第6章−2
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 色々などさくさに紛れてすっかり忘れ去られていた、『マーナの歌を聴く』ということにようやく思い当たったチャーリー達…もちろん、この『達』の中にはマーナ自身も入っている。
 歌を聴かせて生活費を手に入れる暮らしをしている割には、バードとしての自覚が薄い。
 リュートやギターのような楽器も持っていないようだ。
 楽器を持っていない吟遊詩人は珍しい。

「それじゃ、どんな歌がいいですか?」
「どんな歌…と言われてもな」

 サースルーンが考え込むようにアゴに手をやって、何となしに隣に座っているサイトの方を見る。

「どんな歌があるんだい?」

 父に代わって問う。

「そうですね、王様達にお聴かせするなら、英雄賛歌っぽいのが向いてると思います」
「英雄…か。たとえば誰だね」
「大体誰でも。適当に名前を言ってみて下さい」
「ふむ…誰かいるか?」

 サースルーンがサイトに尋ねる。

「英雄ですか…私が今思いつくのは…やはり、バルムクルセイド・レイガート、クラリス四兄弟、…そうだフェルミア・ハーダムも忘れられませんよね」
「そうだな、あとはシュツットガルト・アルトレーンなんかが…」

「…なんか、バハムートばっかりなんですけど…」

 盛り上がりかけたクレイバー父子をチャーリーのぼそりとした声がそれとなく盛り下げた。
 サースルーンがそっちに顔を向ける。

「仕方なかろう、私達は善竜人間族なんだから…そう言うんだったら、君達は誰がいいんだね?」
「誰ったって…」

 戸惑うチャーリー。
 その横からすかさずヴァシルが声を投げる。

「セルド・ドレイク!」

 八百年ほど前の時代に活躍し、今も『史上最強の格闘家』としての地位を保ち続けている人間の名だ。
 伝えるところによれば、ドラゴンに変身した邪竜人間族を素手で秒殺したとか。

 そんな話は時の流れの中で結構な誇張が加えられていった結果だと全く信じようともせずに切り捨てる人間も多かったが、ヴァシルは微塵の疑いも抱かずにその逸話を信じ込んでいる。
 彼が何故そこまでかなり眉唾もののエピソードを信じられるのかと言えば、他でもない彼自身が「十分修業すればドラゴンだって素手で倒せるはずだ」という手応えのようなものを、体の深いところで感じたことがあったからだった。

 確かに、現在の自分では竜には手も足も出ない。しかし、こうして前例がいるからには、人間が竜に勝利するというのも意外に不可能なことではないハズ…そう考えて、日々仲間達の目につかない所で一人こっそりと鍛練に励んでいるヴァシルは、いつか自分が自分一人の力でバハムートなりドラッケンなりに勝利をおさめる日のことを思うと、自然にアブなくニヤけてきてしまうのだった。
 ところで、満足いくまで体を鍛えたあかつきには、とりあえずまずサイトで自分の力を試してみようと彼が思っていることを、まだサイトは知らない。
 …しかし、いくらなんでもホワイト・ドラゴンには勝てないだろう…。

「ヴァシルらしいな。トーザはどうだ?」
「拙者は特に…歴史には詳しい方でもござらんから…」
「何言ってんだよ、剣の道を志す者ならこのヒトの名前を忘れちゃいけないじゃないか! 『最速の剣士』アイラック・シェルティマー!」

 遠慮がちに首を左右に振りかけたトーザの言葉を、ずいっと一歩前に出たラルファグが誇らしげな口調で遠い昔の剣聖の名をあげ遮った。
 ちなみに、アイラック・シェルティマーは狼人間族である。
 ラルファグの言葉に、トーザは曖昧な笑みを返す。

 トーザとしては人間の剣士の名をあげて応じたいところだったが、アイラックに匹敵するような剣の使い手は、三千年の歴史を通しても人間の中にはいなかった。
 もしいるとすれば、それはトーザ・ノヴァのことだ。
 あるいは、今は亡きトーザの父親か。

「チャーリーはんやったら、アイルディーナとかカイラスとか、有名どころの魔道士の歌なんか聴いてみたいんと違います?」

 コランドがチャーリーの方を見た。
 途端、チャーリーは何とも不愉快そうな顔になってサースルーン達から視線を外してしまった。
 俯くでもなく、顔を背けてしまうでもなく、実に微妙な所に目を向け、そこだけを見つめている。

 チャーリーがひどく気分を害してしまったらしいのを見て、コランドはちょっと焦ったようにヴァシルとトーザの方に向き直る。
 もしさっきの一言でチャーリーを怒らせてしまったんだとしたら、後が怖い。
 今はサースルーン王の手前大人しくしているだけということも考えられるからだ。

「気にすんな、アイツどっちも嫌いなんだよ」
「でも、ごっつう気ィ悪うしたみたいなんでっけど…」
「あれは別に怒ってるんではござらんよ。ただちょっと面白くないと思ってるだけでござる」

 コランドだけでなく皆を落ち着かせるように、のんびりとした声で言うトーザ。
 ヴァシルも平然とした顔つきをしている。
 いつものことなのだ。

 チャーリーには感情の起伏が激しいところがある。
 上機嫌でニコニコしていた次の瞬間に烈火のごとく怒り出すことや、身も世もなく落ち込んでいた直後に子供のようにはしゃぎ回ったりするのは別段珍しいことでもない。
 こんな風にいきなり完全に会話に背を向けてしまっても、そのまま放って置けばそのうち一人で勝手に話の輪の中に戻って来るのだ。
 随分扱いにくい性質ではあったが、二人はもうちゃんと分かっているのである。

「せやけど…」

 チャーリーの機嫌を損ねることを極端に恐れているコランド。
 さっきいきなり引っぱたかれたショックが抜け切っていないのだろう。
 しかし、あれもヴァシル達に言わせるとよくあることなのだ。

 さすがに他人を意味もなく殴るというのはあまりないが(過去に一度か二度やったことがあるという意味)その代わりのようによく物を壊す。
 特に理由もなく、自分の物であろうと他人の物であろうと目についた物を得意の魔法でぶっ壊してしまうのだ。
 本人にも何故自分がそんなコトをするのかさっぱり分からない。
 厄介なコトこのうえないが、どうしてだかシェリインの村人をはじめとする一般大衆にはかなり受けのいいチャーリーなのである。

「それより、お前は尊敬する英雄とかいないのか?」

 ヴァシルが話を振ると、コランドは驚いたように口を閉じた。
 一瞬言葉を失う。
 が、すぐに気を取り直して、普段と変わらぬ声で答える。

「さあ、これと言って思いつきませんな。特別そのテのことに興味があるワケでもありまへんし」

 トーザと同じような返し方をしている。
 違うのは、心の中には思うところがあるのだが、それを口には出したくないのだという気持ちが言葉の端にほんのかすかにだが滲んでいる点だ。
 ヴァシル達はそんなことにはまるで気づいていなかったが、コランドだけは自分の言葉に嘘が混じったことを自覚していた。

 歴史に興味がないのは本当のことだったが、英雄となると…。
 そこまで一人で思考をなぞって、それからコランドは自分でその考えを打ち切った。
 代わりに、別の話題を持ち出す。

「チャーリーはんは何であの二人が嫌いなんでっか?」

 コランドの言葉を、思いがけなくマーナが引き取りあとを続ける。

「そうよ、アイルディーナやカイラスッて言えば、色んな伝説の中で大活躍してる、魔道士のスター中のスターなのに。あらゆる魔道士の憧れの的って言ってもいいくらいなのに?」

 理解出来ないという顔をしている。
 旅先で魔道士からあの二人の歌を聴きたくないと言われたも同然の振る舞いをされたのは初めてだった。
 少しでも魔法に興味のある者ならこぞって聴きたがる名曲なのに。
 なんせ、アイルディーナの歌もカイラスの歌も、それを聴くだけで聞き手の精神力の最大容量を増大させる不思議な力を秘めているのだから。

「う〜ん…なんかもっともらしいコト言ってたような気はするけど…要するに、二人ともチャーリーより強かったみたいだから面白くないんじゃないか?」

 ヴァシルがさらりと言うと、突然チャーリーが殺意にも似た鋭い光を瞳に宿してそっちをきッと睨みつけた。
 チャーリーが自分の方を向いたのに気づいて何か言ってやろうと目をやったヴァシルは、ただならぬ様子に思わず息を呑んだ。

「チャーリー…?」

 トーザが短く呼びかけると、チャーリーはその言葉に弾かれたかのように駆け出した。
 ヴァシルの方に───いや、正確にはヴァシルの後ろにある、開け放たれた窓の方へ。

 彼女の射るような視線がどこに向けられているかに気づいたヴァシルは、体を反転させて窓に向き直る。
 その横を走り抜け、チャーリーは窓の真ん前に飛び出した。

 刹那。

 凄まじい光が、そして呼吸を塞ぐ風が、窓から一気に押し寄せて来た。

 直後に轟く爆発音。

 咄嗟の判断で、自らの腕で顔や身体を庇っていた皆が顔を上げると───チャーリーの駆け寄った窓があった方の壁が、丸ごとなくなってしまっていた。
 まるごと…何も残さず。

 一面の巨大な窓になってしまった、一瞬前まで壁のあった方向を向いて、後ろにいるヴァシル達を守るように大きく両手を広げたチャーリーが立っていた。
 …彼女がそうやって、壁と同面積のバリアを張っていなければ、壁ではなくこの部屋全部が吹っ飛んでしまっていたことだろう。

「な……」

 サイトがよろめくように王座から立ち上がった。
 他の者は身動きも出来ずその場で凍りついている。
 …誰もが、紙一重の位置を擦り抜けて行った死の恐怖に思考回路をショートさせてしまっていた。

 まるで分からなかった…。

 サースルーンの背中を冷や汗が伝う。

 まるで気づかなかった…。

 頭の芯がじんと痺れたようになってしまっている。

 呆然とチャーリーの背中を見つめていたヴァシルは、チャーリーが空の一点を凝視しているらしいのに気づき、ぼんやりとそちらに顔を向ける。
 ヴァシルが、チャーリーが見ているものを確認するよりも早く。

「ガ、ガールディー…」

 掠れた声がその名を呼んだ。
 真っ青になって小刻みに震えているコランドが、チャーリーよりも早くその名を口にした。

 チャーリーが広げていた両手を降ろして、ぎゅっと拳を握り締める。
 彼女の斜め上前方、顔をわずかに上げて向けた十五メートル向こう側に、彼はいた。

 腕組みし、唇の端に笑みを浮かべて。

 ガールディー・マクガイル───今回の騒動の張本人だ。

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