第2章−9
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チャーリーは湖のほとりに立っていた。
夜風が湖面を渡り、月光を湛えた水が揺れる。
満月の晩───月の光が強すぎて、星は特に輝きの強い二つ三つを残して消されてしまっている。
雲もない───穏やかな夜だった。
あれだけ口論したもののやはりヴァシルの言葉に従って眠っておこうと、昼間と同じ場所・同じ格好で目を閉じていたのだが、首と腰が痛くなる一方でちっとも眠くならない。
無理をして眠ることもないだろう…最後には結局そう考えて、家の中でゴソゴソすると他の仲間やグリフを起こしてしまうからと外に出て、ここまで散歩して来たのだ。
この湖の底に、聖域の洞窟の入り口がある。
ガールディーが洞窟の奥の奥、大聖域にいるかもしれないと考えていた自分がおかしくもあり、哀れでもあった。
あのとき、シチューの香りを嗅ぐまで、ガールディーの失踪という事実を心のどこかで否定しようとしていた自分。
そんなのは嘘だと、はねつけたがっていた自分。
チャーリーは情けなくなった。
私はやっぱりいつまでたってもガールディーを超えられないんだ。
口先だけならどんな風にでも言えるのに、ガールディーから完全に離れることができない。
ガールディーを完全に追い抜くことができない…。
風がまた吹き抜ける。
チャーリーの黒い髪とマントが揺れる。
湖面が青く白くきらめく。
大聖域にガールディーが行くワケないって、わかってたじゃないか。
ガールディーが、一人であそこに入るワケがないって…だって、あそこには…。
「寝ないと体に毒ですよ」
不意に、背後から声をかけられた。振り向くと、そこにはサイトがいる。
驚きはしなかった。
誰かが近づいて来る足音はずっと耳に入っていたから。
しかし、その誰かがサイトだったのは意外だった。
月光を浴びると、彼の銀の髪はより一層美しく見える。
チャーリーは善竜人間族もまた『闇』に例えられる種族なのだという説がそんなに突拍子のない考えでもないということを、こんな折に知る。
邪竜人間族が新月の夜の漆黒の闇だとしたら、善竜人間族は満月や満天の星の力で薄青く染まった闇だ。
夜の闇よりもずうっと優しくて、それでも昼の光にはなれない…善竜人間族の立場も似たようなものだ。
邪竜人間族制圧のため、世界のためにどれだけ力を尽くしても、所詮は『竜人間族』。
他の種族に本当に意味で愛されることはない、孤独な種族。
月明かりの下でサイトを見ると、チャーリーはとても寂しくなってしまう。
「そっちこそ。疲れてるんでしょ?」
「少しだけ。飛ぶのには慣れてますから」
サイトはチャーリーと並んで湖畔に立つ。
チャーリーはまた湖に向き直った。
「ガールディーさんのことですか」
「…んー…そうだとも言えるし、そうじゃないとも言える」
「大聖域には行ってみたんですか?」
「いないよ。ガールディー…先生は、一人じゃあそこに行かない」
「そうですか」
サイトはそれ以上追及しなかった。
チャーリーがガールディーのことを『先生』と呼び直したことについても、あえて触れなかった。
彼女の中で、世界最強の魔道士としての『ガールディー』と、育ての親としての『先生』が分かれ始めているようだった。
チャーリーはいきなり両腕を空に向かってバッと伸ばした。
手の平から青白い雷の柱が耳をつんざくような轟音を伴って夜空の高み目指して突き進んで行く。
…雷は空の頂点へと消え、チャーリーは力なく腕を下ろした。
サイトが大きく目を見開いて雷撃魔法の消えた夜空を仰ぎ見ている。
「…バリアが…?」
掠れる声で小さく言い、チャーリーを見る。
彼女がわずかにうなずいたのが、月光の下ヤケにはっきりわかった。
「こういうコトだよ。もう、考えても仕方がない」
「いつから…」
「わからない。でも…湖のほとりに立った瞬間に気づいたんだ」
二百年もの間、この島を覆い続けた魔法バリアが跡形もなく消えていた。
消すことが出来るのはただ一人、ガールディーのみ。
彼に何があったのかは分からない。
知る由もない。
しかし、何かとても大きなものを、チャーリーは失くしてしまった。
少なくとも彼女自身はそのように感じた。
「もう戻ろう。明日は昼まで寝てるってワケにはいかないんだから」
「…そうですね、もう休みましょう」
チャーリーとサイトは湖を後に、小屋の方へと歩き始めた。
第2章 了
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