第1章−3
(3)
旅立ちの日の朝だというのに、目覚めは最悪だった。
全身汗ビッショリで、チャーリーは跳ね起きた。
頭の芯が痺れたようになっている。
眠ったせいで余計疲れてしまったかもしれない。
あんな夢を見たせいで…。
額ににじんだ汗を拭う。
そして、お前はいつか俺を殺すんだ。
はっきりと耳に残っている、ガールディーの、あの声。
殺す? 私が? 先生を…あのガールディーを?
二、三度首を左右に振った。
否定したのではない。
ただ、そうしたかっただけだった。
私が、ガールディーを殺す…。
滑稽な考えのように思えた。
以前なら。
今となっては、妙に真実味のある想像であったが…。
世界の平和はかけがえのないものなのだから。
☆
「なんだ、ひでー顔してんじゃねーか」
旅装を整えて村の出入口付近までやって来たチャーリーに、そう声をかける者があった。
まだ朝早いのでまわりに人の姿はない。
声のした方に顔を向けると、一階部分が武器屋の店舗になっている建物の二階から、ヴァシルがチャーリーを見下ろしていた。
「珍しいじゃない、いつもは昼過ぎまで寝てるクセに」
「見送りのない旅立ちは空しかろうと思ってな」
ヴァシル、ニヤッと笑う。
特に意味のあるものではなかったが、妙に目につく笑みだった。
「別にアンタが見送ってくれなくたって、もう一人…」
「早起きが趣味のヤツがいるんだよな」
言って、ヴァシルは軽い身のこなしで二階から飛び降りた。
ついさっきまで寝ていたらしく、寝間着に素足のままだ。
それなのにいつもと少しも変わらないように見えるのは、やはり彼が常日頃から寝間着だか何なんだかわからないような服を好んで着ているからだろう。
「ほら、来たみたいだぜ」
ヴァシルが指す。
トーザが速足でやって来るところだ。
片手には何か包みのような物を持っている。
「早いでござるなぁ、二人とも…」
二人の前までやって来てニコニコ笑っているトーザ。
…彼の方が、チャーリーよりもヴァシルよりも早くに目覚めていただろうことは、多分間違いがない。
三人の中で一番はっきりした目をしているのだから。
「何だ? その包み」
「ああ。弁当でござるよ」
「べ…べんとー?」
二人、間抜けな声で同時に反復してしまう。
トーザは笑顔を崩さぬまま首を一回大きく縦に振ると、包みをチャーリーに差し出した。
「チャーリーは、一旦旅に出ると栄養のバランスなど考えずに安い携帯食ばかり食べるでござるから…最初くらいは、バランスのとれた物をと…。この弁当は、ちゃんと考えて作ってござるゆえに」
「ちゃんと考えてって…」
包みを受け取りつつ、
「まさか、トーザが作ったんじゃ…」
「ちと時間がかかったでござるが…まァ、口に合うかどうか」
にこにこ笑っている。
しゃがみ込んで頭を両手で抱えているヴァシルを目の端にとらえながら、チャーリーはとりあえず友人の好意に感謝の言葉を述べた。
「ありがたくいただかせてもらうよ」
…弁当をもらうことになろうとは、夢にも思わなかった彼女である。
「お前、女だったらいいヨメさんになれたのにな」
「ヴァシル、そーゆー問題じゃない」
☆
三人は、その場でしばらくの間他愛のない立ち話をしていた。
そのうち、村人達も起き出してきたらしく、次第に周囲に朝の活気が満ちてくる。
…早起きした意味がまるでない。
ヴァシルの家の台所から朝食のおいしそうなにおいが漂ってくる頃になって、チャーリーはやっと自分が何をしなければならなかったのかということに気づいた。
…喋っているうちにすっかり忘れてしまっていたが…旅に出るところだったのだ。
「…お前、ホントは別に行きたくねーんじゃないの?」
それまで一緒に内容の薄い話に興じていたクセに、とんでもないことを言う男である。
「そーじゃなくて…そうだ、私はその、魔法であっという間に行けるから、多少ゆっくりしててもいいの」
「多少…でござるか?」
「いいんだって! 気にしないで! …それじゃ、そーゆーコトで、まァひとつ行って来るわ」
二人にくるりと背を向けて、村の出口に五、六歩ばかり歩み寄る。
「チャーリー!」
唐突に、ヴァシルが声をかけた。
顔だけ振り向けるチャーリー。
彼は、ただならぬ決意を秘めた瞳でチャーリーの顔を真正面から見据えると、思い切ったように口を開いた。
「…どんなに苦しくたって、道端に落ちてるモン拾って食うなよ」
「私は犬かッ!?」
マジな顔で何を言い出すかと思えば…。
「しかしチャーリー、冗談抜きで」
今度はトーザが話しかけてくる。
「拙者やヴァシルの力が必要になったときはいつでも戻って来るでござるよ。出来ることなら、何だって協力するでござるからに…」
「わかった。…ありがとう」
「もしかしたら世界の一大事になるかもしれないんだからな、遠慮するこたないんだぞ」
トーザに触発されたのか、ヴァシルも殊勝なことを言い出した。
「わかった」
小さくうなずく。
そして、村の外に向き直る。
「じゃ、行って来る。今度こそね」
「おう、行って来い」
「無理しない程度に頑張るでござるよ」
それには答えず、チャーリーは両手の平を胸の前で組み合わせた。
目を閉じ、行きたい場所をイメージする。
え〜と…グリフがいるのは…。
確か、最後に別れたのは…。
世界地図を、思い描く。
そうだ、リキュート山。
この村の北東にある、モルガニー山脈の最高峰。
…その、頂上の、洞窟付近…。
「よし!」
パッと目を開ける。
と同時に、チャーリーの全身が薄青い光の球にすっぽり飲み込まれる。
ヴァシルとトーザは咄嗟に両腕で目を庇った。
強烈な閃光。
「………」
二人が腕をどけて目を開けたときには、チャーリーの姿はすでに消えてしまっていた。
移動魔法の力だ。
「やれやれ、行っちまったか」
「…ただの噂であれば良いんでござるが…」
「さあな…」
ヴァシルは何の気なしに空を見上げた。
爽やかな青が広がっている。
今日も一日、いい天気になりそうである。
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