第4章−9
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二階の床に立ってチャーリー達を見下ろしていたのは、他ならぬこの城の主、サースルーン・クレイバーだった。
サイトが身に着けているのと同じような銀糸縫い取りの青いマントで『王』に相応しい風格の漂う身体を包み、生き生きとした輝きに満ちた碧眼でもって階下に居並ぶ面々を見下ろしている。
三百歳を越えているようには到底見えない逞しい体つき。
人間の数倍の寿命をもつ善竜人間族ではあったが、三百歳以上になるとそろそろ老化が始まる頃だ。
なのに、老いたところは少しも見受けられない。
善竜人間族にはもちろんのこと、他種族の者にも敬愛されてやまないサースルーン王だけのことはある。
きっと健康にはよほど気を遣って、適度な運動も毎日欠かさずしているに違いない。
「申し訳ありません、父上!」
慌てて姿勢を正すサイト。
しかしながら、もちろんのこと息子を見る父親の目は微笑んでいる。
本気で注意するワケもないのだが、サイトはとかく何でも真に受けてしまう性格なのだ。
ターフィーとノルラッティがサッとひざまづいて、王に対する敬意を表す。
チャーリーも体ごと階上に向き直って、背筋を伸ばした。
「お久しぶりです、サースルーン王」
「突然呼び立てて悪かったね。よく来てくれた」
言って、サースルーンは階段を降り始めた。
後ろから近衛兵らしい青年が二人、付き従って来る。
「私が邪竜人間族の仲間になるんじゃないかと疑ってらしたそうで。疑惑を晴らすために急いで飛んで来ましたよ」
「サイトはそんな風に言ったのかね」
サースルーンはいかにも愉快そうに応じる。
「いえ、私はそういうつもりで言ったのではなく…」
生真面目に否定しようとしたサイトを見て、サースルーンとチャーリーは同時に吹き出した。
「だから、ちゃんと分かってるってば、サイト!」
「お前も少しは冗談の分かる男にならんといかんな」
サースルーン王は階段を降り切って、チャーリー達の方に歩いて来た。
左手を差し出し、握手を求める。
チャーリーは大きくて温かい手をしっかりと握り返した。
「これから一緒に食事でもどうかな? もう昼過ぎだし、それにここまで急いで飛んで来たなら空腹だろう」
「いいですね。小難しい話も何か食べながらだと気軽に出来そうですし、おっしゃる通りお腹も空いてますし。ねぇ、サイト?」
「あ…は、はい」
サイトは世界の存亡に関わる事柄を食事をしながら話すのは何だか不謹慎なような気がしたのだが…父親と命の恩人の言葉とあっては同意するしかない。
それに、言われてみれば確かに空腹でもあった。
「ところでノルラッティがどうしてここへ? 誰かケガでもしていたのかね」
急に王に名前を呼ばれて、ノルラッティは緊張した顔を上げた。
「はい、チャーリーさんの乗って来られたグリフォンが火傷を負っていまして、それで私が呼ばれたのです」
固い声で説明する。
かなりアガッている様子だ。
「そうか、グリフが…道理で君がなかなか上に来ないワケだ」
「すいませんね、わざわざ出迎えさせてしまって…私達の食事のときにこのコにも果物をあげてくれませんか」
「ほう、グリフォンの主食は果物なのか」
「食事してる横で生きたキツネとかウサギ食べてるトコ見たいですか?」
「なるほど、雑食か。初めて知った。よし、よく熟れた果物を用意させよう。ターフィー、そのように厨房に伝えてくれ」
「はっ」
ターフィーは短い声で返事をすると、さッと立ち上がり、一礼して、左側の廊下へ歩いて行った。
「ノルラッティも、礼拝堂に戻って食事にするといい」
「はい。…あの、実は明日、私の友人がここに来る予定になっているんです」
「君の友人が? 明日とはまた急な話だね」
「申し訳ありません、お話しする機会が見つからなくて…」
「友人と言うと、カーシーで同じ司祭をやっている人かい?」
サイトが横から会話に混ざる。
すると、ノルラッティはサースルーンに答えるときの倍くらい緊張した声で返答した。
「いいえ、違います…明日来るのは、バードをやっている友人で…その、ここに来た折には、是非一曲王と…皇子の前で披露したいと申しておりまして…」
「バードというのは?」
「あ。…世界中を旅して回って、行く先々で仕入れた伝説や噂話を歌にしてよその土地の人々に聞かせる職業のことです」
「そうか、変わった職業が世の中にはあるものだな…。ノルラッティ、大いに楽しみにしていると明日その友人が来られたら一番に伝えてくれないか」
「はい! …それでは、失礼します」
サースルーンの言葉にまるで自分のことのように晴れがましい表情を見せてから、立ち上がり一礼して、ノルラッティは右側の廊下へ小走りに去った。
「それでは、食堂へ行こう」
サースルーンはチャーリーとサイトを促して、階段の方へと歩き出す。
サイトはすぐその後に続き、チャーリーはグリフの方をちょっと振り向いてから後をついて行った。
☆
城の食堂と言っても、向こうの端が霞んで見えなくなるような長〜いテーブルがあったり、片腕に清潔な白い布をかけたままかしこまっているボーイやレースで飾られたエプロンを身につけたウエイトレスがそばに無駄なほど大勢控えているというワケではない。
それでは誰もいないのかと言えばさすがにそんなこともなく、人間の年齢でいうなら三十前後といった風の陽気な男と、ふくよかな体つきのいかにも優しそうな中年の婦人がサービスにあたる。
テーブルは長方形で、長い方の辺に何とか詰めて三人座れるだろうといった大きさの物だ。
薄い水色、ほとんど白に見えるテーブルクロスがかけられている。
椅子はシンプルなデザインの木製。
部屋の片隅には、木の台の上に大きな花瓶が置かれていて、黄色の花と白色の花が六対四の割合でアレンジされている。
相変わらず趣味はいい。
サースルーン王は部屋の奥に向いた短い方の辺の前に置かれた椅子に座る。
サイトはサースルーンから見て左手側の席につき、チャーリーは給仕役の男性が引いてくれた右手側の椅子に腰を下ろした。
グリフはその後ろにちょこんとお座りの姿勢をとる。
チャーリーはこれから食事だというのに手に指なし手袋をはめたままだったが、サースルーンもサイトもそれを気にする様子はない。
人に不快感を与えない限り食事作法にこだわらないというのが善竜人間族のやり方だった。
人間の会食のように、フォークやナイフが何本も並んだり、どの料理をどんな風に食べるかが決まっていたり、そういうしちめんどうくさいことは一切ない。
ただ美味しく楽しく食べればいいのだ。
チャーリーは善竜人間族のこういうところが好きだった。
婦人の方がワインの瓶を持って来て、サースルーンのグラスに注いだ。
食前酒というヤツだ。
ラベルを確認したり、香りを確かめてみたり、一口だけ飲んでみたりというようなことはしない。
婦人は続いてサイトのグラスにもワインを注いで、テーブルの端を回り込んでチャーリーのグラスにもそれを満たした。
「昼からアルコールですか?」
チャーリーが口を開く。
「タダの葡萄酒だよ。これ一杯しか出て来ないから、大事に飲みたまえ」
サースルーンは濃い赤紫色の液体の入ったグラスをちょっと掲げて見せた。
「飲みすぎは体に毒ですからね」
婦人はやんわりとたしなめるように言って、空になった瓶を持って奥の小さなドアの向こうへ出て行った。
入れ替わりに、料理の皿をいくつか載せたワゴンを押して男性が入って来る。
「さあ、どれから召し上がりますか? どれでも温かいうちにどうぞ」
人間のコース料理のように食べる順序にこだわることもない。
「やはり、お客様から選んでもらった方がいいだろう」
サースルーンが言うと、男はワゴンをチャーリーのそばまで押して行った。
ワゴンは椅子に座ったままでも載せられた料理を見られるくらいの高さである。
「どれも美味しそうですね」
お世辞ではなく本心からチャーリーはそう言った。
「そりゃあそうでしょう。優秀な料理人が腕によりをかけて作ったものばかりですから」
「じゃあ、これいただきます」
チャーリーはワゴンの上から両手で一つの皿を取り上げた。
滑らかな曲線でデザインされた陶器のスープ皿で温かな湯気を立ちのぼらせているのは、クラムチャウダースープだ。
具としては、はまぐりやあさりなど貝が入っていて、じゃがいもやにんじんといった野菜も入れられている。
とにかく文句ナシにおいしそうだ。
男はそれからサースルーン、サイトの順にワゴンを回し、二人はそれぞれに好みの料理を取った。
そうして男はさっき入って来たドアから出て行き、また入れ替わりに婦人が果物の入ったカゴを持って来る。
グリフがぴょこんと立ち上がる。
最初の一口を口に運ぼうとしていたチャーリーはそれに気づくと、スプーンを皿に戻して婦人の方を向いた。
「すいません、どーも…」
「いいえ、とんでもない。気に入ってもらえるといいんですけど」
婦人は尻尾を振って待っているグリフの前に色々な種類の果物がたっぷりと盛り合わせられたカゴを置いた。
グリフは早速クチバシでりんごをくわえ上げて一息にごくんと飲み込む。
「グリフ、ちゃんと味わって食べないと」
言うチャーリーを、グリフはいっとききょとんとした瞳で見やって、今度はオレンジをくわえた。
チャーリーは軽く肩をすくめて座り直し、改めてスープをすくい直す。
「それでは『小難しい話』を始めるとしようか、チャーリー」
サースルーンが静かな声で切り出した。ナイフとフォークを手にしようとしていたサイトは手を止め、チャーリーはスープをすくったスプーンをぱくっとくわえてからサースルーンを見た。
クラムチャウダースープを味わってからスプーンを取り出し、スープの中に戻す。
「そうですね、しましょうか」
軽い調子で応じる。
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