第1章−1
《第一章》
(1)
自らを大魔道士として育てあげてくれた師匠が、全世界を巻き込む大戦争を起こすかもしれない。
そんな噂の真相を確かめるための旅に、いよいよ明日の朝発つという晩。
チャーリーは自分の家に昔なじみの二人の仲間を招いて世界地図を広げていた。
「まず…今私達のいるシェリイン村がここ」
地図の南端、世界第二の面積を持つアイファム大陸の、南の突端を指で示す。
地理にうといヴァシル・レドアのために基本的な事柄から入っているのだ。
ヴァシルもやはりチャーリーと同じく世界に名の知られた有名人である。
彼は天性の戦闘センスとケタ外れの腕力を存分に発揮して、十八歳の若さにして高名な格闘家になっていた。
「ドラッケンの本拠…ゲゼルク島はここ」
東の端、ほぼ円形の島を指す。
現在魔界の濃霧に被われている場所である。
「それから…私の先生、ガールディーの家があるのが」
地図上で指を動かす。世界の北西端にある、ちっぽけな孤島。
「この、未だに名前のない島。中央に、魔道の力を操る者の聖地的場所である、聖域の洞窟が…」
そこまで言って、チャーリー、言葉を切る。
おもむろに顔を上げる。
…目の前では、ヴァシルがテーブルに突っ伏して惰眠を貪っていた。
隣でトーザ・ノヴァが引きつり笑いを浮かべている…。
「チャーリー、ヴァシルにそーゆー…なんとゆーか、小難しいことをわからせるのは、やはり…」
「いや…最後まで聞くなんて思ってなかったけどね…最初っから」
「…で、最初は何処に行くんだよ、よーするに…」
眼を閉じたまま、半分寝言のような口調でヴァシルが言う。
彼が寝ながらもちゃんと聞いていたのではなく、無意識下で一応返事だけしているのだということは、チャーリーにもトーザにもちゃんとわかっていた。
ヴァシルはそーゆー人間なのだ。
ちなみに、彼は熟睡しつつ食事が出来る。
「旅立ちに際して、今の状況を一通り説明しとこうと思ったんだけど…無駄みたいだね」
チャーリーは世界地図を折り畳むと、本棚のてっぺんに無造作に放り投げた。
わずかに届かず、床に落ちるかに見えた地図は、落下途中でふわりと浮き上がり、ちゃんと棚の上に乗った。
彼女の魔法の成せるわざである。
「とにかく、先生の家に一度行ってみないと」
「しかし、ガールディーは行方をくらましているとのことでござったが…」
「家にいないだけでしょ? 聖域の洞窟に入ってるのかもしれない…あそこは、レベルの高い魔法使いしか入れないから、見落としたのかもしれない」
トーザは無言のままうなずいた。
彼女はそういう風に信じたがっていた。
それがわかったから、ガールディーほどの大魔道士を取り調べに行くのに高位の魔道士が同行しなかったワケがない、などという常識的なことを、あえて口にはしなかった。
…それに、聖域の洞窟の最深部には全世界でもガールディーとチャーリーの二人しか入れない聖域中の聖域があると聞く。
ガールディーは、あるいは、そこにいるのかもしれない。
「もちろん魔法で行くんだろ」
ヴァシルが目をこすりながら体を起こした。
「あの島には、魔法じゃ行けない。先生がずっと前から魔法封じの壁で囲んじゃってるからね」
「じゃ、どうするんだ」
「カーシーまでは魔法で行く」
「そこからは?」
「船は出てないだろうから…途中でグリフを連れて行くことにする」
「ああ…あのグリフォンでござるか」
グリフォンとは、ワシの上半身と翼に、ライオンの下半身を持った幻獣の一種である。
グリフはまだ年若いグリフォンで、以前、翼をケガして動けなくなっていたところを助けてもらって以来、チャーリーを実の親のごとく慕っていた。
そこまで話が進むと、三人の会話はふっと途切れてしまった。
奇妙な雰囲気の沈黙が流れる。
三人とも、それぞれの視線がぶつかるのを避けるかのように、別々の方向を眺めている。
しかし、そんなまどろっこしい状態は長続きするワケもなく、すぐにヴァシルがチャーリーの目を見て尋ねた。
「それで、万が一んときはどうするんだ」
万が一───噂が噂でなかったとき。
チャーリーは軽くタメ息をついた。
「やるしかないね」
つまり、敵対することになろうとも、ガールディーの暴挙を食い止めなければならない。
「出来るのは私しかいないワケだし」
「…そうだよなぁ」
相手が相手だけに。
「やっぱり、一人で行くんでござるか」
「当然」
断言する。ヴァシルとトーザは少しだけ顔を見合わせた。
「そうだろうなぁ…」
さっきと同じようなことを言って、ヴァシルはまたテーブルの上にうつ伏せた。
トーザは腕を組むと、俯き加減に目を閉じて考え込むような素振りを見せる。
「ただ…私は、あの噂、信じられないんだ」
チャーリーが誰に言うともなく呟いた。
二人は別段反応することもなく、けれども静かに耳を傾けている。
「先生はさぁ、確かに自分勝手で我田引水で厚顔無恥で、唯我独尊な性格してて、やたらと大言壮語を並べたてる傾向のある野心家だったけど」
ガールディー、まるでいいトコなしである。
「縦の物を横にもしない怠け者だったんだよ。食事中にナイフ落としても、私呼んで拾わせるんだから」
まるでものぐさ太郎のようだ。
「だから、ドラッケン指揮して全世界を巻き込む戦争を起こそうなんて、ややっこしくてうっとうしくて疲れることやるワケないし、出来るハズないんだ。…先生、救い難い面倒くさがりで、自堕落な性格で、大酒呑みだし、バクチ好きだし、魔法は悪用するし…」
「そ、その辺でやめといた方が…」
トーザが控え目に止めようとしたが、もう遅い。
さらにしばらくの間小声で何事か言い続けていたチャーリー、突然ガタッと椅子を鳴らして立ち上がると。
「そーだ、思い出したら腹が立ってきた!
ガールディーの奴、私が六つの頃から自分の引き受けた魔物退治やらアイテム鑑定やら全部押しつけて生活費稼がせたんだ!
子供だからってさんざんこき使って! そーだ、そんな奴だったんだ!」
大声で文句を言い始めた。
ポカンとなってその様子を眺める、ヴァシルとトーザ。
「それに今回だって、妙な噂たてられて!
ガールディーの弟子だってバレたら、私まで一味だと思われかねないじゃないか!
ヒトの迷惑ちょっとは考えて生きろってんだ、アイツはッ!」
「わ…わかったわかった、落ち着けって…」
「絶対、とっ捕まえて、謝らせてやるッ!!」
…旅立ちの動機が違ってきているような気がしないでもない。
とにもかくにも、ヴァシルとトーザになだめられて椅子に座り直したチャーリー。
ぜいぜいと荒くなった息をなんとか整える。
「お前さぁ、誰の為に噂の真偽を確かめに行くワケ?」
「自分の為に決まってんじゃないよ」
目が据わっている。
…ついに本音が出てしまった。
ヴァシル、トーザ、そっとタメ息をつく。
こんな奴を一人で行かせていいもんだろーか?
しかし、チャーリーが凄腕の魔法使いであることは確かだ。
パーティを組まなければモンスターの出現する地域には旅に出られない一般の人間とは違う。
たった一人で世界中どこへでも行くことが出来る、ハイレベルの魔道士なのだ。
…信頼してもいいだろう。
最低、魔物や野盗に襲われて殺られてしまうことだけは絶対にないだろう。
彼女と対等に渡り合うことのできるモノだって、そうそうはいないのだから。
「明日、出発する」
不意に真面目な顔つきに戻って、チャーリーはきっぱりと言った。
ヴァシルとトーザは、また顔を見合わせた。
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