第3章−8
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(8)

「もうやめてください、シーリーさん…」

 姿を見せたのは、シーリーと同い年ぐらいの女の子だった。
 銀色の、まっすぐに流れる髪を足首近くまで伸ばし、白いドレスのような服に身を包み、どこか悲しげな緑色の瞳をシーリーに向ける。
 大人びたかわいらしさを感じさせるコだった。

「ユリシア…」

 シーリーが困ったように後退る。
 ユリシアと呼ばれた女の子は、今にも泣き出しそうな顔でシーリーに詰め寄った。

「話は聞かせてもらいました。いいんです、シーリーさん、この方達は今までの悪者とは違うようです」

 ヴァシルとトーザが起き上がった。
 コランドはぐだぐだとまだ転がっている。

「おらっ、いつまでも寝てんじゃねー!」

 コランドの脇腹を軽く蹴飛ばすヴァシル。
 コランドは慌てて起き上がった。
 トーザは立ち上がって、自分の胸に手の平を当てて回復呪文を唱えている。
 傷を全部治してしまうのではなく、開きっ放しの傷口を一応ふさいだだけだ。

「シーリー、事情を話せよ! どーしてオレ達をこんな目に遭わせたんだ? そのコは誰なんだよ?」

「ヴァシル、とりあえず傷の手当をするでござる」
「お、おう」
 トーザはヴァシルにも回復魔法をかけてやる。
 その後で、コランドにも歩み寄って行って呪文を唱える。

「いや〜っ、とんでもない状態になっとりますな〜…」
 服の袖で顔を拭ったコランドが感心したような声をあげて自分の服を見下ろしている。
 黒い長袖シャツが重く濡れている。
 そこら中が破れている。

「すいません、皆さん…シーリーさんを責めないで下さいね。全部、私のためにやってくれたことなんです」

「アンタは一体…?」

「私はユリシア。これから訳をお話しします…どうぞ、中へ入って下さい」

 白いドレスの裾と銀色の長髪を翻して、ユリシアは扉の中に戻って行った。
 シーリーが少しだけためらった様子を見せてから、後に続く。
 三人もドアに駆け寄って、中に入った。


 コランドは、それまで何故だかしっかりと握りしめていたポータブルカンテラを畳んで、元のような金属の塊に戻し、腰の袋に直した。
 それから、青銅の扉の向こう側にあった部屋を観察する。

 壁も床も天井も、大理石の薄い板で覆われて整えられた、立方体の空間。
 四隅に、丸太を三本組み合わせた上に鉄の鍋みたいな入れ物が載せられた物が立っている。
 篝火を入れる燭台だろう。
 鍋の中には石炭か何か燃料が入っているのだろうが、ヴァシルの身長をもってしても覗き込めないぐらい、燭台は高かった。
 部屋の中央には、黒い御影石で組み上げられた祭壇があった。
 高さは二メートルほど。
 細い階段が石に彫り込まれていて、上って行けるようになっている。

 ヴァシル達が立っている部屋の入り口付近からでも、祭壇の上にあるものは見ることが出来た。
 祭壇のてっぺんはちょっとした舞台のようになっていて、その真ん中には黄金の台座が据えつけられてある。
 その台座の上が、柔らかい緑色の光に包まれている。
 あそこに問題の宝石が置いてあるのだろう。
 コランドは伸び上がって台座の上を覗こうとしたが、さすがにそこまでは見えない。

 ユリシアが階段の下まで進んで、そこでヴァシル達に向き直った。

「皆さんが探してらっしゃる宝石はあそこにあります。あれが『闇』を払う力を秘めているという話、確かに私も昔聞きました。皆さんのお役に立つのなら、どうぞお持ちください」

「そーでっか、えらいすんまへんな」

 いそいそと前に出ようとしたコランドの前に、シーリーの長い杖が斜めに差し出されて行く手をふさぐ。

「待てよ、ユリシア…あの宝石を渡しちまったら」
「いいんです、シーリーさん。この方達になら、お渡ししても大丈夫だと思うんです」

「でも…ユリシアはここにいたいんだろ?」
 シーリーの言葉に、ユリシアは戸惑ったように目を伏せた。

「だからァ、事情を話せってーの! ワケわかんねーだろーがよ!」

「ユリシア殿は人間ではござらんな?」

 トーザの言葉に、ユリシアは小さく頷いた。

「私、花の妖精です」

「花の妖精ィ?」
「この洞窟、花なんか一本もあらへんのに、花の妖精がなんでおるんです?」
「ちょい待て、妖精の存在について疑問を持て、お前」
 ヴァシルはコランドの方を振り向いて言う。
「妖精はとっくの昔に絶滅したって聞いたぜ、オレは」

「ええ、ほとんどはもう滅んでしまいました。でも、ほんのわずかですが生き残った妖精もいるのです。私のように」

 世界中の妖精が突然一斉に滅んでしまった原因は何だったのか、ヴァシルは思い出そうとした。
 ヴァシルが生まれた、二年後のことだ…世界各地で、妖精達が姿を消したのは…。
 その理由を昔、誰かに聞いたことがあるような気がしたのだが…記憶力があまりよくないヴァシルは当然のごとく思い出せない。
 仕方ないからトーザに聞こうと思ってそっちを見たとき、

「それで、ユリシア殿はどうしてこのような、およそ妖精が住むには相応しくない洞窟に隠れ住んでいるのでござるか? 生き残った妖精はエルフの隠れ里に移り住んだのでござろう?」

 トーザがユリシアに尋ね、ヴァシルは質問する機会を失った。

「ユリシアはあの宝石を守るためにここに残ったんだ」

 その問いにはシーリーが答えた。

「あの宝石は、世界中の大地の、物を生み出す力を司ってるんだ。花の妖精の一族は、ずっとずっと、長い間、あれを守って世界の自然のバランスを調整してきた。たとえ仲間がみんないなくなってしまっても、ユリシアには花の妖精の一族としてあれを守らなきゃならない義務があったんだよ」

 シーリーが三人を見上げて毅然と言い放つ。

「そう言や、妖精は『何か』を守るために存在して…たんでしたなぁ」

「そうです。妖精は、一族をかけて守らなければならない何かのもとへ生まれて来るのです。私達にはそれを守る、命より重い義務があるのです」

「大地の生産力を左右する宝石でござるか…」

 祭壇を見上げるトーザ。
 宝石は淡い緑色の光だけを投げかけている。
 まだどんな形をした石なのかはわからないが、きっと冬の寒さを破って春一番に咲き出した野の花のように美しいことだろう。

「…昔、この洞窟には妖精の集落がありました」

 ユリシアが不意に語り出した。

「花の妖精の集落が? こんなに暗い所にでっか?」

「こんなに暗い洞窟じゃありませんでした。…私達花の妖精は、力を合わせてヒカリゴケを生み出すことが出来たんです。『光』が私達に与えたもうた特別な技術で、この洞窟のあらゆる壁面を淡く光る柔らかな苔で覆い、世界中から集めてきたふっくらと肥えた土で床を包み、世界で一番美しい花畑をここに作ったんです。『滅びのとき』がくるまで…私達、花の妖精は平和に暮らしていました。あの宝石を守って…」

「妖精はどうして突然いなくなっちまったんだ?」

「…分かりません。私はそのとき、親友と一緒に竜の城へ遊びに行っていて留守だったんです」

 バルデシオン城のことだ。

「戻って来たら、誰もいなくなっていたんです。…私達二人だけではヒカリゴケを維持することが出来ず、洞窟から光は失われ、花は枯れ果てました。かつて楽園だった集落は見る間に廃れ、私達は腐ってしまった土をここから表まで運ばなければなりませんでした」

「その親友はどこに?」

「…分かりません。ある日、私は竜の城にいる友達に一人で会いに行き、親友はここに残りました。…帰ってみると、誰もいなくなっていた…」

 ユリシアの瞳に涙が浮かぶ。
 どうしようもない困惑と孤独の色。
 一人ぼっちになってしまったことが、今でも信じられない…。

「妖精ってのはそんなに弱い生き物なのか? そんなにバタバタ消えていっちまうような…」

「理由もなしに消えてゆくような種族なんて世界にはいないよ」

 シーリーが口を開いた。

「世界には、オレ達魔道士が魔法を使う時に必要な『魔力』があるんだ。特別な人間の心の中や、長い年月を生き抜いた動植物に宿ったり、特殊な宝石や道具の中に入ることもあるけど、大半の『魔力』は空気の中に漂ってる」

「妖精はその魔力のバランスに非常に敏感な種族なんです。世界には常に決められた量の魔力がなければならない…少しでも増減があると、私達は体の調子が悪くなったり力が暴走したりして影響を受けてしまう…今から十七年前、世界の魔力の均衡が破れたんです。何故かは…私には分かりません。私と親友とは、そのとき多分、竜の城の魔道士の近くにいたから…その魔力に守られて助かったのかも知れませんが…ここにいた仲間達は…生き残った妖精達はきっと、魔力があるもののそばにいたから無事でいられたんだと思います…」

「魔力の均衡が破られた? …そんなハナシ、聞いたことありまへんけどなぁ」

「妖精が次々と消滅してしまった程の変化です。その頃生きていた魔道士にならきっと分かったハズです」

「はあ…ワイもそう思いますわ。せやけど…いや、ワイの知り合いに魔法使いの爺さんがおりましてな、そいつがえらく若い頃の武勇伝を話すのが好きな奴で…そんな大事件があったんやったら、絶対一度や二度は話すハズなんでっけど…いっぺんも聞いたコトあらへんから」

「話さなかった…?」

「若い頃は世界屈指の魔道士やったって言うてましてんけどなァ…自称やのうて、ホンマにそうやったらしいんでっけど…」

「本当にそうなら気づいていたハズです。いえ…そんなに強力な魔道士でなくても、魔法が使える者になら誰にでも分かったハズ…」

「……?」

「どうして話さなかったんでしょう…」

「何か…魔道士達の間に取り決めでもあったのかもしれんでござるなぁ」

「…つまり、十七年前、世界の魔道士の中の誰かがバランスを崩してしまうほどのとんでもない魔法を使って…妖精達の滅びの責任を追及されると厄介だから事情を知ってる奴らに脅しをかけて口を封じたワケか?」

「…そうかもしれません。それが一番有り得ることでしょう…でも…もう、このお話は止しましょう。今さら何を言ったって時は戻らないし、原因も解明出来そうにありませんから…」

「そうだ、後でチャーリーに聞いといてやるよ。アイツなら、ガールディーから聞いたかどうかして何か知ってるかもしれない」

「そうですか、よろしくお願いします」

「…で、あの宝石、もらってもよろしいんでっか? …どうも触ったらあかんみたいな感じがするんでっけどなぁ…」

「感じがするんじゃなくて、ホントに触っちゃダメなんだよ。あれをあの台座から離したりしたら、世界中の農作物や植物がダメになるって言われてるんだから」

「…世界中の…そりゃマズイなぁ」

「だから帰れって言ったんだよ」
 シーリーがぼそっと付け足す。
 思わずそっちをきっと睨んでしまうヴァシル。
 ユリシアが慌てて、とりなすように口を開く。

「それはそうなんですけど…でも、宝石の力は半年ほどなら魔法の力で補うことが出来るんです。半年の間に、他の二つを見つけ出して、『闇』を払ってここに戻せば、世界が大変なことになったりはしません」

「半年…ま、そんだけありゃ他のも見つかるな」
 楽天的にうなずくヴァシル。

「しかしヴァシル、宝石の代わりが務まるような強力な魔法を使える人間などここにはおらんでござるよ。一旦地上に出て、チャーリーを呼んで来んことには宝石を手に入れられんでござる」
「おお、そーだったな。じゃあ、一回ここから出て…」

「えっ? …私、あなた方の中に魔法を使える方がいらっしゃると思ったから、提案したんですけど…」

「オレ達の中に? シーリーじゃあないんだろ?」

「はい。申し訳ないんですが、シーリーさんの力では到底宝石の代わりにはなりませんので」

 ユリシアは意外にきっぱりと言い放った。
 シーリーはちょっと憮然とした表情で関係ない所に視線を向けている。

「だったら…トーザか? そんな風には見えねーけどなァ」
「拙者の魔法なんてとても…シーリー殿の方が魔法の使い手としては優秀なはずでござる」
「そんなん言うたかて、ワイは大した呪文使えまへんし、ヴァシルはんはからっきしですやろ。トーザはんしかおりまへんて」

「私、その方からすごい魔力を感じるんです」
 言って、花の妖精が指さしたのは…なんとコランドだった。

「へッ? ワイでっか?」

 自分の顔に人差し指を向けて、確認するコランド。
 ユリシアは一瞬も迷うことなくうなずいた。
 ヴァシルとトーザとシーリーが示し合わせたようなタイミングでお互い顔を見合わせる。

 呆れ返ったような沈黙。
 コランドは鳩が鉄砲で豆を撃ち込まれたような顔でユリシアを見つめ、ユリシアはきょとんとした瞳でコランドを見つめ返している。

「…そりゃ、何かの間違いだろ」

 ヴァシルがやっとのことで口を開いた。

「コランド殿はシーフでござるよ?」

 トーザも疑わしげな視線をユリシアに向ける。

「でも、確かに」

「コイツのどこからそんな魔力を感じるってんだ?」
「ユリシア、疲れてんじゃないのか?」
 コランドに会って間もないシーリーにもこの盗賊の情けなさは伝わっているようだ。

「でも…ちょっとおかしいですけど…普通、魔力は胸の中央から感じるのに、その方の場合、そっちのベルトの所から…」

「ベルトぉ?」

 三人の視線がユリシアが改めて指を向けたコランドの腰に集中する。
 コランドはぎくッとなったように慌てて左側の二つの袋を両手で押さえた。

「何入ってんだ、そん中に」

 ヴァシルがずいッとコランドに詰め寄る。

「な、何って、ワイのぷらいべーとな小物でんがな」

 わざとらしい愛想笑いを浮かべるコランド。

「中、出して見せろ」
「プライバシーの侵害とちゃいますのん?」
「…骨折るぞ」

 コランドはあたふたと二つの袋をベルトから外してヴァシルに差し出した。
 一つだけ受け取って、開いて中を見る。

「おッ?!」

 金貨がぎっしり詰め込まれていた。

「コランド殿、これは…」

 横から袋を覗き込んだトーザが顔を上げてコランドを見る。

「いや、あのままにしとくのはもったいないでっしゃろ? 長旅にはゼニかて必要ですし、貨幣流通の活性化が市場経済の発展を促進して、ひいては世界のためになるんでっから」

「ガールディーの小屋にあったヤツか! いつの間に…」
「皆さんが寝とられる間に、ちょこっと」

 油断のならない奴。
 …などと言っている場合ではない、とにかく今は。

「ユリシア殿、このコインから魔力を感じるんでござるな?」
「そうです。すごい力が…そのコインに触れなくても伝わって来るほど」

「ガールディーが金貨に魔法の力を封じ込めておいたんだな」
 ヴァシルからコインを一枚受け取り、それを引っ繰り返したり透かして見たり子細に観察していたシーリーが言った。

「このコイン自体がガールディーのマジックアイテムになってるんだな?」

「うん、間違いない。このコイン一枚一枚に封じられたパワーをうまく解き放ってやれば、あの宝石に匹敵するだけの力を引き出せる」

「ユリシア殿、出来るでござるか?」

「私、自信が…でも、やってみます。『闇』を払えなければ、世界が危ないんですから」

「そうだ、あの巻物! チャーリーがくれた、魔法の威力を増幅させるっていう、あれを使ったらどうだ?」
「そんなものがあるんですか?」
 トーザは懐から古ぼけた巻物を取り出すと、ユリシアに歩み寄り、手渡した。
 ヴァシル達も祭壇の近くまで進み出る。
「これを広げながら呪文を唱えると、魔法の威力が一段階レベルアップするそうでござる」
「一段階…だったら、私にも出来るかもしれません」

「コランド、他にガールディーん所のコイン、持ってねーだろーな」
「もうありまへん! それで全部です」

 コランドがふてくされたような表情で言った。
 せっかく盗って来たのに、だからこそ二千五百ディナールをすぐに手放したのに…不平と不満がみちみちたカオ。
「持ってたら後で痛い目に遭わせるからな」
「信用せんお人ですなぁ…」
 信用されない原因が自分にあるのに気づいていない風にコランドが呟く。

「ユリシア殿、これをどうすればいいんでござるか?」
 コランドから受け取った袋をちょっと持ち上げるようにして、トーザが尋ねる。
「ええと、コインで祭壇のまわりに魔法陣を描くんですけど…」

 そこまで言って、ユリシアははッと息を呑んだ。
 緑色の目が大きく見開かれ、驚きと恐怖の色がさっと広がる。
 震える瞳が、自分の真正面…ヴァシル達の背後を、凝視する。

「?!」

 四人同時に振り返る。

「あッ…」

 コランドが短く声を発し、思わず後退った。

 扉を開け放した入り口の所に、大柄な男が立っていた。

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