第3章−5
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(5)

 先制攻撃は当然のようにヴァシルだった。

 一番手前にいた奴の肩に飛び蹴りを食らわす。
 ダメージを与えるつもりで放った一撃ではない。
 単なる挑発である。

 トロールというのは、よく宝物の番をしているくせに頭が悪くて鈍い化け物だから、時々侵入者を侵入者と認識しないことがある。
 背中を向けていたり眠っていたりしていたのなら、素知らぬ顔で通り過ぎてしまうことも考えただろうが、完全に目が合ってしまった後でそうするのはさすがに無理がある。
 だったら、相手をやる気にさせた方がいいというものだ。
 …どこかに論理の飛躍があるような気がしないでもない。

 くるくるっ、と宙返りをした後着地する。
 地面に足がつく間も惜しいというように再び大地を踏み切り、やる気になって丸太ほどもありそうな太い腕を振り上げたトロールの目の前に飛び上がる。

 ぶんっ。

 トロールの拳が大気の唸りと共にヴァシルの身体を捕らえた…はずだった。少なくともそうならなければならない状況だった。
 しかし、トロールのパンチは空を切った。
 バランスを崩すトロール。
 ガラ空きになった後頭部に、大上段に振り上げた足から繰り出されたヒール・キックが炸裂した。

 ヴァシルの身体はトロールの予想よりもずっと高い所にあったのだ。
 目の前ではなく、頭の上までヴァシルは飛び上がっていた。
 ならば何故、トロールはヴァシルの姿を目の前に見たのか。
 錯覚でも残像でも、ない。
 ヴァシルは確かにそこまで飛んだのだ、最初。
 そして、そこからもう一段階ジャンプした。
 それだけのことだ。

 水の上を歩くことは可能だ、という理論がある。
 一方の足を水の上に踏み出す…その足が沈む前にもう一方を踏み出し、そっちが沈む前にさらにもう一方を踏み出す。
 これを繰り返せば、人間は水中に没することなく水上を進めるハズだ。
 …ヴァシルはこういう理論を実践してしまう人間なのだ。
 足場のない空中でさらに跳躍することなど、そんなヴァシルにとっては造作もないこと。

 …ともかく。
 トロールの無防備な後ろ頭に強烈なかかと落としを食らわせたヴァシルは−これは一流の格闘家である彼だから出来た芸当であって、普通の人間がこんなことをすると足の方が砕けてしまう−後は倒れるばかりとなったトロールの頭をさらに、げしっと踏んづけて、跳ぶ。
 右隣でぼけっと成り行きを見守っていた別のトロールの方へ向かって。

 そいつがはっとヴァシルに焦点を合わせる。
 咄嗟に腕を振り上げようとする。
 …が、ヴァシルは何もせずそのまま身体を自然の法則に従わせて降下して行った。

 思わずそれを見送ってしまうトロールその2。
 やはり頭がニブい。
 次の瞬間には、そんなことをしていたその2の首と胴とは、一本の細い線で分けられたようになって離れてしまう。
 何のことはない、トロールの背後に回り込んだトーザが後ろの岩壁を利用してその2のうなじの高さまで到達し、飛びかかりざまにカタナを一閃させてトロールの首をはね飛ばしただけのことだ。
 トロールと同じくらい腕力がありながら、トロールほどバカではないヴァシルは、相棒の行動に気づいてトロールの注意を故意に引きつけたのだ。
 そんな必要はなかったと言えばなかったのだが…。

 トロールその2の首が床に転がり、身体の方は切り口から盛大に血飛沫をほとばしらせながら地面に倒れた。
 傍らにはヴァシルの一撃で気を失ったか絶命したかしたトロールその1が倒れていて、その身体を浸すようにその2の血だまりが広がっていく。

 ヴァシルは着地していた。
 トーザもまた。

 そして、最後に残されたトロールその3は、怒っていた。
 とても怒っていた。
 ただ、その怒りが二人の仲間を突然の闖入者に殺されてしまったことに対する友愛精神からきたものなのか、それとも自分だけが最後まで放って置かれたことに対する目立ちたがり精神から来るものなのかは判然としなかったが。
 トロールならぬ身にトロールの心理は分からないということである。

 とにかく、その3はひどく頭に来ている様子で、激情にまかせてヴァシルの方へ突っ込んで来た。
 大きさ五〇センチはあろうかという足の裏を、踏み潰してくれるわとばかりに振り上げて、渾身の力を込めて振り下ろす。
 しかし、トロールの足はヴァシルの頭を砕くことは出来なかった。
 ヴァシルが左腕一本で頭上に迫ったトロールの足を受け止めてしまっていたからだ。
 ちなみに、ヴァシルの利き腕は右であり、トロールの体重は三〇〇キロ近くある。

 トロールはめげずに踏み込んだ。
 こんな小さな生き物が、自分のウエイトに耐えられるワケがないと思っているのだ。
 ぐっと体重をかける。
 ヴァシルは微動だにしない。
 ぐぐっと体重をかける。
 まだ涼しい表情をしている。
 ぐぐぐっ…とうとう、トロールはヴァシルの左手の平の上で片足で立っている状態になってしまった。
 てのりとろーる。
 ヴァシルは重さを感じているような素振りさえ見せない。
 余裕だらけの表情…。

 不意に、ヴァシルが左肘を曲げて体に引きつけた。
 それから、勢い良く真上にその3の巨体を放り上げる。
 トロールは、まず遥か上にある天井に頭を激突させ、目から火花が飛び出るとはどのようなことなのかを経験した。
 そして、その経験について自分なりの意見をまとめる間もなく彼の身体は落下する。

 無防備な腹部を下に向けて−トロールとはつくづく、ガードの薄いモンスターなのだ。
 典型的な猪突猛進型、モットーは『攻撃は最大の防御なり』。
 だから、防具で自分の身体を保護するなんてそもそも考えもつかない。いや、考えもつけない。
 知能がそこまで発達していないのだ。
 身につけている物と言えば、一体どんな動物を殺せばこんなのがとれるのか見当もつかないというようなバカでかい毛皮だけ。
 知恵のついた奴がまれに丸太を削って作った棍棒を持っていたりするが、あくまでまれ。
 ともかくそんな風に、トロールは無防備だった。
 そして、無防備なその腹部に、ヴァシルの情け容赦のないボディブローが叩き込まれる!

 その3は呻き、何か吐いたようだった。
 巨体はヴァシルの拳の上でぐらりと揺れ、仲間達と同じように床に転がった。
 自由落下で速度のついたところへ、ヴァシルが全身のバネをフル活用して放った拳が炸裂したのだから、生きてはいまい−案の定、その3はそれっきりピクリとも動かなかった。
 内臓が破裂したのだろう、きっと。
 内臓破裂によるショック死。
 モンスターの死因をこじつける必要はないが───。

 その1の顔の所に屈み込んで生死を確認していたトーザが、立ち上がってカタナを鞘にしまった。
 生きているのか死んでいたのか−どちらにしろ、もう自分達に危害を加えることが出来ないのは確実だった。

「おーい、こっちへ来い、コランド! 終わったぞ!」

 ヴァシルがカンテラの明かりに呼びかける。
 ヴァシルが飛び出してからここまでで、三分足らず。
 まあまあの戦果と言えるだろう。

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