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「ちょっと…もうッ、嘘ォ!!」

 双子の善竜人間族の魔道士の方、ジル・ユースが情けない声をあげる。
 慌てふためいてそのまま逃げ出してしまいそうな口調とは裏腹に、ジルは緑の瞳を走らせて襲い来る兵士達の動きを確認すると、冷静に呪文の詠唱に入った。

 ジルのすぐそばでジェン・ユースが腰に提げた剣を抜く。
 こちらは今にも泣き出しそうなカオしているくせに、武器を構えた姿は堂に入っていて構えを見ただけで彼女がかなりの使い手であることがわかるほどだ。

 そんな姉妹の様子を視界の端にとらえて意外に感じつつ、ラルファグ・レキサスも愛用の両手剣(バスタード・ソード)を鞘から抜き放ち、目前に迫った兵士の身体を剣の腹でなぎ払う。
 はたき飛ばされた兵士は二、三人の仲間を巻き添えにして地面に派手に倒れ込んだ。

 瞳を閉じて長い杖を持ったあの魔道士はアシェス皇子やカディスの知り合い、あるいは友人のようだった。
 三人の会話の内容はラルファグにはいまいち理解し切れないものだったが、察するに、交渉は決裂しアイツは完全にアシェスとカディスを敵とみなしたというところだろう。
 まあ、そうでなければ自分達が今兵士達の襲撃を受けているはずもないが。

 起き上がろうとした兵士達をジルの風の魔法がまとめて切り刻むのを見届ける間もなく、ラルファグは身体を反転させて次の相手に備える。

「おい、後ろッ!!」

 意識するよりも早く発した警告の声に、ジェンが素早く反応して背後に忍び寄っていた相手の斬撃から危ういところで身をかわす。
 ジェンの身体を引き裂き損ねた刃は彼女の上着の袖口に細く傷をつけた。
 彼女がその兵士に向き直るのを見届けて、あれなら一人で片付けられるだろうとラルファグが視線を外した、瞬間。

「───ッざけんなよッ、コラァッ!!」

 心臓が止まりそうなくらいおっかない怒声が耳に飛び込んで来て硬直してしまった。

「何してくれてんだテメエッ! 誰の服にキズつけたのかわかってんのか、ああッ?!」

 …目が合うと怖いので声の主は敢えて確かめないでおいた。

 ウィプリズの指示を受けて向かって来る兵士達はその目の淀みから推察される通り感情らしい感情を持っていないようで、ただ耳にするだけで腹の底から震え上がってしまうようなジェンの罵声にもまるで動じる気配がない。
 むしろその大声はラルファグやカディスの動きを鈍らせている。

 何の前触れもなくブチ切れるジェンの動向が気になって自分の戦いに集中出来ない。
 怒りに我を忘れた彼女が隙を突かれて倒されるのではないかと心配した、わけでは、もちろんなく。
 いきなり爆発するジェンの激情の矛先がいつどんなきっかけで自分達に向けられるかもしれないとそれが不安で。
 速さはあるが直線的な動きしかしない兵士達など数がどれだけいようと、ジェンに比べれば恐れるには足りないものであるような気さえしてくる。

 ともあれ、そんな状態ながらも戦闘開始から十分と経たぬうちに兵士達はその全員が行動不能になり−気絶しているだけと思われる者もいるし、明らかに死亡しているだろうと思えるほどの傷を負っている者もいる−ラルファグ達の周囲の床には一面ぐったりと動かなくなった彼らの身体が転がっていた。

 五人の中では唯一の魔道士であるジルの働きは目覚ましかった。
 一度に複数の対象を仕留められる風の魔法で彼女は最も多くの兵士を片付けたはずだ。
 それにも増して大きな戦果を上げてみせたのはジェンである。
 うつろな目をした兵士達を語気荒く挑発し続けながらも振るわれる剣は曇りなく正確で、対峙した相手をほぼ一刀のもとに斬り捨てる実力は相当なものだ。

 ジル・ユースもジェン・ユースも、その小柄で華奢な身体つきからは想像も出来なかったほどの手錬であった。
 サースルーン・クレイバーがこの二人に自分達の助けとなるよう命じてくれたことを、ラルファグは素直にありがたいと思った。

 その性格はやや難ありのようだったが。

「観念しろよ、リズ」

 左手にナイフを握ったカディスが、ただ一人残った盲目の魔道士へと慎重に歩み寄って行く。
 緋色の髪の盗賊が持つナイフの刃は既に赤く濡れていて、血まみれの武器を携えたカディスには言い知れぬ迫力があった。
 顔の半分以上を覆う前髪のせいで表情が読めないことも彼の凄みを増す役に立っているようだ。

 しかし、そんな風に詰め寄られてもウィプリズは泰然と動かないまま、動揺する素振りさえ見せない。

 閉じた瞳をカディスに向けたまま、ウィプリズは両手で掴んでいた杖を左手に持ち直す。
 その動作にカディスが動きを止める。
 魔法で攻撃されることを警戒したのだろう、わずかに姿勢を低くとった。
 前後左右のどの方向にでも咄嗟の判断で飛び出せるように体勢を整える。

「───『闇』の秩序に従いて…」

 緊張したその場の空気を、不意に響いた小さな声が静かに震わせた。
 口を開いたのはウィプリズだ。

「我が声に応じよ、同朋」

「リズ!!」

 カディスが床を蹴って盲目の魔道士に飛びかかる、よりも半瞬早く。

「召喚・ディスソウル!」

 ウィプリズが高らかに叫んだその一言と同時に、今しもウィプリズに掴みかかるところだったカディスの目の前に突如として長身の人影が出現した。

「?!」

 新しく現れた人物は眼前に迫ったカディスを無言で払い飛ばした。
 緋色の髪の盗賊は強烈な一撃を食らい手もなく床に叩きつけられた。


 衝撃と痛みとで数秒意識が遠のくが何とか持ちこたえて、カディスは床に転がったまま自分を殴りつけた影を見上げた。
 歪んで霞む視界の中央に佇むそれが誰なのかを認識するのにさらに十数秒。

「───なッ…」

 認識した途端。
 立ち上がるのも忘れてその場で固まってしまう。

 長い前髪の奥に隠れた瞳をこれ以上はないほどに大きく見開いて、静かに立ちはだかる人物を凝視する。
 どれだけ見つめてもその姿は変わらない。
 自分の記憶違いでも有り得ない。

「レフィデッド…?!」

 カディスはその名を口にした。
 自分達と同じ赤い髪と赤い瞳を持ってはいても、決して竜にはなれない異種族の、友人の名を。

 アシェスを助け出すためにエルスロンム城へ潜入する前、バルデシオン城下の街から戻ったラーカ・エティフリックから聞かされた話によれば、数日前にチャーリー・ファインの魔法により生命を落としたはずの彼が、今カディスのすぐそばにいる。

 それではラーカの言ったことは何かの間違いだったのかと思いかけて───そうではない、と即座に否定する。

 コイツはレフィデッドじゃない。
 『闇』の竜に憧れていたわりには気が弱くて優しくてお人好しで、バカみたいな平和主義者だった人間族の友人とは絶対に違う。

 カディスを冷たく見下ろすレフィデッドの目はぎらついた赤い色をしていた。
 瞳ではなく、目が───白目の部分までもが、一種独特の禍々しさを放つ赤い色に塗り潰されてしまっていた。

 これが人間の目であるとは思えないほどの殺気と悪意とを漲らせて、無力な獲物を前にした肉食獣のような目つきで自分を睨みつけてくる、レフィデッド───いや、彼によく似た、『何か』。

 くまなく赤い目の部分を除けば他は何らの異変も見られないその姿が余計に不気味だった。
 ゆるくカールして肩からこぼれる柔らかそうな髪も、法衣越しにもはっきりとわかるほどに細っこい痩せぎすの身体も、綺麗過ぎて女みたいだと仲間内でよくからかったアゴの細いその顔も、何もかもがそのまま、レフィデッドが生きていたときのままなのに。
 その目だけが圧倒的に完璧に、正常なものとは異なってしまっていて。

「───何をした」

 あまりの驚愕に身動きもままならなくなっているカディスよりも早く、アシェスがウィプリズに声を投げる。

「答えろ…」

 低く短く、有無を言わせぬ強さで促しつつ、アシェスがそこで初めて、戦斧の柄に手をかけた。

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