第5章−4
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夕飯の時刻になった。
侍女が呼びに来たが、チャーリーは食欲がないからと部屋で寝転がっている方を選んだ。
侍女が行ってしまってからしばらく。
チャーリーにあてがわれた部屋のドアがノックされ、
「どうした、気分でも悪いのかね」
サースルーンの声。
しかし、チャーリーは何も答えず、頭の下で手を組んでマントを着けたままブーツも履いたまま仰向けにベッドに横になったまま、天井の一点を見つめて表情を変えもしなかった。
ドアが開く。
入って来たのは当然サースルーンだ。
「何かあったのか?」
「───別に。サイトは?」
寝転んだまま問う。
「ノルラッティの魔法ですっかり治ったよ。食堂で君が来るのを待っている」
「そうですか」
起き上がらない。
「モンスターを転送して来た奴に心当たりでもあるのかね」
サースルーンが言うと、その言葉に初めてチャーリーの視線が動いた。
王を見上げる。
サースルーンは落ち着いた顔でベッドのすぐ近くに立ってチャーリーを見下ろしていた。
「…わかりますか」
「ガールディーだったんだろう?」
「私を狙ったんじゃないってトコが気に入らない」
ぼそりと呟く。
サースルーンは何も言わない。
「まかり間違えば、全然関係のない人がとんでもない目に遭うところだったんだ…現に、サイトがひどい目に遭ったし」
「おいおい、サイトは無関係というワケではないだろう」
「言われればそうです」
取り付く島もない口調で発せられた返答。
「…とにかく、昼過ぎに帰って来てからずっとそうやって寝転んでいるそうじゃないか。一人で塞ぎ込んでいても仕方あるまい…サイトも心配しているし、来るだけ来てくれないか、食事に」
「申し訳ありませんが、今は誰の顔も見たくないし、誰とも口をききたくない気分なんです」
チャーリーはすっと瞳を閉じた。
「…いえ、それは正確でないかも…今はただ一人、ガールディー・マクガイルと話がしたい」
「チャーリー…」
「すいません。サイトには心配いらないって伝えて下さい。今は一人で考えたいんです。ワガママ言ってすいません」
小声で言う。
言葉を差し挟む余地のない早口、断固たる言い方。
サースルーンは軽くため息をついた。
「わかった。邪魔して悪かった…腹が減ったら城の者に言ってくれ。いつでも食事を出せるように手配しておく…それでは、また明朝」
気分を害した風もなく、サースルーンはチャーリーに言い…それから、すぐに部屋を出て行った。
☆
記録的な大雨が降り続いていた。
外に出ても三〇センチ先も見えないほどの豪雨が、三日間まったく途切れることなしに降っていた。
そして、ラゼット大陸にある港湾都市ファムランは水没の危機に瀕していた。
さほど海面と高低差があるワケではない土地に展開した町だから、住民達は水害に対するある程度の備えは当然しているのだが…その備えも、この並外れた雨量の前にはほとんど役に立たない。
かなりの高さまで築き上げられた堤防を越えて、少しずつ溢れた海水が流れ出して来る。
それでなくても、天からの水のせいで道路は川になってしまっているのに、このうえ水の重みに耐えられなくなって堤防が決壊でもしようものなら…想像したくないことになってしまうのは確実。
ファムランの町長は火急の使者を当代一の魔道士、ガールディー・マクガイルのもとへ派遣した。
この港町の危機をなんとか救ってほしいとの依頼に、ガールディーは移動魔法ですぐに町長の家へやって来た。
唯一の弟子であるチャーリーも当然連れて来ている。
ただ、何故だかマントとフードで顔と身体をすっぽり隠しているので、見ただけでは小さな子供という程度にしか他人にはわからない。
町長や集まっていた住民達から一通りの説明を聞きながら、ガールディーは懸命に話している彼らには背中を向け、腕組みして窓の外を眺めていた。
すさまじい勢いで降り注ぐ水の壁。
滝の中にいるようなものだ。
実は、町長の家にいるのはこの雨の勢いで屋根に穴を空けられて自分の家にいられなくなった人々である。
ガールディーは唇の端に薄い笑みのようなものを浮かべて豪雨を見つめていたが、町長の話が終わると、無言でそばに立っているチャーリーの方に顔を向けた。
「おい、お前ならどうする?」
からかうような口調。
チャーリーは少しだけムッとしたようにガールディーを睨んだ。
「そんなコト言ってる場合じゃないよ。早くしないと」
「ンなこたァわかってるよ。お前ならどうするか言ってみろって」
「…海面を氷の呪文で凍らせて、溢れて来ないようにする。それから、強化の魔法で堤防が壊れないようにして…」
そこまで言って、口を閉じる。
ちらりとガールディーの表情をうかがう。
「そうだ、海と堤防の処理はお前の言った通りでいい。…じゃあ、この雨はどうする。雨をなんとかしない限り、海水が入って来なくてもこの町は沈んじまうぞ」
「…雨は、自然現象だから…四大の意志で降ってるものだから、どうにも出来ないと思う…」
チャーリーが小声で自分の意見を述べると、ガールディーは突然大声で笑い始めた。
窓の方に向き直って豪快に愉快そうに笑い続ける彼の姿に、ぽかんとなって物も言えない町長達。
「じゃあ、じゃあどうしたらいいって言うワケ?!」
チャーリーは顔を赤くしてガールディーに詰め寄る。
ガールディーはなんとか笑いをこらえ、それでもくすくす笑いながらチャーリーの方に体ごと向き直った。
「どうしたらいいったって、お前、そりゃあごくごく単純なコトだろ?
雨なんて止ませちまえば即解決よ」
「止ませるって…」
ぱらつくぐらいの小雨程度ならともかく、この豪雨を?!
あまりにも軽く言い切られて返す言葉もないチャーリー。
「何度も言っただろ、世界の秩序を保つのが魔道士の使命だって。自然界のバランスが崩れれば魔法の力で元に戻すんだ。俺に言わせりゃ四大の意志なんて絶対でも何でもない。…そろそろ行くか。町長達は残ってろ、どうせ何も手伝えないんだからな。これからの俺達の働きを見てから、礼金の額を決めるといい」
ガールディーとチャーリーは、最早一般人には手を出すことさえ出来なくなっている水圧の中へ平気で歩き出した。
身体を包み込んだ薄く淡い光の膜が雨粒の衝撃を全て無効にし、二人は晴天の日と何ら変わりない足取りで町の中を進む。
チャーリーの腰の位置まで達しようかというほどの水深がある元道路の濁った川の激流さえ、二人の歩調に影響を及ぼすことは出来ない。
三〇センチ先も見えないハズの視界も、暗視魔法の応用形の呪文で鮮明に保たれている。
二人は堤防の前までやって来た。
巨大で頑強そうな立派な石の壁だったが、見るからに決壊寸前。
そこら中にヒビが入り…そばに立っているのが怖いくらいだ。
壁を伝うようにして絶え間無く海水が注ぎ込んで来ている。
「さて…お前は堤防の強化の方を頼む。…五キロ先まで凍らせりゃ十分か…」
ガールディーの体がふわりと浮き上がり、次の瞬間、彼は海面を見下ろせる上空にいた。
早速呪文の詠唱に入る。
戦闘時なら省略する呪文を、今回は余裕をもって全部唱える。
胸の前で両手の指を組むようにして握り締め、それをぱッとほどいて、右手で拳をつくりそれを中空に向かって突き出す。
同時に呪文が完成し、眼下に広がる海が一瞬にして凍結する。
港町ファムランの大堤防に接する海は全長で百数十キロにも渡る。
その全てを、五キロの沖合まで、深さ二メートル五〇センチの所まで瞬時に分厚い氷に変えてしまうというのは…とんでもないことである。
とにかく。
一方、チャーリーの方もガールディーに言いつけられたことをやり終えていた。
こちらは高さ十五メートルほどの大堤防全部に物質強化の魔法をかけて補強するというものだが、これだってなかなかのものである。
ただ、見た目が派手じゃない…。強化の呪文を使ったからって、壁に走った大小無数の亀裂が一斉に消えるわけでもなければ、堤防の色が変わるワケでもない。
これでは張り合いも何もあったもんじゃない。
こういう、使っても手応えのない魔法はガールディーもチャーリーも好きではなかった。
だからこそガールディーはチャーリーに押しつけたのだ。
何という大人げのない師匠であろうか。
その大人げのない師匠は、上空にとどまった状態で次の呪文の詠唱に入っていた。
低音の小声で、言っている本人さえ聞き取れないスピードの早口、五分ほどの間一度も息継ぎせずに一気に呪文を唱えあげる。
それから左手の手刀で空中に十字の印を切り、その腕を水平に伸ばしたまま、
「偉大なる四大の一人、アバス・ウンディーネ、自然の盟約を忘れるな!
命を潤し豊かを育む慈愛の水の力が生きるものを苦しめているのに気づかないか!
今すぐにこの豪雨を止めろ。雨雲を晴らし、テジャス・サラマンダー、太陽の力を持つ者にその場を譲り渡せ!」
一応形式に則っているようには聞こえるが、これは呪文の一部ではない。
ガールディー自身が四大に話しかけているのだ。
さっきまで唱えていたのは、四大の世界にいるウンディーネを近くまで呼び寄せる呪文。
召喚魔法とは微妙に異なっている。
ガールディーは伸ばしていた左手をゆっくりと落とした。
直後。
非常識なまでの豪雨は嘘のようにぴたりと止み、雨雲がみるみるうちに空から去り、三日ぶりのまばゆい太陽が町を照らし出す。
すると不思議なことに、道路や家の中にまで溢れ返った水がまるで逃げ込むかのように地面に吸い込まれて行き…水びたしで道が底無し沼のようにぬかるんでいて、結構被害は甚大なのだが、とにかく町は救われた。
ただ、海の水量だけはウンディーネにもどうにも出来ないので、自然に潮が引くのを待つしかないということになるが、サラマンダーはガールディーの張った氷を溶かさないように太陽の熱を調整してくれていたし、チャーリーの魔法で堤防が決壊する恐れもなくなった…これで一件落着である。
呆然と晴れ上がった空を見上げているチャーリーのそばに、ガールディーが身軽に降り立つ。
「見たか? 単純かつ簡単なコトだったろ?」
「…魔法で雨を止ませるなんて…」
その逆、降らせることは、何となく出来そうな感じはしていたが…。
「これが『魔法』ってもんだ。人を傷つけたり、戦いの手段の為にあると思われがちだけどな…そんなコトなら他の力でも出来る。本当は、普通の生き物にはどうしようもないコトから、自分や、まわりの奴らの命を守り、暮らしを守る為の『力』なんだよ」
言って、軽く微笑む。
「守るための、力…」
繰り返すチャーリー。
「さッ、礼金を受け取りに行こうぜ。今夜は久しぶりに王都の酒場で一杯やってくとするかな…」
ガールディーはさっさと歩き出した。
チャーリーは少し遅れて後を歩く。
彼の後ろ姿を見つめながら、彼女は黙って歩いて行く。
そうして、頭の中では、先生がどんな呪文を用いて雨を止ませたのかを考えていた。
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