第3章−7
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 足音は危なげな様子もなく闇の中を走って行く。
 ヴァシル達が後を追っているのに気づいているのかいないのか、スピードを上げることも、逆に緩めることもなく、変わらないペースで相手は走っている。

 コランドを先頭に、ヴァシルが続き、その少し後ろにトーザという風に並んで走る。
 相手に追いついて捕まえるのではなく、相手が行き着く所までついて行けるぐらい、かすかな足音が聞こえる範囲内にいられる速度で。

 そうするうちに、だんだんと道が上り坂になって来た。
 緩い下り坂で平坦な底の部分まで下って来たのだから、地上に向かう逆の傾斜があるのは当然のことだった…が、上りの方は結構急だった。
 行きに通った下り坂の倍の傾きがある。
 すなわち、約六〇度。

 コランドはカンテラを片手に持ったまま、まったく変わらない速さで相手を追う。
 手掛かりになる突起がそこら中にある上り坂は、むしろ下りよりも彼にとっては進みやすいようだ。

 その後ろで、ヴァシルはトーザと順番を入れ替わった。
 次第に天井が近づいて来て、背の高いヴァシルは頭を下げなければならなくなった。
 よって、走るスピードが落ちる。
 後続のトーザの邪魔になるよりはと、後ろに下がったのだ。

 上り坂はコランドの頭が天井に接すくらい、もう少しでも上り坂が続いたらヴァシルがついて来れなくなるくらいまで上に行ってから、唐突に平らな岩場に戻った。

 足音が再び洞窟に響き、遠去かって行く。コランドはカンテラを床に置くと、両手を岩について身体を引き上げた。

 と、足音が消えた。

 コランドは平らな所に上がり切ってから、片膝をついた状態で闇の向こうを透かし見た。
 トーザとヴァシルも岩場に上がって来て、同じような格好で足音が消えた辺りを見つめる。

 相手はすぐそこで、三人から五メートルもいかない所で立ち止まっているのに違いない。
 気配が感じられる。
 相手も…こっちを見ている。

「トーザ、明かり!」

 ヴァシルが小さく言った。
 トーザはうなずいて、囁くような声で呪文を唱えた。

 照明魔法が効力を発揮する。
 それまで暗黒に閉ざされていた洞窟内が、一瞬にして真昼の明るさで塗り変えられる。
 突然辺りがそれまでと一転して明るくなったというのに、誰も眩しそうに目を腕で覆ったり顔をしかめたりはしなかった。
 魔法の明かりは目を刺激する性質のものではないのだ。

 高い天井、ごつごつとした岩の床や壁、だだっ広い空間。
 三人の真正面の壁には、高さ三メートル、幅二メートルの重々しげな、それでいて流麗な彫刻の施された観音開きの青銅の扉。
 そして、その扉を守るように立っている───子供の姿。

「あッ?!」

 その子供の姿を見るや、ヴァシルとトーザが驚きの声を上げた。
 こんな所に子供がいたということにびっくりしたという様子ではない。
 明らかに、その子供を知っている、という反応だ。

 コランドはカンテラの火を消してから−固形燃料がもったいないので−二人の方を見た。

「お知り合いでっか?」
「イブリース!」

 コランドの声に半ばかぶさるようなタイミングでヴァシルが言い、膝をついていた状態から立ち上がる。

 子供がむっとした表情でヴァシルを睨みつけた。
 男の子だ。
 まだ十歳にもなっていないように見えるうえに、かなり小柄だ。
 金髪に青い瞳、しかし賢そうだったり上品そうだったりという雰囲気はない。
 むしろ田舎のイタズラ坊主という印象を与える。

 彼の右手には杖が握られていた。
 ねじれて古びた木の杖…先端には赤い宝石がはめ込まれていて、その子の身長よりも一〇センチほど長い。

「オレはイブリースじゃない!」

 男の子がヴァシルに向かって怒鳴った。
 『イブリース』というのは『小鬼』というほどの意味で、やんちゃな子供をからかうときに使う呼称だ。
 人名というわけではない。

「あ、ああ、そうだったな…アイツの名前、なんだっけ?」

 トーザの方を見る。

「シーリー殿でござる」
「おお! 思い出した、シーリー・ロシナッティか! 久しぶりじゃねーか、元気だったか? 相変わらず小生意気な面構えだな、おい」
「うるさい! ここに何しに来た?!」

 シーリーはヴァシル達に杖の先を突きつけた。
 子供らしくもない真剣な表情で三人を見据えている。
 ただならぬものを感じて、久々に小さな友人に会えた喜びでにこにこしていたヴァシルとトーザも真面目な顔になった。

「どうしたんだ、シーリー?」

 ヴァシルが問う。
 シーリーは黙っている。
 と、トーザが口を開いた。

「さっきのトロールはお主が呼び出したものでござるな?」

「えッ?」

 コランドがトーザの方を向き、続いてシーリーを見た。
 シーリーは杖を自分の横に立てて持ち直す。

「そーだよ」

 むすッとした口調で肯定する。

「ええッ?」

 コランドが、今度はヴァシルの方を見た。
 説明を求める瞳で。
 それに気づいて、ヴァシルが話し始めた。

「シーリーは魔物召喚士(モンスターサマナー)なんだ。まァ、まだ半人前以下だから、今持ってるあの杖の力を借りなきゃモンスターを呼べないんだけどな」
「半人前以下とは何だ! オレは立派に一人前だぞ!」

 ヴァシルの言葉の端をとらえて、シーリーがかみつかんばかりの勢いで反論する。

「わかってるって、そんなにムキにならなくてもいいじゃねぇかよ」
「で、ヴァシルはん達とは以前に面識が?」
「拙者達というよりは、専らチャーリーの知り合いなんでござるが…」

「お前も知ってるだろ、世界中の魔法使いの最終的な夢が、世界一の大魔道士を倒すか何とかして自分がその称号を手に入れることだって…魔物召喚士も一応分類上では魔法使いってことになるからな、あっちこっちでチャーリーに挑戦してくるんだよ。一度シェリイン村に来たこともあったし…必然的に顔見知りになるってワケだ」

「チャーリーはんに挑戦? …あの、子供がでっか?」
「子供だからってバカにすんなよ、てめー!」
「いやいや、シーリー殿の使うモンスター召喚の魔法は今では非常に珍しいものでござるから、チャーリーも時々苦戦するんでござるよ」
「苦戦? チャーリーはんが?」

「アイツ、時々とんでもないモンスター呼び出しちまうんだよ。腕前が半人前以下だからな、自分の力をうまく使いこなせてねーんだよ」
「半人前以下ッて言うな!」
「で、暴走するモンスターをチャーリーやオレ達が退治しなきゃならん羽目になるんだ。そりゃあ迷惑だぞ、飛竜(ワイバーン)を一挙に五匹も召喚して全然コントロール出来ないんだから」

「…そういう召喚魔法、チャーリーはんも使えるんでっか?」
「う〜む…どうでござるかなァ…使い手はもうほとんど残ってないハズでござるし、チャーリーも研究したことがあると言っておっただけでござるし…」

 トーザは腕を組んで考え込む。

「よっぽど特殊な魔法なんですな」
「大雑把に分類すれば転送魔法の応用形になるそうでござるが…詳しい事は、拙者達には説明しても理解出来ないからと」

「ほう、そしたらあのお子は貴重なワケですな」
「ある意味貴重だな。捕まえて見世物小屋にでも売り飛ばすか?」

「何ゴチャゴチャ喋ってんだ! お前ら、ここに何しに来た?!」
 シーリーが怖い顔でヴァシル達を見ている。

「何しにって…お前はどうなんだよ」
「そっちから説明しろ」
「…このガキ、泣かすぞ…」
「まあまあまあ」

「ワイらはこの洞窟の奥にある宝石を取りに来たんですわ」

「宝石?!」
 シーリーの表情が強ばる。

「『闇』を払う力を持った宝石のうちの一つかも知れんのでござる」

「…『闇』?」
 シーリーの顔に、いきなり何を言い出すんだという色が入る。

「ガールディー・マクガイルの噂は知ってるな?」
「ああ。チャーリーのお師匠さんだろ? ドラッケンの仲間になって世界大戦を起こそうとしてるって聞いたぜ」
「…まあその通りだ。いいか、ガールディーは自分の意志でそれをやってるんじゃないかも知れないんだ」
「『闇』に、伝説にある『破壊者』に選ばれて、操られてしもとるのかもしれんのや」
「もしそうだったら、『闇』を払えばガールディーは正気に戻る。コランドの言うところによると、世界には三つ揃うと『闇』でさえ打ち破れるぐらいの力を発揮する宝石があって…」

「その中の一つがこの洞窟にあるッて言うのか?」
 シーリーの言葉に、三人は同時にうなずいた。

 ヴァシル達とシーリーとの間には依然として五メートルばかりの距離がある。
 どちらも歩み寄ろうとはしない。
 和やかな雰囲気で話しながらも、お互いに対する警戒心を消し切れないのだ。
 ヴァシル達はシーリーの召喚魔法に油断ならないものを感じていたし、シーリーは何やら訳有りでヴァシル達に気を許せないのだ。

「お前はどうしてここにいるんだ?」

 ヴァシルが再び尋ねる。

「オレか? オレはな…」

 杖の先を再び三人に向ける。
 「?」という顔でその動作を見つめるヴァシル達。

「お前らみたいなコソ泥野郎から宝石を守ってるんだよッ!」

 言うや否や、シーリーは杖の先で大気を横に斬り払うように長い杖を振るった。

「!?」

 シーリーの杖の動きに呼応するように、突如地面から人間離れした大きさのモノが湧き出るように出現して、三人に襲いかかった。

 ヴァシルは左に、コランドは右に飛び退く。
 が、トーザはその場に残り、カタナの柄に手をかけてすごい勢いで突っ込んで来るそれを迎えた(つい書き忘れていたが洞窟に入る前にトーザは背負っていたカタナを腰につけかえている)。
 巨大な影が目と鼻の先にまで接近したところで、カタナを素早く引き抜いて横に払う。
 世に言う居合抜きだ。

 巨大な影はカタナの軌跡に沿って真っ二つに分断され、まったく唐突に動きを止め、下半身は左側へ、上半身は右側へ、それぞれ倒れて転がった。
 常識で考えるなら斬られた後も慣性の法則に従ってトーザの方へなおも進み、彼に激突するハズだった身体のパーツだが、トーザの剣速のあまりのすさまじさに風圧で押し止められてしまったのだ。

 トーザはカタナを鞘にしまった。
 足元に転がったのは、かさかさに乾いて黄ばんだ包帯を全身に巻きつけたミイラ男だった。
 すっかり干からびてしまっているので、トロールのときのような出血はない。

「シーリー! 何しやがる!」

 ヴァシルが声を荒らげる。

「宝石はあきらめてさっさとここから出て行け!」

「訳を話すでござる!」

「うるさいッ!」

 シーリーは再び長い杖を振り回した。
 突如空中に出現する百羽前後のコウモリの群れ。
 大きな奴ではなかったが、ちょこまかとすばしっこく、おまけに吸血だ。
 そんなコウモリの群れがきぃきぃばさばさと派手に騒ぎ立てながら三人に襲いかかって来る。
 これにはさすがのヴァシル達も泡を食った。

「うわッ!」
「ひ、ひええッ!」

 ヴァシルとコランドは咄嗟に両腕で頭を抱え込んでしゃがみ込んだ。
 その腕に、背中に、コウモリが容赦なく鋭いキバを突き刺すため、群がって来る。
 トーザは再度カタナを抜いて居合でコウモリを斬り払おうと試みたが、一度三、四匹はたき落とした直後に六羽ほどのコウモリが新たに出現したのに気勢を殺がれた様子でカタナを仕舞い、他の二人と同じように頭を抱え込んだ。

 相手が悪過ぎる。
 こんなにひらひらと掴みどころのない相手では攻撃しにくいことこのうえないし、さっきトーザが試した通り何匹やっつけてもシーリーがいる限りコウモリはいくらでも出て来るのだ。

 防御に徹するしかない。
 それしか術はない…のだが、いつまでも頭を抱えてうずくまっていてもどうにもならない。
 この状況を打破せねば。

 ヴァシルがガバッと顔を上げて、左腕に食いついていたコウモリをむしりとって地面に叩きつけた。
 叩きつけられたコウモリは気絶して動かなくなる。

「シーリー! 何のつもりだ!」

 ヴァシルが叫ぶ。
 顔も身体も血まみれでスゴイことになっている。
 と言っても、ひどい傷を負っているワケではない。
 吸血コウモリは獲物の血を吸うときに、吸いやすいように血液が体外に出ても凝固しないようにしてしまう物質を傷口に塗りつける。
 ので、血小板による止血がまったくなされず、流れるままになってしまうのだ。
 物質の効果は五分もすれば消えてなくなるが、効力がなくなるより先に新しい傷口が出来てしまうのだから結局血は止まらない。

「おとなしく出てくってんならやめてやる!」

「事情を話せーッ!」

 ヤケになって大声を出すヴァシル。
 そのとき───。

「やめてッ!!」

 凛とした声が響き渡った。
 シーリーの背後にあった青銅の扉がいつの間にか開いていた。

 吸血コウモリの群れがパッと消え去る。
 ヴァシル達はその場に倒れ込んでしまった。
 吸血コウモリに食いつかれても痛くはない。
 コウモリが、獲物に気づかれずに血を吸えるように血小板の働きを殺す物質と一緒に、ある種の麻酔薬を牙から打ち込むからだ。
 普通、獲物は血を吸われていることには気づかない。
 ヴァシル達が倒れてしまったのは、貧血による目眩と、大量の麻酔薬を打ち込まれたことによる体の痺れが原因だった。

「し、死ぬかと思った…」

 コランドがぐったりとなって呟く。
 彼も血まみれである。
 見事に逃げ遅れてしまった…コランドらしくないことだ。

 ヴァシルとトーザは岩の上にへたばったまま、顔だけ上げてシーリーの方を見た。

 …扉の向こうから誰かが出て来る。

 誰だ…?

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