(8)
『敵』がいなくなったその広いホールで、アシェス・リチカートはラルファグ・レキサスに彼が持つ赤い鞘の両手剣についての説明を求めた。
ラルファグが話す間ずっと、一回一回に一定の間隔をおいてジェン・ユースがアシェスに治癒の魔法をかけ続けている。
「『なり損ないの竜のバケモノ』とは、どういう意味だ」
癒しの魔法に専念するジェンに礼を言うでもなく気を遣うでもなく、彼女のしたいように治療させているその態度が非常によく似合うアシェスが静かに質問を開始する。
「詳しいコトはオレにもよくわからんが」
他愛もない世間話を始めるときのような口調でそう前置きしてから、ラルファグは言った。
「『竜のバケモノ』。人間の身体にドラゴンの能力を宿した存在を創り出そうとしている奴がいるそうだ」
「誰からそれを聞いたんだ?」
そのまま話を終えてしまいそうなさらりとした言い方にカディス・カーディナルが慌てて問いを重ねる。
「うーん…、…誰だったかなァ…」
狼人間族の青年は腕組みして悩み始めた。
カディスとジルが無言で顔を見合わせる。
せっかく場面転換してこれからちょっと長くて込み入った説明の時間が訪れるのかと思ったのに、説明する人間がこれじゃあねえ、といった視線を隠すこともせず交わし合う。
「確か結構な有名人だったんだけどな…人間族の…多分、魔道士…。───駄目だな、今ちょっと出て来ねえわ」
「いずれちゃんと思い出してね」
「真面目に努力しておこう」
ジルは半ば以上皮肉のつもりで言ったのだろうがラルファグはこのうえもない真顔でうなずきを返す。
「ヒトの肉体で竜の力を発揮するなど…」
不可能だ、と続ける言葉をアシェスは飲み込む。
常識外れたあの腕力。
レフィデッドに吊るし上げられたあのとき自分の戦斧を受け止めたのは竜の感触だった。
法衣の下の身体は一面ウロコに覆われてでもいたのだろうか。
不気味な想像に気が滅入る。
それに、あの魔法…火炎魔法であったとは思えないほどドラゴンが使う炎のブレスによく似た強力な炎…たったあれだけの接触でも思い当たることがいくつもある。
しかし、それをどのように受け止めれば良いのかわからなかったので、カディス達に詳細を話して聞かせたりはしなかった。
「その通り無茶なハナシだからさ、オレは全然信じてなかったんだよ。なのにオレにこの話をした…誰だったかまだ思い出せねえんだけどなあ、そいつが、何でだかオレに、この剣を渡して」
愛用の剣の柄を片手で叩く。
「そのバケモノが出たときにはこれでそいつらを倒してくれって。この剣にはその力があるから、って言われてよ」
話しながら、自分で自分の台詞に戸惑ったように首を小さく振る。
「だから何でオレなのかってのは結局最後まで教えてくれなかったんだけどな。ま、モノはそれなりにいい剣だったしとりあえず貰っとくコトにしたんだ。けどまさかそんなのがホントのホントにいるなんてなァ」
「その剣を手に入れたのはいつだ?」
焦茶色の瞳でまっすぐに相手を見上げたまま、アシェスが淡々と問う。
「それは、確か…、…えぇと…」
すぐに答えようとしたラルファグの表情がたちどころに曇る。
語尾を曖昧に濁して黙り込んだ。
「正確な日時でなくとも構わないぞ」
アシェスが促しても、狼人間族の剣士は困惑したカオで首を傾げるばかり。
「では、その剣を受け取った場所はどこだ?」
「さすがにそのぐらいは覚えて…」
続く問いには意気込んで答えようとしたラルファグだったが。
「…って、───あれ?」
「覚えていないだろうな」
さも当たり前の事態であるかのようなアシェスの言葉に、ラルファグは焦ったように台詞を続ける。
「ちょっと待てよ、いくら何でも場所ぐらいなら…」
「無駄だ。思い出そうとしても思い出せはしないだろう。魔法で記憶をいじられているようだからな」
さらりと告げた事実に剣士は露骨に身を引いた。
「げッ。…何でオレにそんなコトすんだよ?」
「詳細な事情が把握出来ない以上は推測でしかないが、おそらく貴様にその剣を託した人物は自らの存在が他者に知られると不都合な立場にある者なのだろう。個人の記憶に残りたくはないが、貴様と接触してその剣を渡す必要はあった。…記憶を全て書き換えてしまわずに自分に関連するところだけをぼかしたのだから良心的な魔道士だと言えるかもしれん」
「そりゃ全部書き換えられちまうよりはマシだろうけど…でもよ、やっぱ気分は悪りィよ」
アシェスの意見を聞かされてラルファグはうへえとうなだれた。
「お前がチャーリー・ファイン達と接触したのは、もしかして『竜のバケモノ』を探すためだったのか?」
カディスがそう尋ねるのには、ラルファグは心底覚えがないといった仕草で首を振った。
「いや、全然。だからそもそもオレは『竜のバケモノ』のハナシなんか信じてなかったんだから、最初っから探してもいなかったし探すつもりもなかったんだよ。アイツらと知り合ったのは単なる偶然だって」
「…ホントに、何でアンタなんかにそんな剣を渡したのかしらね」
「そこんとこはオレも自分で不思議だなァ」
ジルの皮肉にまたも真面目に返答するラルファグ。
「あ…あの。あの…」
そこに唐突に割り込んで来た、いかにも申し訳なさそうで頼りなさそうな声。
一同が一斉に注目したのはジェン・ユースだ。
アシェスの怪我の治療をようやく終えて、遠慮がちに皆を見回している。
「そ、その、その『竜のバケモノ』ッてお話も重要かとは思うんですけど…と、とりあえず、それよりも、先に、はぐれたまんまのコランドさんとティリアさんのこと、探した方がいいんじゃないかなあって…あの…」
「ああ…」
ジェンの顔を見つめたまま小さくうなずくカディス。
「そう言えば…」
呟いて何となく天井を見上げるラルファグ。
「すっかり忘れてたわっ!」
ぽんと両手を打ち合わせるジル。
「───いや、オレ達は忘れてなかったから」
「そんなひとでなしはアンタだけだ」
ラルファグとカディスの情け容赦のない言葉が飛ぶ。
「ええッ?! 嘘! 二人とも今ものすごく忘れてたリアクションだった!」
「それはアンタの見間違い」
「自分がそうだからってオレ達を巻き込んでもらうのは困るな」
「ええー!? ちょっとジェナ、何とか言ってあげてよあの性悪どもに!」
「ジルちゃん…、そうよね、コランドさん達会ったばっかりで私達にとっては印象薄いし…私は忘れてなかったけど…ジルちゃんがちょっと忘れちゃってもそれは仕方のな」
「何そのフォロー…?! それじゃあたし一人すっかり悪者じゃない! ジェナまでそんな風に…!」
「さっさとここから出て探すぞ」
「淡々としてるわね『闇』の竜…! アンタね、怪我治してもらったんだからジェナにお礼ぐらいちゃんと言いなさいよッ!」
ホールの出口に向かって歩きかけていたアシェスはぴたりと足を止め、ゆっくりと振り返る。
勢いのままに無遠慮なツッコミを入れてしまったことに気づき、ジルが慌てて自分の口を押さえているところだった。
邪竜人間族の皇子たる自分に無礼な口をきいたと怒鳴りつけられるに決まってると思い込んだらしいジルはアシェスの視線を受けてびくりと身を引きすくみ上がった、が。
「…世話をかけた。礼を言おう、緑の竜」
頭を下げるでもなく笑顔をつくるでもなく、ジルとジェンを見下ろしたまま短くぼそりとそう言って、アシェスはすぐに皆に背中を向けて再び歩き出す。
「………」
ぽかんとその背中を見送るジル。
皇子の後を追おうとジルの横を行き過ぎてゆくカディスの袖をむずと掴んで強引に振り返らせる。
「なっ、何だよ!」
「何アレ! 今の、お礼!?」
「ジ、ジルちゃん、袖ならまだしも男のヒトの胸倉掴んだりしちゃダメだと思う…!」
「皇子がわざわざ善竜人間族に対して感謝の言葉を述べて下さったのに何か不満があるのかよ?!」
「アンタ達邪竜人間族の感謝の気持ちの表し方ってのはあんなんなワケ?! アッタマきた、何なのよアンタ達って!」
女の子の細腕を本気出して振りほどくのもどうかなあとためらっていたカディスの身体を首の骨も折れよとばかりの力任せにがくがく揺さぶりながらジルはヒステリックに声を尖らせた。
「あたし達の皇子だったらもっと素敵で丁寧にお礼を言って下さるんだから! 何よあのネクラで陰険そうな『闇』の竜ー!!」
「そういうのはカディスに言っても仕方ねえんじゃねえかなあ」
揺すられ過ぎて早々とぐったりしてきているカディスを哀れむようなまなざしで見つめながら、けれども基本的にはあくまで他人事の口調でラルファグが呟く。
「そんなコト出来るワケないじゃない! あの目つきの悪さで睨み殺されちゃうわよ!」
そこでようやく放り出すようにカディスを離し、きッとラルファグに向き直るジル。
「に、睨み殺すって…」
ジルの言い回しに呆れてため息をつくラルファグ。
「よ…酔った…気持ち悪りィ…」
ジルの手から解放されるなりその場にしゃがみ込むカディス。
「ごめんなさい、ごめんなさい、カディスさんッ! ジルちゃんには後でよく言っておきますからっ!」
ジルの代わりにカディスに謝り続けているジェン。
いつまで経っても追いついて来ないそんな四人をホールの入り口のところで振り向いて眺めながら、オレはこんなときにこんなところで一体何をしてるんだろう結局何の情報も得られずと、アシェスはちょっとだけ途方に暮れた。
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