第3章−2
(2)
トーザが小屋の近くまで戻って来ると、コランドが不必要なまでに元気良く体操まがいのことをやっているのが見えた。
伸びをしたり、しゃがんでみたり、無意味に体を動かしていたが、トーザに気づいて運動をやめる。
「おはようさんです、一体どこまで…!
どないしはったんでっか、それ!」
血に染まった肩口に目を留め、仰天して走り寄って来る。
「大したことござらんよ、傷そのものはもう呪文で治したでござる」
「はあ、それやったらええんでっけど…」
「チャーリー達はもう起きてるでござるか?」
「え〜と…チャーリーはんだけまだ…」
「しょーがないでござるなぁ…」
トーザはにこにこ笑いながら戸を開けて小屋の中に入った。
困惑した顔のまま、コランドが続く。
部屋の隅で昨夜の残りの果物を食べていたグリフが、ゆるく尻尾を振って「くえ〜」と気の抜ける声で朝のアイサツをした。
「グリフは主人と違って早起きでござるな」
「チャーリーはんに聞こえたらどやされまっせ〜?」
トーザが曖昧に笑ってコランドを振り向いたとき、寝室のドアが開いてサイトが出て来た。
「あ、トーザさん」
「おはようでござる」
「おはようございます…? その傷は…?」
「心配には及ばんでござる。他の二人は?」
「チャーリーさんはまだお休み中です」
サイトはドアをそっと閉めた。
昨夜湖のほとりから帰って来てから、寝場所を交代することにしたので、サイトが寝ていたベッドで今はチャーリーが眠っている。
もう一つのベッドはヴァシルが使っていたハズだ。
「ヴァシルさんは、先程まで寝室の中をうろうろ歩き回ってましたけど、何か思いつかれたように窓から出て行きましたよ」
「窓から…」
トーザは苦笑した。
ヴァシルには確かにそういうところがある。
「サイトはんは何しに行ってはったんでっか?」
コランドが問うと、サイトは心持ちうつむいて、
「何って…別に。寝室の中でおかしな足音がしたから、様子を見に行ったんですよ」
「様子をねぇ」
コランドはちょっとの間だけ、サイトをじーっと見つめた。
何故かますますうつむき加減になるサイト。
「まッ、ええですけどな」
唐突にコランドはサイトから視線を外し、そのまま背を向けてまた表へ出て行ってしまった。
「…?」
小さく首を傾げ、コランドの出て行った木戸と下を向いて突っ立っているサイトを見比べるトーザ。
それから、改めてグリフの方に目をやった。
「グリフ、そろそろチャーリーを起こしてきてほしいんでござるが…」
グリフは機嫌よく一度首を大きく縦に振って寝室のドアに近づき、気を取り直したサイトが開けてやった戸の中へ慣れた様子で入って行った。
と同時に、出入り口の扉が無造作にバタンと開かれ、息を切らしたヴァシルが入って来た。
戸口に立ったまま、左手で持っていた物を手荒にテーブルの上に放り投げる。
テーブルの上にかろうじておさまるぐらいの大きな鳥。
トーザとサイトが目を見張る。
ルフによく似ていたが、色が違っていた。薄雲がかかった空のような青色だ。
「ダイブイーグルですね…」
サイトが呟いてヴァシルを見る。
ヴァシルはうなずき、テーブルのそばの椅子に腰を下ろした。
「まったく、物騒な島だぜ…んっ、なんだお前、ケガしてんのか?」
「もう治したでござるよ。ヴァシルは無傷のようでござるな?」
「あったりめーよ。このオレがたかがトリごときにおくれをとるかってんだ」
「で、どうして持って帰って来たんでござるか?」
「そりゃ、朝メシにしようと思って…」
…朝からこんなでっかい鳥を…?
顔を見合わせるトーザとサイト。
「…じゃなくってッ、こんなモンスターがこの島に出るもんなのかどうかチャーリーに聞いとかなきゃなー、と思ってだよ!
もし出るってわかってんだったら、オレ達に何も言わなかったコトに文句言っとくべきだろッ?」
二人の反応に、ヴァシルはいささか慌てて言葉を重ねた。
「それもそうでござるなァ、拙者も先程危うい目に遭ったところでござるし…」
「だろッ? な、やっぱりここは一発言ってやらないと」
トーザの言葉に力を得たように、一人うんうんとうなずくヴァシル。
が、彼が食用としてこの巨鳥を持って来たのはほぼ疑いない。
寝室の中でうろうろしていたのは、窓からこのモンスターが空にいるのをたまたま見つけて、あれを朝食にするべきかどうか迷っていたのだろう。
たくましい性格である。
そんなことをしているうちに、寝室のドアが開いて、チャーリーとグリフが出て来た。
「おはよう…」
冴えない顔つきで口を開く。
「おはようございます」
「昨夜は眠れなかったようでござるな」
「寝てないんだよぉ、目を閉じてただけだから…」
「そのわりには寝起きの顔してるじゃねーか」
無言でヴァシルをじとっとにらみつけるチャーリー。
必然的にテーブルの上の物に気づいて、目を丸くする。
「何それ? 朝ご飯?」
「んなワケねーだろ」
すました顔で否定するヴァシル。
「チャーリー、この島にはこういう魔物が出現するんでござるか?」
「えッ? …どーしたの、そのケガ」
トーザは湖のほとりでルフに襲われた話を手短にした。
続けて、ヴァシルがダイブイーグルを仕留めた一部始終を語って聞かせる。
チャーリーは呆然とした表情で黙ったまま二人の話に耳を傾けていた。
ヴァシルの話が終わるのを待って、訳が分からないといった顔で左右に首を振る。
「この島にモンスターなんて…私は一度も見たことないよ」
「そうは言うけど、それじゃこれは何なんだよ?」
ヴァシルがテーブルの上のダイブイーグルを示す。
「…先生の張ったマジック・バリアが消えたからかもしれない…でも、どうして高地性のモンスターがこんな所へ…?」
チャーリーはうつむいて少しの間考え込む。
しかし、答えがそんなにすぐ見つかるわけもない。
ほどなく顔を上げて、三人の顔を見渡す。
「何故かはわからないけど、ここに色んな種類のモンスターが集まって来ようとしてるのかもしれない…一刻も早くここを離れた方がいいと思う」
「拙者も同感でござる」
「そうしましょう」
うなずくトーザとサイト。
「朝メシだけはちゃんと食って行くからな」
主張するヴァシル。
「どーぞ御自由に…」
呆れたチャーリーが軽く肩をすくめる。
ほとんど同時に、また入り口のドアが荒っぽく開いた。
一同注視の中、大慌てで飛び込んで来たコランドが、背中で押さえるようにして戸を閉める。
「どうした?」
「いやぁ、昨日ここに来たときはあんなんおらへんと思ったんでっけど…」
無意味に愛想よく言うコランド。
ヴァシルが立ち上がる。
「外に何かいるのか?」
「さあ、おるかどうか…結構急いで逃げて来ましたからなァ」
余裕ありげに見せかけようとしている彼の額には、隠しようのない冷や汗が流れている。
「何がいるの?」
チャーリーが問う。
「…多分、ウロボロスやと思うんでっけど…」
コランドは人頭蛇身の魔物の名を口にした。
「ウロボロス!?」
反復するチャーリー。
コランドはこくんと首を縦に振った。
「んなモン、ここにいるワケ…」
彼女の言葉を遮るように、コランドが押さえている木戸に外側からモノすごい勢いで何かがぶち当たった。
すさまじい音とともに、その一撃だけでドアが外れてしまいそうになる。
コランドが何とか踏ん張って戸を押さえながら、情けない表情でチャーリー達を見た。
「ちゃんとおりますやんか…」
「…らしいね」
「どうするでござるか?」
トーザが真面目な顔でチャーリーを振り向く。
「どうするも何も、ボーッとしてたらドアが壊されちゃう…何とかするしかないでしょう」
あまり切羽詰まっていない理由だが、チャーリーにとっては重大なことのようだ。
それでも、いかにも面倒そうにため息をついて、コランドの前まで進み出る。
「だ、大丈夫でっか…?」
今表にいるのだろうウロボロスとは、なかなか珍しくて強力な魔物だ。
腹が空いたら人間を襲ってひと呑みにしてしまう凶暴性も持ち合わせている。
…ただのヘビの化け物ならいざ知らず、頭部は人間のものであるモンスターがどうやって人を呑み込むのか、大いに興味のあるところだったが…とにかく、すぐそこにいる奴はなかなか空腹で気が立っているらしい。
早めに何とかしないと、ドアだけでなく小屋ごと潰されてしまいそうだ。
チャーリーはコランドの前に立った。
ドアの外の気配に精神を集中させる。
彼女は世界一の大魔道士ではあったが、超能力者というわけではないので、木戸の向こう側を透視するというような器用なマネは出来ない。
せいぜい気配を普通の人の倍くらいの鋭さで感知し、相手と自分とがどのくらい離れているかを知ることが出来るくらいだ。
そういうことならばチャーリーよりもヴァシルやトーザの方がずっと得意である。
しかし、魔法を使う本人が距離感を掴めなくては話にならない。
魔道士にとっても、格闘家や剣士にとってそうであるのと同じように、敵との間合いが非常に重要になってくる局面があるのだ。
魔法使いはどんな場所からでも自分の好きな魔法を使って攻撃出来るように思われているが、本当はそうではない。
どんな魔法にでも有効範囲というものはあって、そこから相手が少しでも外れていたらまるで意味をなさない。
自分の周囲に分散した複数の相手を一網打尽にするためには、出来るだけ多くの敵が魔法の有効範囲に入るまで、ぎりぎりまで相手を引きつけなければならない。
そんなときに、相手の姿が見えなくても距離が分かるという能力が威力を発揮するのだ。
四方八方を見回して包囲の狭まり具合を確認していると必ずスキが生じる。
正面の一八〇度を視覚で、背後の一八〇度を感覚で捉えられれば、そんな心配もなくなる。
…ウロボロスは後退りしていた。
逃げて行こうとしているのではない。
助走をつけてドアを吹っ飛ばそうとしているのだ。
人頭蛇身の魔物は飢えているらしい。
食物を欲しているのだ。
「コランド、横にどいて」
「え」
「早く! アンタもドアと同じように吹っ飛ばされたいの?」
コランドが慌てて飛び退いた。
チャーリーはドアについた取っ手に手をかけた。
ノブなんて洒落た言葉は似合いそうにない粗末な木の取っ手だ。
…取っ手に触れた手から、外にいるウロボロスの気配がよりはっきりと伝わってくる。
ドアの、表に面している方が見ている映像を、手で読み取る。
…ウロボロスが動きを止めた。
次の一瞬に突進してくるだろう。
ヘビの動きは信じ難いほど素早い。
しなやかで細い身体を優雅にさえ見える動作でくねらせながら、瞬きするほどの間に一気に距離を詰めてくる。
足もないのに…いや、足がないからこそ、速いのかもしれない。
チャーリーがすッと息を止める。
それより十分の一秒ほど早いか遅いかのタイミングで、ウロボロスが小屋に向かって地面を滑り出した。
チャーリーは間髪入れずにドアを開ける。
同時に襲いかかってくる黒い影───コランドとサイトがあッと声を上げ、ヴァシルとトーザは黙ったままで見つめている。
ウロボロスの身体が、チャーリーの身体に接触した。
ほんの一瞬−すべては、瞬きするにも短すぎるぐらいの時間内に起こった。
チャーリーの身体に触れた部分を起点にして、波紋が広がるように、静かに、ウロボロスが白く染まった。
全身が真っ白に…そして、やはりチャーリーに触れた部分から細かい亀裂が体中を走り…粉々に砕け散った。
ガラス細工のように…砂の塊のように。
かつてウロボロスだった粉末がチャーリーの足元に降り注ぎ、ちょっとした小山を形成し、しかしそれもまたすぐに初めから存在していなかったかのように消滅した。
つまり、ウロボロスは、完璧に文字通り、跡形もなく消え去った…ただ、チャーリーに触れただけで。
チャーリーは大きく息をつくと、ドアを閉めた。
皆の方を振り返る。
「さっさとこの島から離れよう。近いうちにここはモンスターの溜まり場になるだろうから」
皆、黙ったまま首を縦に振る。
その後で、コランドが控え目に口を開く。
「チャーリーはん、今のは一体どないなってまんのや?
あのモンスターがあッと言う間に消え去ってもて…」
「どうなってると言われても…魔法学も呪文学も、魔力や精神力についての系統立った勉強もやってない人間に説明するのは難しいな…簡単に言えば、私の持っている魔力を極限まで凝縮させて、ウロボロスと接触した部分から一気に送り込んだ。魔法力に対する耐性の少ないウロボロスの身体は、急激な衝撃に耐え切れずに崩壊した…」
「はあ…それを、呪文もナシでやるワケですか」
「呪文なんていらないんだよ、さっきのは別に魔法じゃないから」
「…はあ…」
全然分かっていない様子のコランド。
無理もない。
説明しているチャーリーだってあまりよく分かっていないのだから。
「まぁ、そんなのどうでもいいじゃねぇか。とりあえず朝メシを食って、早く海辺の洞窟へ行かねぇといけないんだろ?」
「そうだった…で、朝メシッて、あの鳥も食べるの?」
「ダイブイーグルッて食えるよな?」
「…フェデリニにはそういう料理の店があるいう話は聞いたコトありますけど」
「まっ、毒のある鳥なんて滅多にいないだろ。焼いて食おうぜ。まず羽根むしって血を抜かなきゃな」
「ヴァシルが自分でやってよ…」
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