第3章−1
《第三章》
(1)
気持ちの良い朝だった。
夜明けと同時に目を覚ましてしまったばっかりに不毛な時間をもて余すことになってしまったトーザは、まだぐっすり眠りこけている他の面々を起こさないよう、そっと小屋を出て、小さなこの島を散歩してみることにした。
チャーリーは何故か子供の頃のことをあまり話したがらなかったから、この島の話も二、三回、チャーリーが会話の端に口を滑らした程度のことしか聞いたことがない。
どんな場所なのか興味があったし、皆が起き出すぐらいまで時間を潰すのに最適の方法だと思えたからだ。
歩いても歩いてもさして変わりばえのしない景色。
次第に明るくなってゆく空を、小鳥が何羽か飛んでゆく。
トーザはてくてくと歩き続けた。
彼はもちろん知らないが、前夜にチャーリーとサイトがとったコースである。
トーザも知らず知らずのうちに、聖域の洞窟のある湖を目指していた。
半時間もかからずに、トーザは湖の岸辺に辿り着いた。
澄んだ水が朝の光を反射し、トーザの立っている数十センチ向こう側の地面を寄せては返す波が洗っている。
芝生のような草原は湖の三メートルほど手前で途切れ、そこから砂地になっている。
海の方へ歩いて来たのかと錯覚してしまいそうだ。
トーザはさらに湖に歩み寄り、足首が浸るくらいの深さまで湖の中に進んで行って、そこから湖底の洞窟の入り口を見ようと、かかとを浮かせ出来るだけ前方に身を乗り出して眺めやった。
湖面は不思議に反射による輝きを増し、その底にあるものを見せようとしない。
あまりの眩しさにくらくらするものを感じて、トーザは一歩後ろへ下がった。
途端、水面の光は薄れる。
彼の立っている場所が変わったというだけでは説明をつけられそうにない光量の変化。
「さすが、おかしな湖でござるなぁ…」
一人呟いて、トーザは陸地に戻るべく振り返ろうとした。
その瞬間に、上空からすごい勢いで急降下してきてトーザに襲いかかったものがいる。
「!」
トーザは咄嗟に両腕で目を庇った。
左の肩に焼けつくような痛みと激しい衝撃とを感じ、彼は波打ち際に倒れ込んだ。
出来たばかりの傷口に冷水がひどくしみる。
トーザは慌てて跳ね起き、視線を空に転じて自分を急襲したものの姿を捜す。
視界の端で何かが動いた。
そちらに焦点を合わせる。
一羽の大きな鳥−白鳥ぐらいも体の大きさのある鷲のような鳥が、空の高みで鋭く方向転換して、再びトーザの方に向かって来ようとしていた。
場違いに上品な感じのする淡い紫色の羽毛が、陽光の中で上等なビロードのようにきらめく。
まばたきするほどの間に、恐るべき速さでもって巨鳥はトーザの眼前にまで迫った。
軽く掠っただけで肩の肉を抉ってしまうほどの攻撃力を秘めた鉤爪。
それを二度も食らうようなトーザではない。
彼は冷静さを失わず、落ち着き払った動作でもって巨鳥の二度目の攻撃を紙一重のきわどさで回避した。
急に減速することが出来ず、そのままの勢いでかなりの高度まで駆け上って行った鳥が憎々しげにまたターンしてくる。
その間に、トーザは右腕だけで背中に背負ったカタナを抜いた。
いつもは腰に提げているのだが、この島にはモンスターもいないだろうと背中につけ変えていたのだ。
手のすぐそばに長い棒状の物があると、トーザは意味もなく緊張警戒してしまう性格だった。
それにしても、よくカタナを置いて来なかったものだ。
無意識のうちにこれを背中にくくりつけて出て来てしまった自分の習性に感謝しつつ───片刃の剣を横に構える───そして、一閃させる。
巨鳥はその軌跡に吸い寄せられるように下降して来た。
爽やかな朝にはあまりにも不釣り合いな断末魔の絶叫。
巨鳥の身体から一対の立派な羽根が離れ、宙に舞う。
翼と分断された鳥は水しぶきとともに浅瀬へ落ち、羽根もばらばらに落下した。
湖水が魔物の血で赤く濁り始める───が、それはわずかな間のことで、水はたちまち澄んだものに戻った。
少なからず驚いたトーザは、自分の周囲にも観察の目を向ける。
ついさっき自分が倒れ込んだ所も、他と同じくきれいなままだ。
泥で濁ってもいない…。
まるで、最初から何事もなかったかのように…。
「まったくもって、おかしな湖でござる…」
トーザはカタナを背中の鞘に戻した。
そして、回復魔法を用いて巨鳥にやられた傷口をふさいだ。
着物が血に染まり破れてしまったが、これは仕方がない。
洗濯して、自分でつくろうしかないだろう…。
考えながら、魔物の死体に近づき、屈み込んでよく見てみる。
…以前、かなり高い山の山頂へ至る岩場で戦ったことがあるように思える。
確か、名前はルフ…高地にしか棲まないのだと、トーザが護衛として雇われていた隊商のリーダーが説明していた記憶がある。
そんなモンスターが、何故ここへ…?
湖は相変わらず静かに、美しく、きらめいている。
しかし、トーザは来たときとはまるで違った気分で−妙な胸騒ぎを覚えながら、幾分速足になって、もと来た道を戻り始めた。
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