第2章−1
《第二章》
(1)
うららかな昼下がり。
ヴァシルは武器屋のカウンターでうとうとしていた。
武器屋の息子である彼は、きこりと兼業している父親の代わりに時々こうして店番をする。
しかし、この小さなシェリイン村の誰が武器を買うというのだろう?
一応包丁やナイフにフォーク、手斧など生活用品も扱っているのでそれなりに需要はあったが、マトモな武器が売れたことはヴァシルの知る限りただの一度もなかった。
しかし、彼の父親は子供の頃からの夢だったというただそれだけの理由で職を変えようとしない。
自分は武器を使わない格闘家なもんだから、ヴァシルには父親の心理がまったく理解出来なかった。
どーしてこんな仕事がいいのかねェ…?
今しも眠りに落ちようとしたその瞬間、いきなり店のドアがバタン!
と開いた。
ビックリして跳び起きる。
見ると、村で一番他愛のない長話が好きなジーナおばさんだ。
「げッ…」
丸々と太って人懐こそうな彼女の姿を見るなり、ヴァシルは小さく声をあげた。
このままどこかに行ってしまいたい心境になったが、そうはいかない。
客を放り出して逃げたなんてバレたら、親にどれだけうるさく言われるか。
…しかし、ヴァシルは本当にこのジーナが苦手だった。
話がやたら長いからではない。
長いだけなら聞き流すことも出来る…が、問題は、その話の内容なのだ…。
「あらまぁ、ヴァシルちゃんが店番してるのね」
ジーナは親しげに声をかけてきた。
十八にもなる男に『ちゃん』付けである。
たまんねェなァ…。
なるべく平静を装って、ヴァシルは応対する。
「ちょっとね。今日は何の用だい」
「切れ味が悪くなっちゃってね、包丁を研いでもらいたいのよ」
ジーナはヴァシルの前に布包みを置いた。
ヴァシルは包みを解き、包丁を手にとって刃を見る。
…切れ味が落ちているようには見えない。
ヴァシルの頭を嫌な予感が掠めた。
「まだ研がなくてもいいと思うぜ、オレは…」
一応言ってみたが、やっぱりジーナは引き下がってくれなかった。
「今日の夕飯にセイさん一家をご招待してるのよ。研ぎたての包丁ですぱッと切ったステーキを出してあげたいの」
「わかった、それじゃ、やっとくから後で…」
「後でもう一回来るなんて時間の浪費よ。私、ここで待ってるから。ヴァシルちゃん研げるでしょ」
ジーナは店の端に置かれていた背もたれのない椅子をカウンターのそばまで持って来ると、ヴァシルが何も言わないうちに腰を下ろしてしまった。
こんな所で何にもしないで包丁が研げるのを待っていることこそ時間の浪費だと思うのだが、ジーナはすっかり居座るつもりでいるようだ。
…仕方ねェなぁ…。
ヴァシルは台の上に研石を出し、水で濡らして準備を始めた。
見るからに嫌そうに。
刃物の手入れ自体は嫌いではなかったが…ジーナがこれから言うだろうコトが、嫌でたまらないのである。
ヴァシルが包丁を研ぎ始めるより早く、ジーナが口を開いた。
「ねぇねぇヴァシルちゃん、チャーリーちゃんが旅に出たんですって?」
「…ああ」
ヴァシルは顔を上げずに答える。
ジーナがここに来た目的は包丁の切れ味を取り戻す為ではなく、『この話』をする為…なのは分かり切っていた。
いつものことなのだ。
一週間に一度は、こうなのだ。
「ヴァシルちゃんは前々から知ってたのかい?」
「前々と言うか…昨夜、アイツがトーザとオレを呼び出したんだ。話があるって…」
「ね、ヴァシルちゃん、チャーリーちゃんが行っちゃって寂しくないのかい」
ジーナの言葉に、ヴァシルは包丁で自分の指を落としそうになった。
すぐさま何か言い返したかったが、ぐッと一拍こらえる。
いかんいかん、こういう話題にはあくまでクールに対処せねばならんのだ。
相手を喜ばせるような反応をしてはいかん。
一つ息をついて、それからジーナに言う。
「どーして寂しくなるんだよ」
もっと続けたかったが、そこで止める。
余計なことを言うと揚げ足を取られやすくなるからだ。
「あら、どーしてって…やーねェ、わかってるクセに」
ジーナはひとしきり一人で笑い転げた。
…なんだか腹が立って来た。
ヴァシルは包丁研ぎに神経を集中させようとしたが、それより先にまた話しかけられる。
「ねぇねぇ、ホントはどう思ってんの」
「…何を」
「何をって、チャーリーちゃんのコトよ」
「チャーリーが、どう…」
「どうって、ホントは好きなんでしょ〜! もう、照れちゃって〜!」
甲高い声で言って、ジーナはまた笑い転げた。
もう何度も言われてすっかり慣れたハズなのに、この言葉を聞くとヴァシルは少なからず動揺してしまう。
思わず手が滑って手首を切り裂きそうになった。
…ジーナおばさん、自殺に見せかけてオレを殺すつもりでここに来たんじゃねーだろうなァ…?
もちろん、それは彼の考え過ぎというものであるのだが。
「おばさん、なんかずーっと勘違いしてるよな。アイツはただの仲間で…」
「うんうん、ヴァシルちゃんの言いたいことはよ〜っく分かるわよ。ヴァシルちゃんぐらいの年頃の男の子って、ホントは好きなのに好きって言えないものよねェ」
「…じゃなくて、オレが言いたいのは…」
「でも恥ずかしがるコトなんかないのよ。男の子が女の子を好きになるってのは自然なコトだし、二人ともそーゆーお年頃ですもんね」
「だから、おばさん」
「うん、チャーリーちゃんはいいコだと思うわ、私。ちょっと怒りっぽいところがあるけど、根は優しいし、料理とか、家事も一応こなせるし、それになんたって世界一の大魔道士ですもの。将来安心よねェ。ほら、魔道士って年に関係なく魔法が使えるんでしょ?」
「ちょっとはオレの話を」
「大丈夫、トーザちゃんなら二人がくっついても喜んで祝ってくれるわよ。あのコはあのコで村の女の子にそこそこ人気があるし…」
ジーナがここまで言ったとき、ヴァシルの忍耐が限界を超えた。
彼はこのテの話が人一倍嫌いなタチだったし、人一倍短気だった。
包丁を持ったままバッとジーナの方に向き直ると、カウンターをバンッと力任せに叩いて怒鳴る。
「オレにそーいう話するんじゃねェッ!」
自分でもビックリするような大声だった。
ジーナは一瞬口を閉じた。
…一瞬だけ。
「で、キスとかはもうすませちゃったワケ?」
ヴァシルはへなへなとカウンターに突っ伏した…。
「いまどきの子はすることみんな早いからねェ、でも子供作るのは結婚してからにするのよ。やっぱり世間の目ってモノがあるからね」
「も…もう言いたいだけ言っといてくれ…」
頭を上げる気力もなくして、ヴァシルは呟いた。
ジーナがさらに喋り出そうとしたとき、ドアが開いてトーザが姿を現した。
彼もまた、ジーナの顔を見て思わず立ち止まる。
ジーナはトーザにも同じような話を振って困らせて楽しんでいるのだ。
「よォ、何の用だ?」
ヴァシルがカウンターの上にアゴを乗せた状態で尋ねる。さらし首のようだ。
「ヴァシル…拙者、表に出た方が良いと思うんでござるよ」
「はァ?」
いきなりおかしなコトを言い出した友人を、ヴァシルは呆れ顔で見つめる。
しかし、トーザの顔や雰囲気が真剣そのものなのに気づくと、自らも表情を引き締めて立ち上がった。
「よし、お前がそう言うんなら表に出てようぜ。おばさんはここにいるんだ」
包丁を砥石の上に置くと、ヴァシルはカウンターに片手をついてひらりと飛び越えた。
「い、一体、何なんだい?」
先程とは打って変わった真面目な顔でジーナが尋ねる。
「胸騒ぎがするんでござるよ」
トーザは開けたドアから外を見ながらポツリと言った。
「そんでもって、トーザの胸騒ぎは九割方確かなんだよな」
ヴァシルが言葉を継いだ。
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