第4章−8
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(8)

 城下町の入り口付近に降り立つ。
 サイトと二匹のグリーン・ドラゴンは人間の姿に戻った。
 チャーリーもグリフの背から降りる。

「皇子、よくご無事で」

 騎士の一人がサイトに近寄った。
 銀色の軽装鎧を着けた長身の若者だ。
 金色の髪と緑の瞳が王族ではない普通の善竜人間族の特徴である。

「ターフィーにセレイスか。出迎えご苦労」
「チャーリーさんもお元気そうで」
「どーも、久しぶり」

 チャーリーは社交辞令程度に二人の騎士に頭を下げた。
 チャーリー自身はまったく覚えていない顔だが、おそらく一年前サイトに付き添って王に薬草を届けに来たとき会ったことがあるのだろう。
 別に邪険に扱う理由もない。

 挨拶はそれだけで終わらせて、チャーリーはかなりの長距離を飛んでくれた相棒の方に向き直り、ねぎらいの言葉をかけ始めた。

「王がお待ちです。早速城の方へ」
「わかった。行きましょう、チャーリーさん」

 サイトがチャーリーを振り向くと、チャーリーは何やら心配そうな顔でグリフの羽根を撫でてやっているところだった。
 立派な翼の真ん中辺りを、小声で何事か話しかけながら何度もさすっていて、サイトの言葉はもちろん聞いていない。

「どうかしましたか?」

 一歩前に出るようにしてサイトが問うと、チャーリーはくるりと向き直り、

「どうしよう…グリフにケガさせちゃってたんだ」

 彼女が普段なら決して見せることはないだろう、しゅんとした、今にも泣き出しそうな顔で答える。
 答えながらも、グリフの翼にしっかりと手を置いている。

「グリフがケガを?」

 チャーリーがあんまり深刻そうな、どうしていいのか全然わからないといった不安げな表情をしているので、一体どんな大ケガをしたのかとサイトが歩み寄ってのぞき込む。
 チャーリーは手をどけて傷口をサイトに示す。

 …彼女が軽く押さえていた所に、よほど注意深く観察しなければ見つけられないようなかすかな火傷の痕があった。
 追って来る魔物を火炎魔法で撃ち落としたとき、その炎が掠ったのだろう。
 羽根が本当にほんの少しだけ焼け焦げて乱れている程度だ。
 皮膚が赤くただれているとか、そういう風に見てはっきりそれとわかる火傷ではない。

 サイトは少しばかり拍子抜けした気分を味わったが、チャーリーが真剣に涙ぐんだ瞳でグリフの傷をじっと見つめているのに気づいて、彼女を安心させるべく穏やかでしっかりした声で話しかけた。

「心配ありませんよ。城には回復魔法を使える者がいますから、治療させましょう」
「そ、そう? 大丈夫?」

 ほんのちょっとだけ気を取り直したようにサイトの方を見る。
 サイトはここぞとばかりに大きく深くうなずいた。
 その動作に、チャーリーも小さくうなずきを返すと、またグリフの傷にそっと手を当てて、

「大丈夫だって、グリフ。ゴメンね、気づかずにいつまでも乗ってて…私にケガを治す魔法が使えたら、お前にこんなツライ目を見せなくて済んだのに…」

 今にも申し訳なさで死んでしまうかもしれない、という感じの暗いカオでボソボソやりだした。
 グリフは首をひねってクチバシでチャーリーの肩やマントをつついている。
 突然の彼女の態度の変化に何だか分からないが不安になってきたようだ。
 時折哀れを誘うような目をサイトに向けて、説明を求めている。

「あの…皇子、チャーリーさん…どうかなさったんですか?」

 セレイスが控え目に切り出す。

「よくわからないが…。───チャーリーさん、早く城へ行きましょう。いつまでもここにいても仕方ないですよ」

 声のトーンを上げて促す。
 チャーリーははッと顔を上げると、慌ててサイト達の方に向き直り、

「そーだ、ここにいても仕方ないね…うん、それじゃあ行こうか、すぐ…今すぐ行こう! 今すぐ!」

 無理に元気よく言った。
 ターフィーとセレイスがサイトの後ろで顔を見合わせる。

「ええ、今すぐ行きましょう」

サイトはまた大きく深くうなずいてみせた。


 バルデシオン城に入ってすぐに、ターフィーは回復呪文を使える者を呼ぶために右手に伸びた廊下を走って行った。
 チャーリーは知らないが、そちらには礼拝堂がある。

 礼拝の対象になるのは、擬人化され人格を与えられた世間一般で言うところの『神』ではなく、太古の昔から語り継がれてきた存在であるところの『光』だ。
 魔法の中でも、回復系や防御系のものは何がしかのかたちで『光』の影響を受けている。
 概念的な存在である『光』が信仰されて気をよくするとは思えないが、何故か『光』を崇拝する者が使う回復や防御の魔法は、崇拝していない者が使うそれよりも優れた効果を発揮するのだ。
 人間の傷ならともかく、幻獣であるグリフォンの怪我を治すとなれば、通常の回復呪文の効果の上に『光』の加護が上乗せされていなければならない。

 実はサイトも回復魔法が使えるのだが、自分が治そうと言い出さなかったのはそういう理由があってのことだ。
 礼儀正しく真面目なサイトだったが、意外なことに信心深い方ではなかった。

 それはともかくとして…『光』を信仰の対象とする者は、職種的には神官とか僧侶などと呼ばれるのが普通である。

 チャーリー達は入り口の扉を入ってすぐの場所で、ターフィーが戻るのを待った。
 誰かが言い出してそうしたワケではなく、チャーリーがそこで足を止めてしまったのだから、付き合って待つしかない。
 グリフはさっきからしきりに『そんなに心配しなくても大丈夫、かすり傷なんだから』というコトを仕草と表情で伝えようとしていたが、もちろんチャーリーはまったく気づかない。
 サイトはそんなチャーリーの様子をぼんやりと眺めている。

 …いつも冷静沈着で、気が強くて、取り乱すことなんて滅多にないように思えるチャーリーさんなのに、可愛がってるグリフのこととなると…普通の女の子と変わらなくなるんだな…。

 そんなことを考えながら。
 しかし彼は少し誤解している。
 チャーリーのこの反応は結構病的に過剰だ。
 これを『普通の女の子と変わらなくなる』などと評するのは、普通の女の子に失礼だ。
 …もっとも、サイトは善竜人間族の王、サースルーン・クレイバーの大事な一人息子。
 『普通の女の子』とはあまり口をきくこともない環境で育てられてきたのだから、とりあえずそんな風に語弊のある比喩を用いてしまっても仕方のないことだろう。

「皇子」

 不意に、セレイスが声をかけてきた。
 サイトは少しだけビックリしたような顔で振り向く。
 セレイスはそれまで黙って彼の背中側に立っていた。

「何だ?」
「王に、皇子のご帰還とチャーリーさんの到着を知らせて参ります」
「ああ、頼む」
「それでは」

 セレイスは一礼すると、入り口の扉のちょうど正面、石造りのホールを挟んだ真向かいにある広い階段の方へ歩き出し、若々しい足どりでそこを上って行った。

 手摺りには華麗な彫刻が施されているが、階段そのものはいたって質素な石のものだ。
 横手の壁には何点かの絵画が掛けられていたが、いずれも桁外れに高価というほどの物ではない。
 しかし趣味はよかった。
 バルデシオン城は建物全体がそんな風に、豪華さや派手さとは無縁のもの、しかし上品で美しいもので飾られている。
 エントランスのホールにも、きらびやかなシャンデリアが吊られているワケでもなく、物々しい装備の番兵がこれ見よがしに立っているワケでもない。
 気取ったところのない、居心地のいい城だった。

 チャーリーは一度しかここを訪れたことはなかったが、それでもたった一回の訪問でこの城をいたく気に入っていた。
 だから、再訪出来たことをもっと喜んでもよさそうなものだが…今はそんな気分にはなれないようだ。
 じっとグリフを見つめている。

 サイトはセレイスが階段を上り切るのを何となく見送ってから、またチャーリーに視線を戻した。
 サイトにとってはいつも見慣れた城だ。
 何もせず、飽きもせずに眺められるものと言えば、チャーリーとグリフだけだ。
 彼女らにしても壁に掛かった絵のようにほとんど動きはなかったが、サイトにとってはいい暇潰し(?)になるのである。

 やがて、右手の廊下から足音が聞こえて来た。
 チャーリーが慌ててそっちに向き直ったのにつられるように、サイトも同じ方を見た。
 ターフィーが、白を基調にした司祭服に身を包んだ少女を伴って歩いて来るところだった。
 二人は速足でチャーリーとサイトの近くまでやって来る。

「お待たせしました。こちらが、回復呪文の使い手の…」

 ターフィーがそこまで言うと、少女は彼の言葉を遮るように片手を挙げてから一歩チャーリーに歩み寄り、

「僧侶のノルラッティ・ロードリングです。はじめまして」

 と、軽く頭を下げた。
 堂々としている内にも優しさが感じられるノルラッティの態度を見て、それまで情けなくも沈んだ顔をしていたチャーリーも、気を取り直して表情を引き締めた。
 それから普段とまったく変わるところのないしっかりとした声で、

「魔道士のチャーリー・ファインです。よろしく」

 名乗り、右手を差し出す。
 ノルラッティはすぐにその手を握り返した。
 輝くような金色の髪に、湖水のように澄んだ緑色の瞳。
 当然のことだが彼女も善竜人間族だ。

 こんな女の子でもドラゴンに変身するんだろうか…ちょっと想像つかないような気もするけど…いや、今はそんなコトどうでもいいんだった。
 今重要なのは…。

「ノルラッティさん、早速グリフの傷を治してもらいたいんですけど…」

 チャーリーの言葉に、ノルラッティは黙ってうなずき、グリフに近づいた。
 自分の回復魔法が必要だと呼ばれているのにノルラッティが少しも急いだり焦ったりしていなかったのは、おそらく事前にターフィーにグリフのケガがそれほどひどいものではないと聞かされていたからだろう。

 ノルラッティはチャーリーが示した辺りのグリフの羽根をさっとひと撫でしただけで目立たない焦げ跡を見つけ出し、それからそこに指先を当てるようにして短く呪文を唱えた。

 指の先から青白く柔らかな光が紡ぎ出されるように溢れて、小さな火傷の痕を優しく覆い隠す。
 その光はすぐに空気の中に溶けるように消滅し───グリフの翼はすっかり元通りになった。

「…これでもう大丈夫です」

 ノルラッティはグリフから体を離してチャーリーの方を向いた。
 チャーリーは急いで先程まで自分が手を置いていた、火傷のあった所を確かめる。
 …すぐに、すっかり前のように明るさを取り戻した顔で、ノルラッティを振り返った。

「キレイに治ってる! ありがとう!」
「どういたしまして。私にとってはすごくカンタンなことです」

 チャーリーがあんまり無邪気に喜びを表現したものだから、ノルラッティもなんだか嬉しくなってにっこり笑って言葉を返す。

「よかったですね、チャーリーさん」
「うん! よかった…もうケガなんかさせないからね、グリフ!」

 チャーリーはグリフの首をしっかりと両手で抱き締めると、羽毛の中に顔を埋めた。
 グリフもチャーリーがどうやら元に戻ったようなので嬉しがっている様子だ。
 尻尾が揺れている。
 皆が何だかよくわからないなごやかムードに包まれかけたとき。

「来客はすぐに謁見の間に通すしきたりだろう、サイト!」

 快活で、それでいて威厳のある男性の声が頭上から降って来た。
 チャーリー達はほぼ一斉に階段の上を振り仰いだ。

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