第3章−3
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(3)

「今度は失敗すんなよ」
「あんまりしつこく言ってるとヴァシルだけ別のとこに飛ばすよ。…そうだ、コランド、ここに来る前に盗んで来たお金全部出して」
「あッ、二千五百ディナールですな。はいはい、ちゃんとお返しします」

 コランドは懐から小さな革袋を取り出すと、差し出されたチャーリーの手の上に載せた。
 一〇〇ディナール硬貨二十五枚。小さな革袋に余裕で収まってしまう量だ。

「ヤケにあっさり返したな」

 ヴァシルがコランドの方を見る。

「えッ? や、やけにって、何がですのん? ワイはいつでもいさぎええ男でっせ」

 コランドは聞くや否やバレる嘘とあからさまな愛想笑いでごまかした。
 チャーリーにはコランドが何故二千五百ディナールをあっさり手放したのか、コランドが何をしたのか、ちゃんと分かっていたので、その不自然な態度にこだわったりはしなかった。
 トーザもサイトも薄々感づいているはずだ。
 ただヴァシルだけがどうしようもなく完全に気づいていない。
 …まァ、それはそれでいいだろう。
 コランドのしたことが、いつか何かの役に立つかもしれない。
 今は追及しないでおこう。

「それじゃ、そこに並んで。新手のモンスターが来る前に…あっ、そうだ、あれ渡しとこう」

 チャーリーはヴァシル達に背を向けると急いで本棚に近寄り、一番下の段にしまってあった木箱を引っ張り出して、何やら古そうな紙切れが沢山詰まっている中から一本の巻物を取り出した。
 そして三人の前に戻って来る。

「それは?」
「魔法の威力を増幅させる巻物。これを広げてから呪文を唱えると、その呪文がワンランク上の効果を発揮するんだ。トーザ、回復魔法って言っても真ん中ぐらいまでのしか使えないでしょ? 誰かが大ケガしたら、トーザの呪文じゃ間に合わないかもしれないからね」

 チャーリーはトーザに古ぼけた巻物を手渡した。
 ガールディーが道楽で作った物なのだろう。
 ガールディー・マクガイルのスクロール…売れば一体、いくらになるか…コランドは不毛な見積もりを胸の中で始めた。

「チャーリー! どんなモンスターがオレ達にトーザの呪文じゃおっつかないような傷を負わせるっていうんだよ? ドラゴン退治に行くんじゃないんだぜ?」
「いいから、人の親切はつべこべ言わずに受けときなさい! 必ず役に立つときがくるから」
「世界最強の大魔法使いのカンッてやつか?」
「…やっぱりアンタだけまた海の上に飛ばしてやる」
「ま…まあまあまあ」
「それじゃあ、そろそろ…他に何か、することとかしておかなきゃならないことはあったかな…?」
「もうないと思いますよ」
「よし」

 チャーリーがうなずき、ヴァシル、トーザ、コランドの三人は改めて一列に横に並んで立った。
 別にバラバラに立っていても転送魔法は使えるのだが、気分の問題だ。

 人差し指を伸ばして、三人の方に向ける。口の中で短く呪文を唱える。
 すると、直径三メートルほどの円を描いて青白い光の線が床の上を走り、ヴァシル達を取り囲んだ。
 続いて、その線から小屋の天井に向かって薄く青白い光の壁が立ち上がった。
 三人は青い透明な円柱の中に閉じ込められた格好になる。

 ヴァシルは不安げに不信感だらけの目をチャーリーに向けている。
 コランドは物珍しそうに周囲を見回している。
 トーザは特に何の反応も見せずに黙って立っていた。

 チャーリーが再度小さく呪文を唱える。
 直後、青い柱がとても目を開けていられないような強烈な光を発し、チャーリーの横に立っていたサイトは咄嗟に両腕で顔を覆った。

 …強い光は二、三秒ほどで急激に薄れて消え、その後には何も残らなかった。

「…うまくいきましたか?」
「サイトまで信用してないワケ?」
 じとっと振り向くチャーリー。
「いえッ、そ、そーいうワケでは…」
 慌てふためいて弁解を始めようとしたサイトを、チャーリーは片手で制した。
「分かってるって、ちゃんと。そんなことより、私達も早くここから出ないと。バルデシオン城でサースルーン王が待ってらっしゃるんでしょ?」
「あ…そ、そうです」
「その前に…」

 チャーリーは部屋の隅の棚から空の布袋を四つばかり捜し出すと、金貨がぎっしりと詰まっている袋の前まで歩いて行って、屈み込んだ。
 何をするのかとサイトが覗き込みに来る。
 チャーリーはその鼻先へ袋を二つ突き出した。

「えッ…」

 訳が分からないままとりあえず受け取るサイト。

「サイトも手伝って」

 言いながら、チャーリーは袋の口を開いて中に手を突っ込んだ。

「何をですか?」
「ここにある金貨をその袋に詰めて持って行くの」
「でも、誰のものかはっきりしないお金に手をつけるというのは…」
「先生の家にあるんだから先生の物だよ。たった一人のかわいい弟子が師匠の金を使ってどこが悪い」

 どこもかしこも悪いような気がする。
 しかし、チャーリーはサイトがどうしたものかと思案に暮れている間も手を止めず、さっさと一つの布袋を金貨で一杯にして、口を細い紐で縛った。
 二つ目の袋に金貨を入れながら、

「いいから、サイトも金貨を袋に詰めて。絶対役に立つんだから」

 サイトの方は見ずに言う。

「は、はい」

 サイトはその言葉に従ってチャーリーの左横に膝をつくと、別の袋の口を開けて渡された袋に硬貨を入れ始めた。
 チャーリーは二つ目の袋の口を紐で縛って閉じると、サイトが床に置いておいた最後の袋を取ってまた同じ作業を開始した。
 サイトが三つ目の袋の口を紐で締め終わってチャーリーの方を見ると、彼女も四つ目の袋にコインを満たして紐を手に取ったところだった。

「役に立つって路銀になるってことですか?」
「そうしてもいいんだけどね…今は説明しているヒマがない。ほら、これ持って」

 サイトに四つ目の袋を放って渡す。

「とにかく持ってればいいからね」

 まだ何か言おうとしたサイトを遮るように言った。

「…はい」

「すぐに出るよ。…強行突破しかなさそうだ」

 チャーリーはちらっと戸口の方に視線を向けた。
 サイトも気づいてはいた。
 無数のモンスターがこの小屋を囲んでひしめき合いながら、獲物がこの小屋から出て来て、無防備な身体を自分達の前に晒す瞬間を待ち構えていることに。
 ただ、サイトはチャーリーほどにはモンスターを煩わしく感じないというだけのことだ。
 自分がドラゴンに姿を変えさえすれば、ほとんどのモンスターが抵抗しようともせずに逃げ散ってしまうことをよく心得ていたから、彼はチャーリーほどには小屋を包囲しているモンスターの気配にも神経質にはならなかった。

「グリフ、おいで」

 部屋の隅でそれまでずっと不安げにうずくまっていたグリフォンに声をかける。
 グリフはすぐにチャーリーの方に寄って来て、心細げに体をすりつけた。

「大丈夫、心配ないよ」

 チャーリーはグリフの頭を軽く撫でてやる。
 グリフォンはあまり好戦的な生物ではない。
 どちらかと言えば温和で臆病な生物だ。
 優れた飛翔能力と鋭い爪やクチバシをフルに活用すれば、相当な戦闘能力を発揮出来るはずだが、グリフォンは心底追い詰められたときででもなければ相手に向かって行かない。
 そういう生き物なのだ。

「飛び出しますか」

「うん。頼む」

 サイトはドアに向かった。
 チャーリーはグリフの顔に口を寄せて何事か言い聞かせた。


 サイトがドアを勢いよく開け放つ。
 戸が外れ飛んでしまいそうなぐらいに勢いよく。
 と同時に、表へ駆け出した。

 外には、びっくりするような数と種類のモンスターが待ち受けていた。
 サイトがそれまで見たことも聞いたこともないような魔物がほとんどだ。
 寒冷地でしか活動出来ないハズの奴も混ざっている。
 湿地にしか棲息しないような奴も。

 しかし、サイトは露ほども驚きを見せなかった。
 一瞬も動きを止めたりはしない。
 モンスターの群れの中に突っ込み、襲いかかって来た魔物達がサイトに触れるよりも早く、ドラゴンに変身した。

 竜人間族がドラゴンに姿を変えるときには、衝撃波が同心円状に周囲に飛ぶ。
 今しもサイトの身体を牙で刺し貫こうとしていた魔物達がひとたまりもなく弾き飛ばされた。

 少しばかり乱暴に作り出した空間に、純白のウロコで全身を固めた竜が出現した。
 竜人間族が変身時に発する衝撃波には、無防備になってしまう瞬間に敵を近寄らせないという役目だけではなく、周囲の障害物を取り除く意味もあるのだ。

 ホワイト・ドラゴンが咆哮する。
 大地が震えるほどの声で、魔物達を威嚇する。
 モンスターの輪がひと回り大きくなった。
 脅えて後退したのだ。

 そこへ、チャーリーを背に乗せたグリフが飛び出して来る。
 ドアを出てすぐの所で、ぱッと上空に舞い上がる。
 垂直に上昇したのだ。
 大半のモンスターはグリフには目もくれなかったが、中の何匹か、空を飛ぶことの出来るものがグリフを追って飛び上がって行った。

 しかし、それらのモンスターもグリフに攻撃することは出来なかった。
 背に乗ったチャーリーが放った火炎魔法にことごとく撃墜されてしまったからだ。
 一瞬にしてケシズミと化した魔物の死体が大地に群れるモンスター達の中に落ちる。

 ほとんど炭化してしまった仲間の姿を見た魔物達の間に、恐怖と動揺が走る。
 それは自分達の目の前にホワイト・ドラゴンがまったく思いがけなく突如出現したという驚愕とあいまって、モンスター達を逃亡へと駆り立てた。
 少しでもドラゴンから遠去かり、自分の身の安全を確保しようと、仲間を押しのけ踏みつけて我先に逃げ出す。
 魔物の群れはいともたやすくパニックに陥った。
 もとより何か正当な理由があってチャーリー達に襲いかかってきたわけではないから、一旦相手が自分達より遥かに強力だと分かるとたちまち崩れてしまう。
 全員がもし一致団結して対抗してくれば、これはちょっとばかり危ないかもしれないとサイトが考えていることなんて、夢でも思いつかない。

 ドラゴンに変身したものの、ガールディーの家−チャーリーのかつての住まいがすぐそばにある以上、うかつにブレスは使えない。
 まかり間違って小屋をぶっ壊してしまったら、あとでチャーリーにどんなことを言われるか分からず、サイトはそれを恐れているのだ。
 一体いくら弁償しろと言われるか分からない。
 …それだけではなく、万が一モンスター達が逃げるのではなく襲いかかってきたら、あまり派手に立ち回るワケにはいかないから人間に戻らなくてはならなくなっていただろう。
 サイトはあくまで、ただ威嚇するためだけに竜に変身したのである。
 幸運なことに、彼の思惑通りに、魔物達は大混乱をきたして次々に逃げ去って行く。

 これで奴らが追跡してくる心配もないだろう。
 サイトは翼を振るった。
 風が広がる。
 白い竜が舞い上がる。

 チャーリーを乗せたグリフはすでにかなり先の方へ行っていたが、サイトは二度の羽ばたきで追いついた。

「何かついて来てる?」

 チャーリーが声をかける。

 サイトは首を振った。
 ドラゴンになると人間の言葉が話せなくなる。
 発声器官がまるで違うものになってしまうからだ。
 聞きとりは、人間の姿であったときと同じように出来る。

「よし、バルデシオン城に急ごう」

 サイトがうなずく。

 チャーリーはグリフの背中の上で、懐に手を入れてコランドから没収した革袋を取り出した。
 袋に染みついている残留思念の糸を手繰る。
 耳元で鳴る風の音が少しうるさくてうまく集中出来ない。
 神経質に眉を寄せる。
 風の音が少し遠くなる。
 …思念の糸がつながった。
 目を閉じる。
 手の上から袋がすっと消える。
 持ち主の所へ戻ったのだ。
 娘の結婚式を明日に控え、なのに親戚中駆け回って集めた式の費用をいつの間にか盗まれてしまって、このうえは首でも吊ろうかと一人で思い詰めてどうしようもなくなっている父親のその目の前へ。

 これでよし。
 チャーリーは目を開けた。
 眼下の風景は海ばかりになっている。
 南東へ、急ぐ。

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