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(3)

 ずっと、重苦しい沈黙が続いている。

 二、三メートル前方を淡々と進んで行くアシェス・リチカートの背中をそっと見やる。

 暗赤色の髪を持つ同行者は、仲間達とはぐれて以来無言を通していた。

 ジル・ユースの存在など忘れてしまったかのように、後からついて行く彼女にちらりと目を向けることさえもせず、アシェスはひたと前だけを見据えて黙々と歩き続けている。
 分岐点に差しかかったときだけほんの少し立ち止まってじっと通路を見比べて、すぐにどのような基準で選択したのかわからない、選ばなかった通路と何の違いも見られない、一本の道へ足を向ける。

 邪竜人間族の皇子に盗賊の素養があるなんて噂でさえも聞いた覚えがなかったが、アシェスがそのようにして選んだ通路には不思議とほとんど罠が仕掛けられていなかった。
 あったとしてもシーフでなくとも容易に回避出来る単純な構造のものばかり。
 洞窟に入った直後に現れジル達を執拗に追い回していた不気味な兵士の一団もいつの間にかどこかにいなくなって、辺りはどこまでも静まり返っている。
 ジルとアシェスの足音だけが通路に響いて、静寂をより際立たせる。

 『盗賊の洞窟』と言うから岩肌が剥き出しになった自然の洞穴に近い真っ暗な場所を想像していたのに、実際入ってみるとそこは洞窟よりもどこか大きな建築物の中にいるような印象を与える整然とした場所で、ジルは一度も行ったことがないのだけれど人間族(ヒューマン)の王都にあるベル研究所というのがこんなところなのかもしれないなと何となく考える。

 壁も床も天井も綺麗な白い石できっちりと覆われている。
 どこにも照明器具のようなものは見当たらないのに周囲は真昼のように明るい。

 広大な洞窟のどこにも寂れたような放置されているような気配はなく、これだけの場所を一体誰が手入れしているのかと純粋に疑問に思う。
 そして一体誰が、この洞窟をつくり上げたのか、とも。

 自然にあった洞穴を利用してこしらえられたものであればどれほどの面積を有していようとそれは理解の範囲内であるが、ここは違う。
 あらゆる通路に明確に人の手が加えられている。
 十字路が完璧な直角で交差していることや天井の高さ及び通路の幅が一定であることから考えても、この『盗賊の洞窟』が人間の手で造り出された空間であるのは間違いなさそうだ。

 山を深く掘り下げてこれだけ大きなこの洞窟を?
 誰がどのくらいの年月を費やして、どれだけの費用をかけて…。

 そんなことをぼんやり考えながら歩いていたら、いきなりアシェス・リチカートが足を止めて振り返った。

 短く息を呑んで立ち止まる。
 焦茶の瞳に鋭く射竦められる。
 ジルは声もなく見返す。

「緑の竜」

 冷えた低い声でアシェスが呼びかけてきた。

 ジルとジェンの姉妹は母親が人間族なので変身するのはブルー・ドラゴンであり、アシェスもここへ来るまでの間にそれを目にしているが、実際に何色の竜になるのかには関わりなくこれは邪竜人間族(ドラッケン)善竜人間族(バハムート)に呼びかけるときに用いる言い回しだ。

 返事をするべきだと頭の中で思いはするが声が出て来ない。
 長い間黙っていたので口の動かし方そのものを忘れてしまったかのように。
 竦み上がっているジルを感情のない瞳で眺めながら、アシェスが言葉を続ける。

「貴様はもういい。ここに残れ」

「……───えッ?!」

「ここに残れと言った」

「の、残れって、…あのッ…こんなトコで…ッ?!」

 同行者の突然の発言にみっともないくらいにうろたえるジルに、アシェスはくるりと背を向けた。

「あ、あの、あの…ッ?!」

 慌てて声をかけつつ数歩追いすがってみたが、そんなジルをすっぱりと無視してアシェスはすぐ先の角を右へ折れて行ってしまう。

 アシェスが消えた曲がり角をぽかんと見つめる。
 二十五秒ほどそうして一人で固まってしまっていた。
 アシェスが本当に一人で先へ進んでしまったらしいのに気づき戸惑いながらもとにかく後を追おうと駆け出しかけて…。

 急に馬鹿馬鹿しくなって、やめた。

「───もうッ! 何なのよッ!!」

 その場にどさッと腰を下ろす。
 行儀が悪いと知りつつも胡坐をかいて、腹立ち紛れにぐしゃぐしゃと自分の頭をかきむしった。
 短い金髪が見る影もなく乱れるが今はそんなの構ってられない。

「何よあの態度ッ! 何様のつもりッ?! 最低!! ムカつくーッ!!」

 思うさま大声でひとしきりわめき散らしてから、もし聞こえてて引き返して来たらどうしようとふッと不安になったが、聞こえてたら聞こえてたで別にいいじゃないかあたしの知ったコトじゃないわよどうせ戻って来やしないんだからとすぐさま考え直す。

 あの高圧的なものの言い方。
 確かにジルはアシェスの役に立つようなことは何もしていなかったかもしれない。
 けれど、足手まといになった覚えもない。

 なのに「もういい」って。
 こんな危険な洞窟のど真ん中で「ここに残れ」って。
 一体どんな歪んだ教育受ければか弱いレディに対してそんな暴言が吐けるのよ『闇』の竜の性悪皇子ッ!!

 そもそもあたしだって好きでアンタなんかについて行ってたワケじゃないんだから!
 陛下が協力するようにってあたし達姉妹に直々におっしゃったからここに来ただけで。
 別にあの絶望的に目つきの悪い皇子がどうなろうとこっちには何のカンケイもないんだから。

 王からの命令を受けて来た以上はアシェス・リチカートの身に何事か起こればそれはジル達の責任問題にも発展しかねないのだが、すっかり頭に血が昇っている彼女にはもちろんそこまで思考が回らない。

「何よ何よ、あんなヤツ! あたし達の皇子とは大違いッ!!」

 感情の赴くまま胸に浮かんだ台詞を一人叫んで、自分で自分のその声を聞いて、いきなりサイト・クレイバーのことを思い出した。

 自分達の、善竜人間族の皇子、サイト。
 父であるサースルーン・クレイバーと比較すると非常に失礼ながら優柔不断で頼りないところばかり目につくが、それは父親が立派過ぎるからであって、皇子は穏やかで優しくて誰にも負けないくらい素敵な人だ。
 真面目で努力家で、ジル達城の者や城下町の住人にもちっとも威張った感じのない丁寧な口調で話しかけて下さって。

 ジルとジェンの双子の姉妹はサイトよりも若干年が上だったが、子供の頃からバルデシオン城に出入りしていたのでサイトのことは互いが幼いときからよく知っていた。

 子供の頃、片親の種族が異なるため緑の竜になれない姉妹は、皆とは違う自分達の青いウロコを恥じていたが、あるときサイトがそれを指して私の瞳の色と同じだと言ってくれた。

 善竜人間族の中でも王族の者だけが持つ、蒼い瞳。
 そのような高貴な色にたとえられたのが−しかもそれは皇子自らが口に出した台詞で−嬉しくて晴れがましくて、ジルとジェンはそれから人前でも臆せず竜の姿をとれるようになった。

 同時に、竜になれない身の上でありながら善竜人間族の父を愛し他種族の夫のもとに嫁いだ母を、初めて素直に誇りに思えるようになった。

 優しくて素敵な皇子。
 みんなに愛されて慕われて、でも少しもいい気になったところとかなくて。
 あんな無愛想で無神経な『闇』の竜とは大違い。

 幸福な回想から不快な現実に立ち戻り、そばには誰もいないのにジルはわざわざ不機嫌な表情をカオに貼りつける。

 あんな皇子、きっと誰からも嫌われて避けられてるに決まってる。
 あの性格だもん、無意味にエラそーだし。
 嫌われるのは向こうが悪いんだ。
 あんな言い方したりするからあたしもこうやって頭にきちゃってるんだから。

 大体、邪竜人間族を助けたりアイツらに気を遣ってあげたりする必要なんて全然ないじゃない。
 ドラッケンはあたし達の敵。
 世界に害なす邪悪の存在。

 あの皇子が一人で勝手に行動してこの先一人でどんな目に遭おうと、全然まったくこれっぽっちも、あたしには関わりのないコトなんだからッ!

 胸の内で力強く断言して、きっぱりと結論する。
 そうして大きく一つうなずいてから、ジルは立ち上がった。

 そろそろと慎重な足どりでアシェスが曲がって行った角を同じ方向へと、進む。
 見たところ何もない通路がまっすぐ延びていた。
 一歩一歩、足元を確かめるようにして前進を開始する。

 だけど一応陛下から直接賜った命令でもあるし、あの皇子がたとえどんなひどい目に遭っててもあたしには全ッ然無関係なんだけどまるごと放置はやっぱり良くないって言うか、まあこっちだっていつまでもあんなトコで座ってるワケにはいかないんだし、あたしにはアイツの指示に従う義務もないんだし。

 頭の中でそんな言い訳を誰にともなく繰り広げながらじりじりと歩みを進める。

 アシェスの選ぶ道には不思議に罠がない。
 それが何故なのかは見当もつかないけれど、トラップの見分け方すら未だによくわからないジルには非常に助かる。
 けれども用心はしておくに越したことはない。

 じわじわと前方を目指しながら、ふとこんなことを考える。

 自分がいっときの感情に流されてこのままアシェス・リチカートを見捨てて、そうして邪竜人間族の皇子の身にもしも何かあったら、それを知ったら、サイト・クレイバーはどう反応するだろうか、と。

 サイトは邪竜人間族を嫌悪している。
 自分と一年違いで生まれた『闇』の竜の皇子を憎んでいる。

 けれど、きっと───それでも、それは正しくないことだと───言うに、違いない。
 それでも、それは、良くない───するべきではないことだ、と。
 決してしてはいけないことだと。
 あたし達の皇子はまっすぐな方だから。

 ジルは両の拳を握り締める。

 次の角へと差しかかる。
 一本道だったのは幸いだった。

 恐る恐る顔だけ出して先の様子をうかがうと、短い道を挟んで広い空間が見えた。
 広いだけでなくそこは天井もとても高そうだ。突如ひらけた円形の大ホール。

 はっと息を止めて身を引き、かける。
 ホールには先刻ジル達を追い回していたたくさんの兵士達がいた。

 半分身を引いただけでそこから回れ右して逃げ出さなかったのは、兵士達に包囲されて立ち尽くしているアシェス・リチカートの背中が目に入ったからだ。

 ───何してんのよ、『闇』の竜ッ!!

 角に身を隠したまま、無駄とわかってはいたがジルは助けを求めるように辺りに視線をさまよわせた。

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