第6章−6
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 竦み上がったチャーリーの耳に、いや、その場にいる全員の耳に、まったく唐突に場違いも甚だしい歌声が聞こえてきた。
 美しく澄んだ、凛としたその声は、古代の言葉で過去のメロディを滑るようになぞっていく。

「マ…マーナはん…?」

 コランドが、いきなり何を始めるんだと言いたげな顔でマーナを見る。
 マーナは目を閉じて、胸に片手を当てて、夢中で歌い続けている。
 その向こうで、サースルーンもまた目を閉じて何事か小声で呟いていた。

 時ならぬ歌声に見上げるトーザとサイト。
 ノルラッティは最後まで放って置かれた可哀想なグリフの頭を膝に抱いてまた呪文を唱えていた。
 万一の事態に備えて精神力を温存しておくべきかとも思ったが、初めて会ったときのチャーリーの様子を思い出し、自分を救う為にグリフを救わずにおいたのだと知ったらどんなに怒るだろうと考えて、また主人の危機に我が身を顧みず助けに入ったグリフの勇気と二人の絆にも心を動かされて、心優しいこの幻獣にも癒しの魔法をかけておくことにしたのだ。

 『闇』の破片を手の平に載せたまま、ガールディーはわずかに首を捻ってマーナの方を振り向いた。
 ガブリエルとスバルが威嚇のポーズを見せる。

 …ありふれた古代叙事詩か…。

 ガールディーは面白くもないといった表情でチャーリーの方に向き直った。
 『闇』が一瞬暗さを増す。
 この魔法からは誰も逃れられない。

「何だ、あれ…?」

 いささか遅れ気味にヴァシルが言葉を発した。
 真っ青になって『闇』を見つめていたチャーリーは、その声に我に返ると肩を回すようにしてヴァシルを振り落とした。

「うわッ?!」

 不意をつかれたヴァシルだったが、なんとかケガをせずに着地することには成功する。
 少し足が痛かったが、後に残るような痛みではない。

「何すんだよッ!」

 拳を上げて抗議するが、チャーリーはヴァシルの方をちらりとも見なかった。

 ヴァシルは暗黒魔法の恐ろしさを知らないからああして呑気なコトを言ってられるんだ。
 本当のことを知ったら、落ちたとき首の骨を折って死んでたとしても、暗黒魔法から逃れられたのを感謝する気になるハズなんだから。

 ヴァシルはその素っ気ない反応に拍子抜けしたように腕を下ろした。

「…アイツ、またとんでもない呪文唱えてんじゃないだろーなァ…」

 でも、今度はオレに直接被害が及ぶワケじゃないからまあいいか。
 そんなことを考えている彼の所へ、トーザが寄って来た。

「ヴァシル、チャーリーの邪魔しに行っちゃいかんでござるよ…」
「邪魔とはなんだ! オレがあーしてなきゃ、今頃この城なんて消えてなくなってたトコだぞ?!」
「それにしても、他に方法があったでござろうに」
「お前はチャーリーのあの目を見とらんからそんなコトが言えるんだ! 大体、お前もチャーリーもいざ戦闘となったら段々おかしくなってきちまうんだから、いつもオレは迷惑してんだぞ! お前らがやり過ぎないように止めてやらなきゃならないんだからな」
「…拙者とチャーリーも何にでも喧嘩を仕掛けて行くヴァシルの性格には結構困らされてるんでござるが…」

 モメているヴァシルとトーザの横で、傷を治してもらったグリフが翼を広げて立ち上がった。
 二、三度確かめるように羽ばたいてから、羽根を畳む。
 そうしながらも、ずっと頭上を−チャーリーの姿を見上げている。
 ノルラッティはグリフがまた飛び出して行ったりすることのないように、グリフォンの背に軽く手を当てて立っている。
 先程のエネルギー弾の暴発でグリフが命を落とさなかったのは全く幸運としか言いようがなかった。

「仲間を庇ったつもりか?」

 ガールディーはチャーリーではなく自らの手の上の『闇』を眺めながら言った。
 チャーリーは何の反応も返さずにガールディーを見つめ続けている。
 『闇』からは目を反らして。

「同じことなのに…そうだ、あの質問にもう一度答えてみるか? 今なら、どっちが得なのか分かるだろう。お前の魔力はここで消してしまうにはあまりに惜しいし…もしお前が俺に力を貸すのなら、お前を殺してやってもいい」

 暗黒魔法を食らっても命が消えるワケではない。
 意識が明確なまま、無限の『闇』の中に放り込まれるのだ。
 そこで待ち受ける苦しみがどんなものなのか…たとえどんなむごたらしく苦しい殺し方をされたとしても、殺された方が数百倍も幸福だったと思えるに違いないのだ。
 具体的には分からなかったが、多分そうなのだろう。
 多くの古文書が伝えている。
 けれど、それでも。

「私は自分のやりたいようにやる。世界を壊したいなら、一人でやればいい」

「…そうか」

 ガールディーは胸の高さまで手を下げた。
 うっとりとした目で暗黒を見つめる。

 確かにそれは美しかった。
 ガールディーの手の中にある『闇』は、月も星も空にない漆黒の夜を見る者に連想させた。
 彼はその暗さを何かとても大切なものを見るような優しく穏やかな瞳で見つめ…そして、『闇』の球は獰猛な獣の鋭い牙のように、次の一瞬にはチャーリーに襲いかかっていた。

 食らえば消し飛ぶッ!

 分かってはいたが、体が動かない。
 避けられるとも思わなかった。
 逃げても、あれはきっと術者の意思のまま獲物を追うだろう。
 逃れられぬ牙から逃げ回る醜態を晒すぐらいなら、いっそこのまま…。

 そう覚悟を決めかけたとき。

「イージス・メルディ・グライド!」

 力強い声がその場に響いた。
 サースルーンだ。
 突き出した手の平から神々しい輝きをまとった光の矢が飛び出す。

 『光』は『闇』以上のスピードでチャーリーの方へ飛んで行き、今しも彼女の身体の真ん中を貫こうとしていた『闇』の球に斜めからぶつかって、その進路を変えた。

 ───が、それはわずかに一秒だけ、遅かった。

 『闇』の球は『光』の矢に弾かれて進路を変えはしたが…確かに、チャーリーの体の中心を突き抜けて行ったりはしなかったのだが…その代わりのように、彼女の右腕をもぎ取って行った。
 右の二の腕をほんの少し掠めただけなのに、『闇』は彼女の腕を丸ごと一本、根元から呑み込んでしまった。

「しまったッ…!」

 サースルーンが短く言う。

 と。

 …ガールディーの動きが止まった。

 生まれて初めて見るものを目にしたような表情を、片腕の取れたチャーリーの方へ向ける。
 彼の口から小さな声がこぼれる。

「…チャーリー…? どうして…?」

 その呟きが聞こえた者はいなかっただろう。
 一番近くにいたチャーリーでさえ聞き取れないような掠れた声だった。
 …いや、もしもう少し大きな声で言ったとしても、ついさっきまで確かに腕があった場所を見つめて言葉をなくしているチャーリーは気づかなかったに違いない。

「まさか…」

 さっきより大きな声で言い、左手で自分の心臓を握り締めるように服を掴んだ。
 その手は小さく震えている。

 いきなり、足元から火炎魔法を浴びせかけられた。
 ガールディーにはまったくダメージを与えられないくらい程度の低いものだったが、それでも驚いて見下ろす。

 ガールディーに向かって行こうとするサイトをヴァシルとトーザが二人がかりで押さえているところだった。

「離して下さいッ! どうして止めるんですかッ!」

 サイトはヴァシルをも振りほどきかねないほど逆上していた。
 目がはっきりそうと分かるくらい殺気立っている。
 サイトは元々感情が顔に出やすい性質ではあったが、こればかりはもって生まれた特性のせいばかりではないようだ。

「落ち着け! ここでお前一人暴れたってどうにもならんだろ?!」
「だからって…! 黙って見てろッて言うんですかッ?!」
「拙者達もサイト殿と気持ちは同じでござるよ!」
「嘘だッ! そんなに、どーして、落ち着いてられるんですかッ!」

 ノルラッティはグリフのそばで、いつも温厚で冷静な皇子が見せた突然の激高ぶりにどうしていいやら分からずおろおろしている。

 …ガールディーは、チャーリーに視線を戻した。

「…おい、大丈夫か…?」

 独り言のように言って、つッと彼女の方に進みかける。

 その彼に向かって、チャーリーは残る一方の手を突き出した。
 さっきサイトが撃った火炎の千倍以上の威力をもった炎がガールディーに襲いかかる。

 最低限の動きでそれをかわしたガールディーは、またチャーリーに視線を向ける。

 抑え切れぬ怒りと、隠し切れぬ悲しみを秘めた瞳がそれに応えた。
 瞳の中の感情の激しさにガールディーは怯えたように身を引いた。

 …その動作を見て、チャーリーの表情が変わる。

 彼女のその変化に気づいたか気づかなかったか…。
 ガールディーは辛そうに歪んだ顔を伏せ、大気の流れに身を任せるようにしてチャーリーから離れて行き…そして、不意にきッと顔を上げると冷酷な目で彼女を睨みつけてから、姿を消した。

「…ガールディー…先生…」

 意識したワケでもないのに、その名が声になって出て来た。
 それから、チャーリーは沈み込むように意識を失った…。

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