どころか見るのもくだらないと魔道大会そのものをバカにしている向きもあるので、彼のそういう思いはこの二人には話していない。
「そりゃそうだ。九年前のあの大会に、優勝者なんていなかったんだからな」
不意に、ラルファグが口を開いた。
ひどく腹を立てているようなその言い方に、コランドとマーナがはっと目を向ける。
ラルファグは腕を組んで、テーブルの上に自分が置いたマグカップを睨んでいた。
睨んだまま、続ける。
「あいつ───九年前の決勝に残ったもう一人、ワートは最低の奴だ。自分が負けそうになったとき、ルールで禁止されているにも関わらず攻撃魔法を使って…それで生じた隙をついて…避けきれなかったアヴァール・レベラーズは…」
「確かに、ワートは卑怯でござった」
低く震えるラルファグの声を遮るように、毅然とトーザは言葉を発した。
そして、ウェアウルフの表情が変化するよりも早く、次の語を並べる。
「…しかし、勝てない相手ではなかったでござるよ。父上が油断していたというのも、否定しようのない事実でござる」
「でも…」
言いかけたサイトに、トーザは冷えた空気のように落ち着いた眼差しを向け、黙らせた。
それから繰り返す。
「勝てない相手ではなかったでござる───たとえ、魔法を使ってこようと」
サイトは上半身を起こすように身を引いた。
胸の底が冷えていくような感覚が彼をとらえる。
今、サイトの方を見ているトーザは、さっきまで自分が親しく話していた人間とはまるで別人のように見えた。
有無を言わせぬその強い瞳に気圧されながら、まわりの皆も何も言えなくなっている。
そうだ。
勝てない相手じゃなかった。
ヴァシルは見慣れないものを見るような視線をトーザに向ける。
空気と同じ時間顔を突き合わせて来た自分でさえ、滅多に見たことのない表情がトーザの顔には浮かんでいた。
普段は注意深く隠されている、トーザのもう一つの顔。
それがいつもののんびりとした温厚さと同じくらいに彼の本質なのだと、ヴァシルは最近になって分かり始めていた。
そして…思い出す。
料理にはまるで関係のない、もう一つの記憶を手繰る。
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