第6章−7
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 グリフが舞い上がり、空中でチャーリーの身体を受け止めた。
 それからゆっくりと降りて来る。
 ヴァシル達がすぐに駆け寄って行く。

「大丈夫かー?!」

 頭の上からサースルーンの声が降って来た。

 大丈夫なワケがないのは彼も分かっているハズだが、他に言うべき言葉が見つからないのだろう。

「死んじゃいねーみたいだぜ!」

 ヴァシルが無造作な大声で答えを返す。
 ノルラッティがチャーリーの右腕の付け根にそっと手を触れ…無念そうに目を閉じて、首を振った。
 いかに『光』の力を借りた回復魔法と言えども、失われてしまった肉体の一部を取り戻すことは不可能なのだ。
 ましてや、『闇』の領域に取り込まれてしまったものを元通りにすることなど…。

「チャーリー、しっかりするでござるよ。…チャーリー?」

 トーザが顔を近づけて呼びかけると、チャーリーはかすかに呻いて薄く目を開けた。

「チャーリーさん、大丈夫ですか?」

 サイトが小さな声で話しかける。
 彼も父親と同じく他に適当な言葉が見つからないようだ。
 片腕が取れているのに大丈夫なワケがない。

 …ゆっくりと目を開け、身体を起こそうとしたチャーリーだったが、腕が一本ないということを忘れていて、右側に転びかけた。
 ヴァシルがすかさず左腕を掴んで支えてやる。

「…え〜と…」

 チャーリーは何か言おうとしたが、やっぱり言葉が出て来ない。
 額に手を当てて二、三度首を振り、グリフの背中から降りた。
 心配そうな目で顔を近づけて来たグリフの頭を優しく撫でてやる。

「お前、大丈夫なのか?」

 石につまづいて転んだ友人を気遣うような軽い口調でヴァシルが問うのに、チャーリーは意外に平気なカオでうなずいた。
 彼女自身も、石につまづいて転んだぐらいにしか自分の身に起こった事態を受け止めていないようだ。

「…痛まないんですか?」

 ノルラッティがおずおずとチャーリーの方に進み出た。

「それは全然…それより…」

 謁見の間の方を見上げる。

「さっき王様の使った魔法…」

「大丈夫か、チャーリー?」

 いきなりすぐそばでサースルーンの声がした。
 振り向くと、サースルーンはじめ、謁見の間にいたコランド達が下りて中庭にやって来ていた。
 いつの間に…と思いつつも、チャーリーはとりあえずうなずいた。

「すまん、私がもう少し早くあの魔法を使っていれば…呪文の詠唱に手間取ってしまって、ガールディーの攻撃に合わせられなかったのだ」

 サースルーンは申し訳なさのあまりチャーリーの右腕から視線を反らしつつ、頭を下げた。

「そんな、謝られるとこっちが困ります」

 似た者父子だと思いながらチャーリーは言う。

「あのとき王様があの魔法を使ってくれなかったら、今頃ここにいなくなってるところだったんですから、右腕一本ですんでよかったと思いますよ。…ところで、使えたんですね、神聖魔法…」

 暗黒魔法の対極に位置する『光』の魔法だ。
 『闇』の魔法と同じく伝説の中だけにあるものと思っていた。

「一応な。古文書で読んだ呪文を覚えておいて良かった。マーナがいてくれたのも幸運だったよ」

 サースルーンの言葉に、皆の視線が彼の背中側に立っていたマーナに集まった。

「そう言えば…あの歌は何だったの? マーナ」

 ノルラッティが全員を代表してその質問を口にした。サースルーンがわざわざ言及したところをみると、やはり彼女のあの歌には何か意味があったのだ。

「え〜とね…歌詞は『湖水の女王の物語』っていうわりと有名な歌ので…旋律は、アイルディーナの唄のものだったんだけど」

「それに何か意味が?」

「アイルディーナの唄はね、メロディだけでも魔道士の力を強める効果があるの。それから、普段の状況では使えないような高等な魔法でも、メロディの力で使えるようにすることが出来るの。歌詞もそのままにしてた方がもっと効果があるんだけど、それやっちゃうとさっきのあのヒトにはバレちゃいそうだったから…」

「それから、私の呪文詠唱の声も隠してもらったのだ。気づかれると私達の方が消されてしまいかねんからな」

「歌でそんなことが出来るんでござるか?」

 トーザの問いにはチャーリーが答えた。

「バードの中には、歌に魔法に似た力を封じ込めて呪文のように使える人もいるって聞くよ。歌詞の中に呪文を織り込んだりすると、色んな唄を聞き馴れていないとどんな魔法が発動するのか予測がつかないから、ある意味普通の呪文よりコワいものがあるかも…と、それはいいや。王様、お城に水盤はありますか?」
「水盤…?」
「お皿みたいなので、水が張れる入れ物ですよ」
「あるにはあると思うが…」
「それじゃ、水を入れて持って来てくれませんか…出来るだけ早く」
「何をするんだ?」

「『先生』から連絡があるかもしれないんです。それを受け取る為に、静かに澄んだ水面が必要なんです」

「私が取って来ます」

 チャーリーの説明を聞き終わるが早く、サイトがさっと中庭から出て行った。

「ガールディーから連絡があるとは、どういうことだ?」

 サースルーンが質問を重ねた。その問いに、チャーリーは困ったように目を伏せ、それからすぐに顔を上げて、

「私にも確信はないんですけど…さっき『先生』に戻ったような気がするんです」
「戻った…?」

 どうしようもなく自信のなさそうな彼女の言葉に、サースルーン達はそれぞれに怪訝そうな顔を見合わせた。
 そんな皆の様子など見えていないかのように、チャーリーは一人で続ける。

「王様の神聖魔法がアイツの横を掠めてから…少なくとも、私が最後に撃った火炎魔法をかわした直後、アイツは悲しそうに目を反らしたんだ。『光』の魔法の力で、ほんの少しの間だけ、元に戻っていたのかもしれない。消える直前にはまた冷たい瞳をしてたけど…」

 古代言語の呪文を唱えるような口調で呟きながら、残った左手を爪の色が白く変わるほど握り締める。

「わからないけど、もしかしたら…あのガールディーの中に、少しでも本来の人格が残ってるなら、何か伝えて来るハズだから」

「あの、チャーリーさん、しつこいようですけど…」

 決然とした様子で独り言に夢中になっているチャーリーの横から、本当におずおずといった感じでノルラッティが声をかけた。
 モノローグの邪魔をされたのにムッときた風もなく、チャーリーは普段と全く変わらぬ仕草で声をかけられた方を向く。

「ほんとーに、痛まないんですか?」

 幸いなことに服の袖が無事なまま残っているのでモロにさらけ出されてはいない腕の付け根部分をじっと見つめるようにして言う。
 マーナの歌よりもガールディーの態度よりも、チャーリーの傷の方が気になって仕方がないらしい。

 チャーリーがやたらと派手な魔法を使いたがるように、ノルラッティにもより効果の大きい回復魔法を使ってみせたいという願望があるのだろう。
 片腕がもげた激痛を一瞬にしてかき消してしまうほどの、回復魔法を。
 そんな魔法、日常生活では滅多にと言うかほとんどと言うかまず使えないから。
 しかし、チャーリーはつれなく(ノルラッティにはそう見えたことだろう)首を左右に振った。

「ほんとーに、痛くも痒くもなんともないよ。大体が暗黒魔法ってのは、相手の肉体にダメージを与える魔法じゃないから。ダメージを与えるってよりは、そのものを消滅させる魔法だからね…全然平気だよ」

 こともなげにさらりと言ってのける。

「そうですか…良かった」

 心なしかがっかりしたように−もちろん、まわりの皆にはまるで分からないくらいの感情の変化ではあったが−小声で言ってから、ノルラッティはにっこり微笑んだ。

「せやけど、その腕はもう元に戻らんのですか?」

 ラルファグの後ろに隠れるように立っていたコランドがひょいと顔を出した。

「戻らないってワケじゃない。この腕を消した魔法と同じだけの力をかけてやれば、いつでも取り戻せる。…でも、今はちょっと疲れてるから…少し休まないと。このままでも、別に不自由はないからね、今んとこ」

 軽く受け流すように答える。
 コランドは、チャーリーの言葉にまったく気持ちが入っていないのを見抜いて少し不審に思った。

 トーザの問いに、吟遊詩人の歌についての説明をしたときから、彼女の口調からは細かな感情が抜け落ちていた。
 はじめコランドは、チャーリーがガールディーのことが気になってバードのことになどマトモに返答している余裕がないのかと思った。
 実際、それに続いてチャーリーが先生から連絡があるかもしれないと言い出したので、そうに違いないと考えていた。

 …しかし、サースルーンに聞かれてガールディーのことを喋っているときも、やはり彼女の言葉は感情から外れているような印象を与えた。
 ノルラッティの質問にも、コランドが話しかけたのにも、チャーリーは全く同じ調子で応じた。
 そのあまりにも平然とした口のきき方から、コランドだけがチャーリーの異変を嗅ぎ取っていた。

 おそらく、チャーリーには何かひとつだけ気になって気になってどうしようもないことがあるのだ。
 そのことに注意の大半を持って行かれているので、あんな上滑りしているような話し方になってしまうのに違いなかった。

 そこまで彼女が気にかけるもの、それは何なのか?
 腕が消し飛んでしまったことそれ自体に対してではない。
 自分に返って来た答えから、それは断言出来そうな気がした。
 コランドが尋ねたコトはいくつかある問題点の中で最もどうでも良いコトであったのだろう。
 …ガールディーのことが気がかりなのでも、ない。
 じきに連絡して来るかもしれない人間のことをそこまで気にするとは、彼女の性格からはあまり考えられない。
 となると、残るは一つ。
 …チャーリーは、ノルラッティには嘘をついているのだ。
 何故かは分からないが、チャーリーは傷口が激痛に襲われているのを皆に悟られまいとしている。
 そういう目で見れば、彼女は確かに顔色が悪いし、態度もちょっと落ち着かない。

 せやけど、何で…?
 何で、あそこまで我慢してるんやろ?

 コランドにはさっぱり理解出来なかった。
 痛むなら治してもらえばいいのに。
 けど、黙っておくことにした。
 本人がああやって隠し通そうとしているものを、コランドなんかがバラしてしまったら、たとえそれが善意に基づく行動であったとしても後で何をされるか分かったものではない。
 自分から泣き言を言うのが嫌だから誰かが気づいてくれるのを待っているというようにとれないこともないが、とにかく『触らぬ神にたたりなし』。
 我慢出来ないくらいになったら、コランドが言わなくてもまわりの皆が気づくだろう。

 弱気である意味無責任な盗賊がそう思考を巡らしている間も、チャーリーはいつもと変わらぬ顔で───想像を絶する苦痛に耐えに耐えていた。
 この苦しみを表面に出さないようにするには超人的な精神力を要したが、精神力に関してはチャーリーの専売特許のようなものなので素知らぬ顔を続けることはそう難しくはなかった。

 しかし問題なのは、どれだけ知らん顔をしていてもこの苦しみが消えるワケではまったくないということだ。

 暗黒魔法は相手を『闇』の空間に取り込み、永遠に苦しめ続ける呪いの魔法。
 『闇』の空間というのは、寒さが寒さを通り越して痛みに変わるほどの酷寒の場所でもある、と前に何かの本で読んだことはあった。
 そのときには、それが一体どういう場所なのか全然思い描いてみることも出来なかったチャーリーだったが、今、彼女の右腕は生物の想像力を遥かに超えたその場所にあるのだ。
 そこがどんな所なのか、ないハズの右腕からはっきりすぎるほどはっきりと伝わって来る。
 右腕は目に見えないし、そこにも確かにないのに、右腕の感覚だけは未だに身体とつながっているのだ。

 筆舌に尽くしがたい苦痛、という他ない、どうしようもない辛さだったが、無理をして表現すると次のようになる。

 …まず、これ以上はないほど鋭く研ぎ澄まされた氷のナイフがぎっしり詰め込まれた入れ物に、無理矢理腕を付け根まで押し込まれたような感じ。
 さらに、その入れ物には氷の温度をさらに下げるための塩水が絶えず注ぎ込まれているので、氷点下何十度の冷気が腕全体を包んでいる。
 そのうえ、氷のナイフが詰まった隙間にはドライアイスでも混ざっているらしく、低温ヤケドのせいで皮膚が爛れていくように熱くてたまらない。

 …というような、ワケのわからない状況になっているのだ。
 しかも、これを現実にやれば腕はたちまち凍傷を起こして感覚が麻痺してしまうだろうから比較的早くに何も感じなくなるに違いないのに、『闇』の空間では決して慣れることのない呪いがいつまでも続くのだ。

 チャーリーは、右腕のあった所に向かって超特級の火炎魔法を放ちたい衝動を必死に抑えていなければならなかった。
 そんなことをしたって無駄なのだ。
 どれだけ高温の炎も、『闇』の空間には届かない。
 たとえ岩山を一瞬で蒸発させられる炎をぶつけたとしても、この苦しみからは逃れられない。
 そんなことをすれば、自分が火傷をしてもっと事態が悪化するだけだ。
 …回復魔法ではどうすることも出来ないから、皆に心配をかけない為にも、じっと我慢していなければならない。

 本当は今すぐ『闇』の中から腕を引き抜きたかったが、今の彼女には無理なことだった。
 ガールディーとの戦闘で割と精神力が減ってしまった…一晩なんとか眠って全快させて、そのうえであのガールディーの魔力が封じられたコインを一袋使って、それでうまくいくかどうか…。

 とにかく、今日はトーザにでも眠りの魔法をかけてもらわないと寝入れそうにない。
 こちらがその魔法にかかるつもりでいれば、駆け出しの魔道士の魔法でさえ眠れるものだ。

「お待たせしました」

 不意に声がして、サイトが水盤を両手で抱えたターフィーを伴って中庭に戻って来た。

 水盤はいかにも骨董的な価値のありそうな堂々たるデザインのもので、澄んだ冷たい水が八分目まで満たしてあった。
 あまり大きくはなかったが、チャーリーがこれからやろうとしていることに支障をきたすほど小さくもなかった。
 つまり、ちょうどいい大きさだったということだ。

「ありがとう。ここに置いて」

 ターフィーは言われるままに中庭の芝生の上に水盤をそっと置き、後ろへ退がった。
 揺れて波打つ水面が静まるまでの間、皆は容器の周囲を丸く囲んで水面をじっと覗き込んで待っていた。

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