第6章−10
(10)
ようやく歌が唄えることになったので、マーナは上機嫌だ。
スバルを頭に乗せガブリエルの背中を撫でながら、ニコニコしている彼女の前で、チャーリー達は額を寄せ合って何の歌を聴くか相談していた。
さっきの歌声から、そして歌声が発揮した力から、彼女が超一流のバードであることはよく分かった。
バードというもの自体初めて見る者がほとんどだったが、マーナが世界に二人といない類い稀なる歌の才能の持ち主だということも、同じくらいよく分かった。
そういうことなら、うんと長くて感動的な歌を聴かせてもらうに越したことはない。
だから、協議に協議を重ねているのだ。
要するにアレである。
貧乏根性である。
「やはり、バルムクルセイド・レイガートが妥当なところだと思うのだがなァ…」
腕を組み、譲らないサースルーン。
彼がこだわっているのは、バルムクルセイドが善竜人間族を初めて一つの種族として束ね指導した偉大な人物だからだ。
今まさに善竜人間族の王をやっている彼にとっては、この大先達の名はどうしても外せないのである。
歌として聴きたいかどうかなどは考えていない。
「そんな大昔の奴の歌なんて聞いたってわかんねぇしつまんねーよ。もっと面白そーな歌にしよーぜ」
「だから、アイラック・シェルティマーの英雄賛歌が一番だって」
あれこれ言い合っているヴァシル達に背を向けて、チャーリーはリクエストを待っているマーナの方へ歩いて行った。
「決まった?」
「私はね。…あっちはあっちでまだかかるみたいだから、その間に一曲聴かせてくれないかな?
『レジェンド』の一番最初のトコだけ、さらっと流してもらえたらそれでいいから」
「ええ? それだけ? それじゃ全然歌になってないし、すぐ終わっちゃうから、盛り上がりも何にも…」
「いいのいいの、私、『レジェンド』のそこだけ大好きなんだ。だからそれで満足だから。ねっ?」
マーナは不満そうな顔ながらも、うなずいてみせた。
「それじゃ、最初のところだけ」
チャーリーもうなずく。
…彼女としては、歌なんかはどうでもいいから、さっさと部屋に引き払って休みたかった。
一人きりになると激痛は倍になるだろうが、このままでは皆のいる所で暴れ出してしまいそうだった。
お愛想として軽くでも聴いておけば、礼を失することもなくマーナの前から退出出来る。
『レジェンド』というのは、魔道士の間では超有名な歌で、『光』と『闇』の誕生や対立などについてを少し感傷的な旋律に乗せて唄い上げたものだ。
全体は何百もの部分に分かれていて、一つ一つのパートは短いのだが、すべて合わせると何日もかかるようなとんでもない長さになる。
マーナは一つ息をつくと、胸の前で両手を組み合わせるようにして目を閉じた。
その動作に、わいわい話し合っていた後ろの皆がぴたっと会話をやめて彼女に注目する。
つまりは、別に何の歌でもよかったのだ。
チャーリーが選んでくれたので手間が省けて助かったという顔をしている。
やがて、マーナは澄んだ声で唄い始めた。
遠い昔の物語
混沌の中
『光』と『闇』が織り上げた
たった一つの物語
伴奏の楽器もなしにこれだけしっかりとした歌声を響かせられる人間はかなり珍しいだろう。
唄い初めて間もないというのに、チャーリー達は早々とその声に聴き惚れていた。
それがこの世界
そのうえにひとは生まれ
いろいろな命に囲まれ歩んで来た
昔からの物語
「んッ…」
チャーリーは短く声をあげて自分の右側を見下ろした。
目には見えない、その腕…その腕を分厚く覆っていた、『闇』の呪いが…消えている…?
信じられないことだったが、しかし、間違いのないことだった。
ついさっきまでチャーリーを気がふれる一歩手前まで追い込んでいたあのしっちゃかめっちゃかな苦痛が、かき消すようになくなっていた。
まさか…。
チャーリーはビックリして瞳を上げ、目の前で歌っている少女を見つめた。
はじまりのときは過ぎ
ひとは歩き出した
そのときからの物語
チャーリーは呆然としたようにマーナに視線を注ぎ続けていた。
マーナの歌声には、とてつもない力が宿っている!
『闇』の空間を突き破り、苦痛を癒す力…『光』を宿した回復魔法でさえかなわない、根源的な慈愛の力…。
唄い終わったマーナは、物足りないような表情でチャーリーの顔を見上げた。
途端に戻って来るあの痛み。
マーナの声に不可思議な力が秘められているのは疑いようのないことだった。
疑いようのないことで…。
だから、チャーリーは目一杯うさん臭そうな瞳でマーナを見てしまう。
一体何者なんだ、コイツ…そんな感情が、復活した苦しみに青ざめつつ無言で立っているチャーリーの身体中から知らないうちに滲み出し、敏感にそれを察知したマーナを戸惑わせてしまう。
「あ、あの? あたしの歌、どこか気に入らなかった…?」
おずおずと尋ねる。
遠慮深いその声に、チャーリーはハッと我に返り、慌てて左右に首を振った。
「とんでもない! …その、すごくいいうただったよ。ただ、ちょっと…そう、疲れちゃってて、ボーッとなってただけ…」
「大丈夫ですか? チャーリーさん、お休みになられた方がいいんじゃありませんか?」
サイトがすかさず声をかけてきたのに、これ幸いとばかりに飛びついて、チャーリーはサースルーンに向き直った。
「サイトの言う通り、ちょっと休んだ方がいいみたいです、私…。昨日の部屋、引き続き使わせてもらいますね。この辺で失礼します」
また、感情の上をどこまでも滑っていく、よそよそしいような口調になってしまう。
今度はコランドだけでなく皆が異常に気づいた。
チャーリーには用心深く素知らぬ顔をし続けられる余裕など最早なかったのだ。
一瞬でも早くここから出なければ、そして自分で自分に強力な眠りの魔法をかけて寝てしまわなければ、比喩や冗談ではなく本当にブチ切れて暴れ回ってしまいそうだったのだ。
だから、言いながらもじりじりとドアの方へ後退って行く。
「夕飯はどうする?」
サースルーンが結構場違いなことをさらりと問う。
「一応声はかけてみて下さい」
投げつけるように言うと、チャーリーはマントを翻して謁見の間から出て行った。
第6章 了
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