第5章−3
(3)
町はなかなかの賑わいを見せている。
きちんと区画整理された道路を、様々な髪や瞳の色をした人々やたくさんの荷物を積んだ馬車が行き交い、商店の前を通れば威勢のいい店員の呼び込みの声が耳に入って来る。
食堂や屋台からはおいしそうな匂いが風に乗って運ばれて来る。
建物と建物の間の路地では子供達が無邪気に遊んでいる。
道端では女性達が集まって他愛のないお喋りに花を咲かせているが、この光景は種族を問わず共通のもののようだ。
いかにものどかそのものといった日常の風景。
思わず心が和み、表情も緩んでくる。
すれ違う善竜人間族は皆サイトに会釈を欠かさない。
サイトもいちいち笑顔でそれに応じる。
チャーリーはサイトの少し前を、右を左を見ながら歩く。
青物屋、果物屋、魚屋、日用雑貨の店に衣料品店、武器や防具の店…ここは商店街のような通りらしい。
人間族の姿も目立ってきた。
建ち並ぶ数々の商店の中で、チャーリーは何軒かある防具屋のうち一番近くにあった一軒に入ってみることにした。
サイトも当然追いついて来て、並んでドアをくぐる。
店の中には当然のことながら沢山の防具類が並べられており、奥まった一角で店の主人とみられる初老の善竜人間族が退屈そうに帳簿をめくっている。
どうやらあまり流行ってはいない店のようだ。
客が入って来た気配に顔を上げた店主は、サイトの姿を認めるや座っていた椅子から慌てて立ち上がり、走り寄って来た。
「これは皇子、あなた様のような方がこのようなむさくるしい所へどうしてまた…」
媚びたところのない口調。
心底恐縮しているらしい。
店主は典型的に実直そうな人物だ。
「今日はこちらの付き添いなんだ。…名前くらいは聞いたことがあるだろう、魔道士のチャーリー・ファインさんだ」
「へえ、この方が! お噂はかねがねうかがっておりますが…今日は、このような小さな防具屋で何をお探しで…」
「うん、ちょっと長旅向きの生地のしっかりした服を見せてもらいたいんですけど」
「長旅用の服ですね。デザインや色はどのようなものを?」
「半袖で色が黒っぽければどんなのでも。出来れば、今着てる布の服と同じようなので丈夫な服があれば一番いいんですけど」
「今お召しになっていられるのと同じような…わかりました、少々お待ち下さい」
店主は壁際に置かれたタンスに近づいて引き出しを引っかき回し始めた。
チャーリーは腕組みしてその背中を眺める。
サイトは物珍しそうな目で店の中をあちこちと見回している。
「お待たせしました。こういうものは、いかがでしょう」
ほどなく、店主が数枚の黒や灰色系の服を手に持ってチャーリー達に向き直った。
どれどれ、とチャーリーが近寄って見ようとしたとき。
わッ、と表が騒がしくなった。
それも、ただ騒がしくなった、というだけではすまなさそうな不穏な騒がしくなり方。
「何事だッ!?」
切羽詰まったものを空気の中に感じとり、ドアを開けて外へ飛び出して行くサイト。
何が起こったのかを確かめるためにチャーリーと店主も戸口に駆け寄った。
「!」
ドアから五歩ばかり出た所で足を止めて固まってしまうサイト。
彼の目の前、さっきまで人々が楽しげに往来していた道路の真ん中には、巨大なモンスターがいた。
背にコウモリの翼を生やした、普通の奴より二回りほど体の大きなトラの魔物。
そいつはサイトに背を向けていた。
…そして、モンスターの目の前には、恐怖のあまり泣きじゃくっている小さな女の子と、その子を庇うように必死に抱き締めながらも顔面蒼白にしてがたがた震えている、母親らしい女性。
モンスターの左右には、固唾を呑んでなりゆきを見守る、絶望顔の群衆がかなり距離を開けてひしめいている。
モンスターはサイトには気づいていない様子だ。
姿勢を低くして、今にも目前の獲物に飛びかかろうとしている。
これを、サイトが放っておけるワケがない。
「───やめろッ!」
叫んで、さらにモンスターに向かって走り出しかけた。
行動を起こしてから、はッと気づくサイト。
そう言えば、武器は何にも持ってない…。
一瞬、動きが鈍った。
そこへモンスターの尻尾が襲いかかって来る。
もちろん、かわすことなど出来ない。
魔物の尾は鞭のようにしなってサイトの側頭部を直撃し、彼はたまらず吹っ飛んだ。
右側の群衆の中に突っ込む。
魔物に立ち向かおうとしたのが他ならぬ皇子だと知った数人が慌てて抱え起こしたが、サイトは気絶してしまったらしくぐったりとなっている。
トラの魔物は狙いを目の前の母子からちょっかいをかけてきたサイトに変えたらしく、巨体をゆっくり揺すって右側に向き直った。
人垣が崩れ、野次馬達はクモの子を散らすように逃げ去ったが、数人はサイトを守るように囲んだかたちで残っている。
髪の色、瞳の色から判断すると全員善竜人間族だ。
怖くて逃げ出したいのを懸命にこらえてモンスターを睨みつけるが、トラの化け物はそんなことにはお構いなしでじりじりとサイトに近づいて行く。
…この様子を、チャーリーは防具屋の店主と並んでドアの所から見ていた。
呪文を唱えるどころか動こうともしないチャーリーに、店主は慌てて言った。
「何をなさってるんですかチャーリーさん!
あのままでは皇子が魔物にやられてしまいます!」
店主の言葉に、チャーリーはビックリしたような顔で、
「へッ? …だって、バハムートッてみんなドラゴンに変身出来るんじゃないの?」
「! バルデシオン城や城下町には特殊な結界が張られていて、善竜人間族であれ邪竜人間族であれ変身は出来ません!」
「なにッ?! …つーコトは…」
左側の人垣から悲鳴にも似た言葉にならない叫び。
トラの魔物が大地を蹴って跳躍し、サイトに飛びかかったのだ。
チャーリーはそっちを振り向きつつ短く舌打ちし、右腕をびしっと伸ばしてトラの魔物を、一本立てた人差し指でさした。
途端、トラの巨体は飛びかかった姿勢のままで空中に静止してしまう。
牙を剥き出しに大きく開けた口もそのままに−まるで剥製のようになって宙に浮いているモンスター。
「今のうちにそこから離れて、こっちに回って」
チャーリーは空いている方の手で左を示し、善竜人間族達がサイトを運んでまだ残っている人垣の方へ移動したのを見届けてから、右手を下ろした。
モンスターの周囲の時間だけを停止させていた魔力が外れて、魔物が行動を再開する。
魔物は最早何もいなくなっている地面にうなり声を発しながら飛びかかり…そして、突然の目標の消失に驚いたかのように少しの間だけ動きを止めた。
チャーリーはその隙にモンスターの後ろに走り出た。
つまり人垣の真ん前に背中を向けた状態で立ちはだかる。
それから。
「トラの化け物! 次は私が相手だ!」
大声で言う。
振り向きかけるモンスター…しかし、そんな動作を待つチャーリーではない。
彼女がモンスターに向かって突き出した両の手の平から無数の鋭く尖った氷片の嵐が巻き起こり、後ろに何がいるのか目にしてさえいない魔物を包み込んだ。
耳をふさぎたくなるような絶叫が城下町に響き渡る。
氷の刃の嵐が消えた後には、ズタボロに切り刻まれた魔物の死体。
全身に傷を負ったことと、急激な温度の変化にさらされたことによるショック死。
あっと言う間の出来事である。
しばらく、水を打ったような静寂がその場を支配していた。
誰も、声を出すことはおろか、身動きさえしない。
そんな中、チャーリーは魔物の身体へすたすたと近づいて行って、ブーツの先で軽く蹴ってみる。
…ピクリとも動かない。
「ま、こんなモンでしょ」
腕組みして言う。
わッ、と歓声があがった。
一斉に拍手が沸き起こり、チャーリーを賞賛する言葉が色々と飛んでくる。
チャーリーは軽く手を挙げてそれを制してから、まだ意識の戻らないサイトのそばまで行って屈み込んだ。
「どうだろう…頭、強くやられちゃったからな、早くお城の方へ運んだ方がいいかも…」
サイトを抱えている男の顔を見ながら言いかけると、
「う…ん」
軽い呻きと同時にサイトが薄く目を開けた。
「皇子!」
「サイト!」
呼びかけられて、はッと目を開ける。
慌てて起き上がろうとして、
「あッ……」
ぐらりと傾くように倒れ込む。
「大丈夫ですか!?」
「急に動いちゃいけないって…」
「あの…あの、モンスターは…?」
尻尾で痛烈にはたかれた側頭部に手を当てながら言う。
「あんなヤツ、私の魔法で一撃だよ」
「そうですか…それじゃ…」
言おうとしたサイトの所へ、さっきの母子が涙を流しながらやって来た。
近くにひざまづいて、
「皇子、申し訳ございません。私ども親子のために、こんな…」
言葉が詰まる。
女の子は、母親の服の裾をぎゅッと握り締めて、ひたとサイトの方を見つめている。
「無事だったんだね。よかった…」
今度は慎重に少しずつ体を起こしていく。
ようやく地面に普通に座った格好になった。
片手は相変わらず頭の横を押さえているが、瞳も声もしっかりしている。
チャーリーが思ったほどにはダメージを受けていないようだ。
「ありがとうございました!」
頭を下げる母と子。
「いや、私は結局、何にも…礼ならチャーリーさんに」
「そーゆーのはもうこの際省略しちゃってよ。…誰か、サイトを城まで送って行ってくれない?」
「わ、私は、大丈夫ですよ…」
「んなワケないでしょ、あれだけノビてたくせに。戻って安静にして…丸腰で魔物と戦おうとした行為の浅はかさを噛み締めてなさい」
死者に鞭打つような言葉である。
サイトは瞳を伏せた。
その表情の変化に、チャーリーは慌てて言葉をつないだ。
「でっ、でもまァ、私が最初から出てればこんなコトにはならなかったんだよね…バハムートはみんなドラゴンに変身出来るって聞いてたから、ほっといても大丈夫だろー、なんて思って何もしないで見てたんだけど…とんだ思い違いだったみたいだね」
「いいえ。チャーリーさんに非はありませんよ。考えなしに行動した私が悪いんです。…お言葉通りに城で休んでいることにします。申し訳ありません」
「何も謝ること…なんかやりにくいなァ」
困ったように頭に手をやるチャーリー。
サイトのような生真面目なタイプはどうも扱いようがわからない。
さっきの少しばかりイヤミな台詞も、ヴァシルならば威勢よく反論してくるから口喧嘩に発展することも出来るし、トーザならばにこにこ笑って聞き流してそれで終わりになるのだが…こんな風に頭を下げられてしまうと、かえって後味が悪い。
いつも一緒にいる二人と同じように言ったのが悪かったのか…ともかく、これではチャーリーは…悪者だ。
善竜人間族の男性が二人がかりでサイトに肩を貸し、ゆっくり立ち上がらせた。
人垣がさっと割れて道を空ける。
そのままサイトは城の方へ戻って行った。
チャーリーはサイトの後ろ姿がかなり遠去かるまでじっと見送っていたが、やがて気を取り直したように方向転換して、ついさっき倒したトラのモンスターに歩み寄る。
すでに野次馬達がぐるりと取り囲んでしまっていたが、構わずに割り込む。
押しのけられて文句を言おうとした青年も、それがチャーリーだと知ると何も言わずに退いた。
「魔道士さん、これ、何て言うモンスターなんスか?」
左側にいた若者が声をかけてくる。
「さあ…トラとコウモリの合成モンスターじゃないの?
こんなの初めて見た」
「するってえと、これが有名なキマイラッてヤツで?」
今度は中年のおじさん。
「いや、キマイラッてのは三種類以上の生き物が組合わさったのを言うワケだから、ちょっと違うんじゃないかな…」
「それにしても、よりにもよってこんな道の真ん中に出て来るなんて、迷惑にもほどがあるだろうに…さっさとどかさないと」
「しかし、コイツを片付けるのは骨だぜ…」
「ねえ、この魔物どんな風にしてこんな所に現れたの?」
チャーリーは野次馬達の顔を見回して言った。
その問いに答えたのは、それまでずっと黙っていた、ついさっき魔物に襲いかかられんとして泣いていた女の子だ。
今はすっかり泣くのをやめて、でもまだ涙の筋の残っている赤い顔をチャーリーの方へ向けた。
「突然、ぱッと出て来たのよ。目の前に」
「突然、ぱッと…その前に、何か気づいたこととか、なかった?」
女の子は無言で首を振ったが、隣に立っていたあの母親の方がふと思い出したように、
「そう言えば、声を聞いたような…」
なんともあやふやな口調で呟く。
「声?!」
彼女の言葉に、チャーリーは顔色を変えて母親のそばに駆け寄った。
そして彼女の手をとり、
「もしかしたらその声は転送の呪文を唱えていたのかもしれません。思い出してみてくれませんか、思考からその声を聞き取りますから」
「あ…はい」
女性は目を閉じ、チャーリーは真剣な表情で彼女の顔を見つめた。
…やがて、女性が目を開け、チャーリーがゆっくりと握り締めていた手を放す。
「どうでしょう? お役に立てましたか?」
「…あ…はい、やっぱり転送の呪文でした」
「すると、あのモンスターは魔法でこの町に送り込まれて来たんですね?」
母親でなく、横に立っていた女の人が尋ねる。
「そのようです…一体、何者の仕業なのか…聞き覚えのない声でしたが…」
かすかに動揺を含んだ声で答える。
チャーリーはゆっくり後退って女性から離れると、くるりとモンスターの方に向き直った。
人差し指を向ける。
短い呪文。
青い光の線で描かれた輪がモンスターを取り巻くように現れる。
人々の間に小さなどよめき。
すぐに青白い光の円柱が、その中にモンスターの死体を取り込んで立ち上がり…再び呪文の詠唱。
閃光と同時に魔物は姿を消した。
「わあ、消えちゃった…」
「さっきのが転送魔法じゃないか?」
「えッ! オレ、初めて見たぜ」
「どこにやっちゃったんです?」
「海の真ん中に…それより、私も城に戻らないと…」
チャーリーが歩き出すと、野次馬達が道を空けた。
衆人環視の中、どことなく地に足がついていないような足取りで、人垣を抜ける。
はっきりとわかるくらいに青ざめてしまったチャーリーを気遣って、一人の少女が声をかける。
「具合でも悪いんですか…?」
チャーリーは何も言わずに首を振り…深刻なことこのうえない瞳で足元を見つめながら、歩き去ってしまった。
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