第7章−3
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 『闇』の痛みは、夜明け近くにチャーリーを夢と云う避難場所から引きずり出した。
 激痛が眠りの魔法の効果を上回ったのだ。

 チャーリーは悪夢から逃れ出たときのようにベッドの上にガバッと跳ね起き、無い腕の方へバランスを失って倒れ、起き上がるのも面倒なのでそのまま横になった。

 …あんなに激しい動きをしたおかげで、今見ていた夢を全部忘れてしまった。
 夢というものは、静かな空気の中に漂う煙のようなものだ。
 落ち着いて眺めているときには色々な物を見せてくれるが、乱暴な動きを加えるとたちまち拡散して消滅してしまう。
 消えてしまった後でその形を思い出そうとするのは、思うよりも難しいものだ。

 シーツの上で目を閉じる。

 今朝見た夢は失われてしまった。
 もう二度と思い出すことは出来ないだろう。
 眠りを一回、損したような気分になる。

 …でも、失われた方がよかったのかもしれない。
 最近、見る夢と言えばガールディーと過ごした子供時代の再現ばかりだ。
 そんなもの、何度見たところでどうなるわけでもない。

 自分の心に意識を集中させて、精神力の回復ぶりを調べる。
 …大体、全快に近い。
 あと十分か十五分か、そのくらいで『闇』を破るだけの力を得ることが出来るだろう。
 そうすれば、この苦しみから逃げることが出来る。

 ところで、チャーリーが『闇』から片腕を取り戻すとそれだけで精神力を使い切ってしまうので聖域の洞窟のある島でモンスター達と戦うことは出来ないのではないかという疑問、これはまったく無用のものである。

 話を分かりやすくするために精神力を数値化して考える。
 たとえば、『闇』の呪いを破壊するために必要な精神力の値が十だったとする。
 このとき、魔道士に精神力が十あればその魔法を使えるかと言うと、そんな単純なものではないのである。
 魔法によって異なるが、呪文を使用するには必要最低限の精神力の値についての制約があって、魔法を発動させるのに必要な値の三倍以上精神力がなければ使えないとか、そういうルールが存在しているのだ。

 …ちなみに、チャーリーが使おうとしている高度な解呪の魔法となると、魔法自体に消費される精神力が非常識なまでの量になるうえに、最低限必要量の値がその十倍とか二十倍とかいうほとんど魔道士をナメているとしか思えない事態になってしまうので、彼女はこんなにも苦労しているワケだ。

 全快を待つ間にも、心は昨日の戦いの場に引き戻される。
 ガールディーの魔法の前に手も足も出なかった自分の姿が苦々しく思い出された。

 しかし、闘志は萎えてしまったわけではなかった。
 それどころか、より一層激しく燃え上がっているのが感じられる。

 ───次は負けない。

 胸の奥に刻み込むように、頭の中で言葉にする。
 あの圧倒的な力の差を忘れてしまったかのように、ただそれだけを思った。

 次…実際、私はあのとき、戦っていただろうか?

 柔らかい布で撫でた程にもガールディーにダメージを与えられなかったに違いない、自分の魔法。
 でも。
 目の前の闇に瞳を凝らすように、チャーリーはさらに深く瞼を閉じる。

 でも、あのとき私は本気だっただろうか?

 そのつもりだった。
 本気でかかって行ったつもりだった、少なくともその気でいたけれど…本当は違っていたのかもしれない。
 知らず知らずのうちに、力を抑えてしまっていたのかもしれない。

 何度やられても、ノルラッティがいるから傷を治してもらえるだろうと甘えて−一目見ただけで、チャーリーには彼女の実力が分かっていたから−そして、ガールディーが自分を殺す訳がないと、心の片隅で勝手に思い込んで、敵対する相手を殺す気で向かって行けなかった、行かなかった…。

 そんな自分自身が今さらながら情けなく、哀れになってきた。
 サースルーンに、多分ガールディーと戦えるだろうと言った、あの言葉は嘘だったのか…。

 チャーリーは深くタメ息をついた。
 人生をナメている自分の姿勢が、限りなく醜く感じられた。

 次は負けない。
 大丈夫、きっとやれる。
 立場を逆転させられる。

 あのとき、私は戦っていなかった。
 色んなものがまわりにあって、それが否応なしに視界に入って来たから、ついそれを守ろうとして、自分の力を殺してしまっていたんだ。

 守りに回っていた…攻めに転じれば、相手以外の何物も見なければ、大丈夫、勝てない相手ではない。

 …確かに、実戦経験ではガールディーの方が格段に上だろう。
 それは分かっている。
 だが、潜在的魔力なら自分の方が桁違いに優れている。
 結局最後の最後のところで勝敗を決するのは魔力の大きさだと、言ったのはガールディーの方だった。

 次は勝てる。
 今までずっと勝ち続けて来たのだから、今度もそう出来るに違いない。

 …自分の力を信じること。
 彼女はずっとそうしてきた。

 実際、彼女が心の底から信用したことがあるのは、誰かの言葉でも仲間の誰かでもなく、唯一自分自身が持って生まれた魔道の力だけであった。

 自分の心さえ、まともに信じたことはないチャーリーだったが…この力なら、信じられる。

 力こそが正義とか、弱者は強者に支配されるべきだ、等といった過激な思想を持ったことは一度もない。
 何をもって力とするか、強さの定義とするか、それによってこの理論は移り変わってしまう。
 そんな脆弱な理論よりも、ただ今手にしているこの力、その方がよっぽど説得力を持っている。
 本人にしか解することの出来ない説得力を。

 チャーリーは左腕で支えて身体を起こした。

 カーテン越しに、一日の最初の光が部屋の中に入って来て、辺りを薄淡い色調に染め変え始めた。
 朝陽に誘われ眠りから覚めた小鳥達が澄んだ声で鳴き交わす。
 時折、梢から慌ただしく飛び立つ羽音が聞こえる。
 スモークでぼかされたようになっていたあらゆる色彩が、目の前でどんどん鮮やかにはっきりとしたものに変わっていく。
 夜明けのこの瞬間───チャーリーは、嫌いではなかった。

 弾みをつけるようにベッドから降りる。

 朝が来たのだ。
 いつまでも、ぐずぐずしてはいられない。
 やらなければならないことは、まだまだたくさんあるし、これからもっと増えて行くだろう。

 休んでなんかいられないのだ。

 チャーリーは壁に掛けておいた自分のマントに歩み寄った。

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