第1章−11
(11)
「アンタ、どーやって戦うつもり?」
チャーリーがコランドに小声で問う。
「そんなモン…考えなんぞあるワケないやないですか」
少し掠れて震える声で応じる。
チャーリーは小さくタメ息をつき、レフィデッドの手元に目をやる。
相手が反撃出来ない者ばかりであるのに優越感を隠しきれない様子。
すぐには攻撃してこない…『少しばかり』力のある魔道士の悪い癖だ。
「言っとくけど、そんなナイフ役に立たない」
「指摘されんかてようわかってます」
「一撃で仕止めるには魔法しかない」
「ワイには攻撃魔法は使えまへんで」
「一度だけなら使える」
チャーリーの言葉に、コランドはふと口をつぐんだ。
声だけを叩きつけ合うようなごく短い問答がピタリと止まる。
時間にしてわずか数秒。
言葉の意味でなく、ニュアンスだけでの会話。
−それだけで十分だった。
二人とも、一流の冒険者なのだから。
視線と注意はレフィデッドを向いたまま、コランドはショートソードを持っていない方の手をそろりとチャーリーに伸ばした。
チャーリーはコランドに近い方の手でマントを掴み、マントで覆った手でコランドの手を握る。
呪文を唱えられなくても、精神力がまったく行使できないというワケではない。
他人に精神力を分け与えることは出来る。
呪文の詠唱が出来ないなら、他人にやらせればいいのだ。
正確な呪文の詠唱と精神力、二つが揃えば魔法は使える。
チャーリーは目を閉じる。
つないだ手を通じて、コランドの体にチャーリーの精神力が一気に流れ込む。
マントで手を包んだのは、力が入っていく衝撃を和らげるためだ。
素手をつないだままこれをやっていたら、コランドなど気絶してしまっていただろう。
魔法の力を込めて紡がれた糸を織り込んだマントを通していてさえ、コランドの腕に激痛が走る。
「呪文を送るから、その通り声に出すんだ!」
そう言ったのか、言わなかったのか、どちらにもハッキリわからなかったが、チャーリーはすでに呪文を精神波に変えてコランドに送り始めていたし、コランドも送られてくる単語を声にする用意を済ませていた。
そこまでに、ほんの十数秒。
レフィデッドがそろそろ二人にとどめを刺すべく、動き始めるのにちょうどいい頃合いだった。
「…死ねッ!」
鋭い声と同時に、火炎球が飛び出す。
もはや一刻の猶予もならない。
うまくいくかどうかなどと迷っている暇はないし、間違ってもやり直しはきかない。
チャーリーは最短にまで省略された呪文を送る。
略しても魔法の威力は変わらないが、術者への負担が倍以上に跳ね上がる。
魔法などこれまでマトモに使ったこともないに違いないコランドには酷だろうが、この際仕方がない。
コランドはショートソードを投げ捨て、その手の平をレフィデッドに向け、何も考えずに、伝えられてきたままの呪文を口に出した。
ひどくややこしい発音だったが、何とかうまくいった。
手の平からすさまじい衝撃。
周囲の大気が瞬時に凍てつき、今まさに二人に襲いかかろうとしていた炎があえなく氷の中に閉じ込められる。
氷塊はコランドの少し前で床に落ち、粉々に砕け散った。
「ひえ…」
コランドは信じられない思いで自分の手の平と床とを見比べた。
仲間に自らの精神力を送り込んで、自分の使える魔法を使わせる…そういうコトをする魔道士がいると話には聞いていたが…まさか、自分がそういう風にして呪文を唱えるコトになるとは…。
ふと、チャーリーが手を離して自分の横に立ったのに気づいた。
そちらに顔を向けようとする。
途端、前方からドサッと鈍い音。
「…?」
恐る恐る目をやると、レフィデッドが床にうつ伏せに倒れていた。
その身体の下から、見る見る赤い血溜まりが広がってゆく。
火炎球と食い合っただけのように見えたあの氷の魔法だが、炎とぶつからなかった鋭い氷片がこの赤髪の魔道士を刺し貫いたようだ。
黒いローブの背中が血で濡れ始めたのがわかる。
「───さすがだ、チャーリー・ファイン…世界一の大魔道士と呼ばれるだけのことはあるな」
苦しい息の下、レフィデッドが言う。
いやに声が弱々しい…運の悪いことに、氷片は急所を直撃してしまったようだ。
本当に不運だ。
魔法がちゃんと使える状態のチャーリーだったら、飛び散った氷のかけらにも気を配ってこういう事態は防げただろうに…コランドに魔法を使わせるだけで精一杯だった。
「…アンタを死なせるつもりはなかったんだけど…」
チャーリーは少しばかり申し訳なさそうに言う。
別にレフィデッドに恨みがあるワケではない、殺したりするつもりは最初っからなかったのだ。
幾分か、罪悪感も感じる。
チャーリーの言葉に、レフィデッドは床に顔をつけたまま首を横に振った。
「お前が死なないためにはああするしかなかっただろう。見事な機転…完敗だ」
「そう言ってもらえると助かる」
レフィデッドの呼吸が段々弱くなっていく。
たとえ今魔法が元通り使えるようになったとしても、数多くの魔法の中で回復系のものだけはどうしたって使えるようにならなかったチャーリーには、もう助けられない。
「…んで、最後にアンタの本当の目的を教えてもらえると、もっと助かるんだけどね」
死にゆく魔道士の唇に再び不敵な笑みが戻って来た。
「最後だな…そうだ、最後に教えてやろう。私は王都の魔道士などではない」
「ま、薄々気づいてはいたけど…?」
「…ドラッケンの中にも竜にならない者がいる。他種族でありながら、ドラッケンの生き方を良しとし、その集団に加わる者…私は人間だ、しかし邪竜人間族の一員だ」
レフィデッドは自嘲気味に小さく笑った。
瞳はすでに堅く閉ざされている。
「───時間稼ぎさ。お前を足止めしていた…『大戦』へのカウントダウンは始まっている。まずは力ある者を一人一人潰していかなければならない」
チャーリーは少しだけ考え込み、それから静かな声で言った。
「シェリインか。ヴァシルとトーザに大勢のドラッケンの相手は出来ない…それが狙いか」
「あと数時間、粉の効力は切れまい…自分の無力さを思い知る、いい…チャンスだ…」
レフィデッドは咳込んで血を吐いた。
そして、それきり力尽きて動かなくなってしまう。
…死んだようだ。
「チ…チャーリーはん、シェリイン村ゆうたら…」
チャーリーの方に向き直ろうと足を動かした途端、コランドの膝からがくんと力が抜けた。
コランドはだらしなくも床にペタンと座り込んでしまう。
身体を支える両腕が見た目にもハッキリわかるくらいガタガタ震え始めた。
「しばらく休まないと動けないよ。急激に精神力を使った反動が身体にくるんだ」
チャーリーはテーブルに歩み寄ると、床に引っ繰り返っていた椅子を起こして腰を下ろした。
「そ…そんなに落ち着いててええんでっか? お仲間が危ないんと違いますのん…?」
「魔法の使えない私が行って何になる? あの二人なら自分達で何とかするさ。何とも出来なかったら、それはあの二人の責任だ」
チャーリーはテーブルの上の酒瓶と金貨を乱暴に手で払い落とすと、両腕をテーブルの上に置き、その上に突っ伏した。
「あ、あの…?」
「少し休ませて。五分でいい。…それから、後のことは考える」
小声で言う。
コランドは言いかけた言葉を飲み込んだ。
ひどく疲れ果てたような、ガックリと落ち込んでしまったような様子だ。
つい先程までの彼女とはまったく別人になってしまったように見える。
…ああは言ったものの、心の中では仲間のことが気がかりなのに違いない。
何も出来ない自分を歯痒く思っているのだろう…コランドはちょっとチャーリーのことが気の毒になった。
魔道士でもない人間に精神力を送り込んで魔法を使わせる…なんて言う普段やりつけないことをやったもんだから、ひどく頭が痛い。
そういうことをやった経験自体は何度かあったが、そのときには初歩的な魔法を使っただけ。
今回のようなケースは初めてだった。
…頭痛と同時に、眠気が襲ってくる。
…ダメだ、ヴァシルやトーザのとこに行かなきゃならないのは分かってるけど…今は一寝入りしたくてたまらない。
よし、寝よう。
私が行くのが遅れたせいで二人が死んでたとしても、死人に文句を言われるコトはないだろう。
もし生きてたなら、それはそれでいいんだし…。
チャーリーは目を閉じた。
ほんの少しだけ、せめてこの頭痛がとれるまで、眠ろう。
(そういうつもりだった彼女だが、結局この後夜まで何もかも忘れて熟睡してしまうのである)
第1章 了
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